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瞑想Ps79/B

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瞑想Ps79/B

  • 詩篇79篇には、真の悔い改めの祈りが見られません。1~4節にある神の民の痛ましい現実の中で、そこからの解放を願っています。しかし、なぜそうした現実を招いたのか、その原因や理由について考えようとしていません。「いつまで」とこんな状態が続くのか、もういい加減いいでしょう神に食い下がっています。しかも、8節で「先祖たちの咎を、私たちのものとして、思い出さないでください」とし、むしろ「御名の栄光のために、私たちを救い出してください」と短絡的な祈りとなっています。9節の「私たちの罪をお赦しください」とは祈っていても、その罪がなんであるのか、その内実がありません。しかも自分たちが敵によってなされた事柄にとらわれています。そして同胞が流した血の復讐がなされるようにと神に祈っています。
  • そんな悔い改めの実を結んでいない神の民に対して、神は終始、沈黙しています。ここが重要な点です。これはネヘミヤとエズラの祈りを考えるならば、より一層、明白です。
  • エルサレムの城壁が崩れている現状を聞かされたネヘミヤは、ネヘミヤ記1章6節において、神の民が神に対して犯してきたイスラエルの罪を自分のこととして告白し、祈っています。エズラもエズラ記9章7節において、私たちの先祖の時代から今日まで、自分たちが大きな罪過の中にあったこと、その咎のために恥を見せられ、今日あるとおりですと告白し、その後に悔い改めがなされています。
  • 詩篇79篇にない事柄が、実はここでのメッセージとなっているようにな気がします。

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