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哀歌

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11. 「哀歌」の瞑想

ベレーシート

列王記の最後の部分(22章~25章)は、ヨシヤ王の治世からエルサレムの陥落とバビロン捕囚の出来事が記されています。アッシリヤの勢力からバビロンの勢力に移り変わっていく激動の時代の中で翻弄されるユダ王国の姿を知ることができます。しかしその時代に神がユダに対して何を語り、どのように導こうとされたかは、「エレミヤ書」を学ばなければなりません。エレミヤはヨシヤの治世の時に召された預言者です。その時代に預言者エレミヤを通して聞いたメッセージが何であったか、そのメッセージに対して人々はどのような態度をとったのかが詳しく書かれています。


このサムエル・ミニストリーの「聖書を横に読む」という企画では「哀歌」を先に取り上げます。ユダの民はエレミヤの預言を無視した結果、エルサレム陥落と亡国、そしてバビロン捕囚という憂き目を経験しました。それがどんなに悲惨な出来事であったかを記しているのが「哀歌」です。その「哀歌」を瞑想し、その後でその悲惨を味わうことになった問題がどこにあったのかを「エレミヤ書」を瞑想しながら学ぶ予定です。「エレミヤ書」は神の心臓にふれる重要な預言書です。特に、エレミヤ書にある「見よ。その日が来る」という定型句が意味する「イスラエルとユダの回復」の預言と「新しい契約」は重要です。そこをじっくり取り組むことで、かなりの程度において神のこれからのご計画を理解することが出来るのではないかと思います。したがって、(参考となる本を入手するなどの)それなりの準備が必要です。その準備をしながら、順序は逆ですが、まず先に「哀歌」をゆっくりと味わってみたいと思います。



哀歌の瞑想

2012.12.14~12.26

No.聖書箇所タイトル瞑想日
00はじめに「哀歌」について2012.12.14
011章01~11節エルサレムの悲惨な姿2012.12.14
021章12~22節主に背いた私の呻きと痛みを見よ2012.12.15
032章01~22節主が敵のようになるとき2012.12.19
043章01~39節「人称なき存在」の内なる声2012.12.21
053章40~66節私たちの道を尋ね調べて、主のみもとに立ち返ろう2012.12.22
064章01~22節ユダの歴史的教訓としての飢饉の恐ろしさ2012.12.25
075章01~22節昔の日のように2012.12.26


画像の説明

2012.12.14


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