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すると、ヤコブは元気づいた

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76. すると、ヤコブは元気づいた

【聖書箇所】 創世記45章27節

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【読み】
ヴアッテー  ーアッハ ヤアヴ アヴィーヘム

【文法】
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【分解】

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【翻訳】

【新改訳改訂3】
すると彼らの父ヤコブは元気づいた。
【口語訳】
父ヤコブは・・・元気づいた。
【新共同訳】
父ヤコブは元気を取り戻した。
【NKJV】
the spirit of Jacob their father revived.
【NIV】
the spirit of their father Jacob revived.

【瞑想】

創世記45章はヨセフ物語における最も感動的なシーンが描かれている章です。ユダの熱心な弁明に感動したヨセフはここで「私はヨセフです」とはじめて自分の身を明かします。そのときの二つの反応を45章に見ることができます。一つは兄たちの反応です。そして、もう一つは父ヤコブの反応です。

前者の兄たちの反応は、「私はヨセフです。父上はお元気ですが」との問いかけるヨセフを前にして「驚きのあまり、答えることができなかった」とあります(45:3)。「驚きのあまり」(新改訳、新共同訳)と訳された「バーハル」בָּהַלは旧約で50回、創世記はこの箇所1回限りです。「非常に驚愕した」(関根訳)、「あまりのことに気も動転して」(中沢訳)、「驚愕のあまり」(岩波訳)、「驚き恐れた」(フランシスコ会訳)などと訳されています。「バーハル」בָּהַלの原義は「騒ぐ、恐れる、不安にさせる」ですから、驚きと恐れと不安が入り混じった複雑な心境だったと言えます。

一方、父ヤコブの反応は、最初、息子たちの言うことが信じられず、「ぼんやりしていた」(新改訳)と訳されています。「気が遠くなった」(新共同訳)、「呆然とした」(岩波訳)、「感動しなかった」(フランシスコ会訳)、「心は萎えていた」(中沢訳)と訳された「パーヴァグ」פָּוַגは旧約聖書では4回ですが、創世記ではここ1回限りの語彙です。おそらく、茫然自失のような状態ではなかったかと思います。なぜなら、ヤコブが聞かされたことばの中に、自分の息子たちがヨセフをエジプトに売ったという事実も含んでいたからです。呆然となるのは当然です。ところが、そんなヤコブが「元気づいた」のです。

元気づく」、原文では「ハーヤー(הָיָה)・ルーアッハ(רוּחַ )」です。つまり、「ヤコブの霊が生きた(回復した)」のです。英語も the spirit of Jacob ・・ revived.と訳しています。つまり、「元気づく」とは「霊が生きる」こと。「神とのかかわりの部分が生気を取り戻した」と考えるべきです。人が生きるものとなったのは、神がその鼻からいのちの息(ルーアッハ)を吹き入れたからです。

「ルーアッハ」の前に「ハーヤー」が置かれている例は、旧約では他に4回使われています。その中の一つイザヤ書57:15には、「主は、へりくだった人の霊を生かし」とあります。正確には(原文では)「へりくだった人の霊を生き返らせる(使役形)ために」です。霊が生き返ることは神(主)のなせるわざです。その意味で、ヤコブが元気づいて、生きる意欲を取り戻すことができたのは、神の霊が生き返らせたゆえです。

クリスチャン作家の三浦綾子氏が「元気とは、生きることへの意欲である」と定義しましたが、まさに見事な表現です。「お元気ですか」という挨拶をいつも私たちは交わしていますが、三浦綾子氏が定義するような意味で挨拶している人は少ないのではないかと思います。神によって生きる意欲を与えられるということこそ、真に「元気づく」ことなのです。まず自分自身が、日々、神の霊によって「元気づく」歩みをしているかどうか、心の点検をしたいものです。この「ヘブル語デイリー・ブレッド」がそうした目的を幾分かでも果たせたらと願っています。


2013.5.1


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