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神のミシュパートが忌み嫌われるとき

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3. 神のミシュパートが忌み嫌われるとき

【聖書箇所】3章1~12節

ベレーシート

  • ミカ書3章に、三度も繰り返される語彙があります。それは「公義」と訳された
    ミシュパート」(מִשְׁפָּט)です(1、8、9節)。

    【新改訳改訂第3版】ミカ書3章1, 8, 9節
    1 わたしは言った。聞け。ヤコブのかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公義を知っているはずではないか

    8しかし、私は、力と、【主】の霊と、公義と、勇気とに満ち、ヤコブにはそのそむきの罪を、イスラエルにはその罪を告げよう。

    9 これを聞け。ヤコブの家のかしらたち、イスラエルの家の首領たち。あなたがたは公義を忌みきらい、あらゆる正しいことを曲げている。


1. 民の指導者たちに対する叱責

  • イザヤはユダの王ウジヤ、ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に神のことばを語った預言者です(イザヤ1:1)が、ミカはユダの王ヨタム、アハズ、ヒゼキヤの時代に神のことばを語った預言者です(ミカ1:1)。おそらく、ミカ書3章でのヤコブのかしら(指導者)たちに対する主の叱責は、主に立ち返って宗教改革をしたヒゼキヤの前の時代、つまりヨタム、アハズの時代に語られたものと考えられます。そしてヒゼキヤの改革に影響を及ぼしたと言えるかも知れません。
  • ユダの王アハズの時代は当時台頭して来たアッシリヤの勢力に対して、中東の様々な国がその脅威に対して生き残りを図るべく、画策を迫られました。そのような脅威に対する恐れの中で、ユダの王アハズは神に聞くことなく、親アッシリヤ政策を選択しました。それは神の統治(ミシュパート)から意図的に離れることを意味します。またその結果として、他の国々と同様の支配構造がもたらされます。その一面が、指導者たちが自分たちの利得のために民たちを搾取するという構造でした。
  • そのため、神は預言者ミカを通して彼らのそむきの罪を告発し、やがて彼らの罪のために、シオンは畑のように耕され、エルサレムは廃墟の山と化すということを警告したのです(3:12)。

2. 神のミシュパートの模範として選び出されたアブラハムとその子孫

  • 神の統治理念を表わす「ミシュパート」の用語が聖書で初めて登場するのは創世記18章です。そこを見てみましょう。

    【新改訳改訂第3版】創世記18章18~19節
    18 アブラハムは必ず大いなる強い国民となり、地のすべての国々は、彼によって祝福される。
    19 わたしが彼を選び出したのは、彼がその子らと、彼の後の家族とに命じて【主】の道を守らせ、正義と公正とを行わせるため、【主】が、アブラハムについて約束したことを、彼の上に成就するためである。」

  • ここには神がアブラハムを選び出された目的が記されています。それは、地のすべての国々がアブラハムによって祝福されることです。またそれは、アブラハムとその子孫とが、主の道を守り、主の正義と公正を行うこと(統治の執行)によって実現するということです。
  • ここで「公正」と訳されたことばが「ミシュパート」です。神の基準によって統治を執行することであり、そこに神の統治理念があります。アブラハムの子孫の存在意義は、主を信頼して歩み、神の基準によってすべてを治めることでした。それは王制が導入されても変わることのない理念です。その理念が忌み嫌われ、曲げられ、変質し、見捨てられる時、イスラエルはそのアイデンティティを喪失してしまいます。イスラエルの王とそれを支える指導者たちの責任は、神の統治(ミシュパート)を打ち建てることでした。
  • 申命記17章にはイスラエルの王の憲章が記されています。

    【新改訳改訂第3版】申命記17章16~20節
    16 王は、自分のために決して馬を多くふやしてはならない。馬をふやすためだといって民をエジプトに帰らせてはならない。「二度とこの道を帰ってはならない」と【主】はあなたがたに言われた。
    17 多くの妻を持ってはならない。心をそらせてはならない。自分のために金銀を非常に多くふやしてはならない。
    18 彼がその王国の王座に着くようになったなら、レビ人の祭司たちの前のものから、自分のために、このみおしえを書き写して、
    19 自分の手もとに置き、一生の間、これを読まなければならない。それは、彼の神、【主】を恐れ、このみおしえのすべてのことばとこれらのおきてとを守り行うことを学ぶためである。
    20 それは、王の心が自分の同胞の上に高ぶることがないため、また命令から、右にも左にもそれることがなく、彼とその子孫とがイスラエルのうちで、長くその王国を治めることができるためである。

  • 詩篇127篇1節に「主が家を建てるのでなければ、建てる者の働きはむなしい。」とあります。主の統治理念を忌み嫌い、それを曲げて家を建てようとするときに、すべてを失うのです。それゆえ、特に神に立てられた指導者たちは、主のおしえを絶えず、謙虚に学び続けなければなりません。

2014.12.19


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