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あなたの光とまことを遣わしてください

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77. あなたの光とまことを遣わしてください

【聖書箇所】 詩篇43篇3節 前半

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【読み】
シェハ オールー ヴェアミテー ヘーンー ヤヌーニ

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。
【口語訳】
あなたの光とまこととを送ってわたしを導き、
【新共同訳】
あなたの光とまことを遣わしてください。彼らはわたしを導き
【NKJV】
Oh, send out Your light and Your truth! Let them lead me;
【NIV】
Send forth your light and your truth, / let them guide me;

【瞑想】

詩43篇のキー・ワードは3節の嘆願にあると信じます。
「どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。あなたの聖なる山、あなたのお住まいに向かってそれらが、私を連れて行きますように。」(新改訳) 
bring me back to Zion. シオンに帰還して、そこで神の臨在を楽しむこと、これが具体的な作者の神への渇きです。バビロンの捕囚の地にあって、神の民の中にこうした渇きが起こってくることを神は願っていたはずです。この渇きを起させるために、神は作者を一時「拒まれ」(新改訳)、「突き放され」(LB訳)、「見放され」(新共同訳)、「捨てられ」(口語訳)たのかもしれません。神に対する強烈な飢え渇きなしには、詩1篇にあるように、神のみことばを昼も夜も口ずさむといったライフスタイルは生まれなかったに違いありません。そして、神のみことばがなんと甘いものであるかということも知らなかったはずです。

特に、3節の嘆願のフレーズの中の「送る、遣わす」と訳された動詞「シャーラハ」に注目したいと思います。「シャーラハ」(שָׁלַח)は、神の先行的恩寵を示す派遣行為です。旧約で847回、詩篇では33回ですが、神の恩寵を表わす箇所は16回です。詩43篇では、神が「光とまことを送る(遣わす)」ことによって、それらがエルサレムにおける神の臨在あふれるところへと連れて行ってくれると作者は確信しています。

神が送られる「光とまこと」(オールאוֹר とエメスאֶמֶת)という表現は、聖書ではここ1箇所だけです。普通は「恵みとまこと」(ヘセドחֶסֶדとエメスאֶמֶת)がワンセットで用いられます。たとえば、詩57篇3節の「神は恵みとまことを送られる」、詩23篇6節の「いつくしみと恵み」(トーヴ
טוֹבとヘセドחֶסֶד)といった組み合わせもあります。最終的には、神(御父)が私たちのために遣われた御子イエス・キリストこそ「恵みとまことに満ちておられた」方だとヨハネは紹介しています(ヨハネの福音書1:14, 17)。

なぜ、詩43篇だけが「光とまこと」なのかは「謎」です。ただ、詩42篇と詩43篇には他の詩篇にはない強烈な個性があります。そのひとつは、「慕いあえぐ」(「アーラグ」עָרַג)というこの箇所にしかない生死を分けるあえぎです。虚無の深淵に引きずり込もうとするデーモン的な勢力との葛藤の中で、作者はその背後にある霊的事実を知らなければ、この戦いに立ち向かうことができないと感じていたのではないかと推察します。そのために、作者は神の「光」をことさらに必要と感じていたのかもしれません。神の恵みを明かす啓示の光、いのちをもたらす上からの光を神が送ってくださらなければ、渇きという実体を正しく理解し、それに対処することはできないと考えていたのかもしれません。しかしこの「光とまこと」は、今やイエス・キリストによって私たちにすでに送られて(遣わされて)いるのです。

シロアムの池.PNG

ヨハネの福音書9章で、イエスは生まれつきの盲人に「わたしは世の光です」、「行って、シロアム(訳して言えば、遣わされた者)の池で洗いなさい。」と言われました。盲人は言われるままに、行って洗うと、見えるようになりました。
ここでの「シロアム」ーSiloamは、shi(ש)-lo(ל)-ach(ח)のことで、ヘブル語の動詞「シャーラハ」שָׁלַחから来ています。イザヤ書8章6節には固有名詞としての「シロアハ」(「シローアッハ」שִׁלֹּחַ)があります。そこではこのように語られています。

【新改訳改訂第3版】イザヤ書8章5~8節
5 【主】はさらに、続けて私に仰せられた。
6 「この民は、ゆるやかに流れるシロアハの水をないがしろにして、レツィンとレマルヤの子を喜んでいる。
7 それゆえ、見よ、主は、あの強く水かさの多いユーフラテス川の水、アッシリヤの王と、そのすべての栄光を、彼らの上にあふれさせる。それはすべての運河にあふれ、すべての堤を越え、
8 ユダに流れ込み、押し流して進み、首にまで達する。インマヌエル。その広げた翼はあなたの国の幅いっぱいに広がる。」

ここにある「シロアムの水」とは、神の助けや神の保護を象徴したものと考えられます。ダビデの統治によって表わされた神の豊かな恩寵が、静かに、やさしく、ゆるやかに、尽きることなく流れる「シロアムの水」にたとえられています。ところがユダの民はその水をさげすみ、激しい勢いで流れるユーフラテス川の水にたとえられるアッシリヤ王の援助を求めることに対して、イザヤはここで主にのみ信頼するように叱責のことばとして語っているのです。

私たちも、詩篇43篇の作者のように、「どうか、あなたの光とまことを送り、私を導いてください。」と祈る者でありたいと思います。


2013.5.2


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