恩寵用語Ps79
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詩79篇「赦す」 כָּפַר カーファル
〔カテゴリー救出〕
9節「私たちの救いの神よ。・・御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。」
Keyword; 「赦す、贖いをなす」 forgive, making atonement 65:3/78:38/79:9
- 「赦す」と訳されるカーファルכָּפַר(kaphar)の原義は、動物の身代わりによって人の罪を「贖う」という意味です。この動詞は旧約で101回、詩篇ではわずか3回しか使われていません。この動詞はレビ記の特愛用語で49回使われていますが、その多くは神を礼拝する者が動物のいけにえによって自分の罪を贖う(身代わりとしてほふられる)という意味で用いられています。ときには、その動物の頭に手を置いて自分の罪を告白するという行為も含まれます。罪を贖うことで、はじめて神に近づくことができるのです。
- 他の用法としては、「なだめる」という意味があります。ヤコブが自分の故郷に帰ろうとした時に、かつて騙した兄の怒りをなだめるために贈り物を先に送ったという話があります(創世記32:20)。
- カーファルכָּפַר(kaphar)は、罪を「覆う、贖う、赦す」という意味がありますが、新改訳ではカーファルを3回とも「罪を赦す」という意味で訳しています。
「咎が私を圧倒しています。しかし、あなたは、私たちのそむきの罪を赦してくださいます。」(65:3)
「しかし、あわれみ深い神は、彼らの咎を赦して、滅ぼさず、幾度も怒りを押え、憤りのすべてをかき立てられはしなかった。」(78:38)
「私たちの救いの神よ。・・・御名のために、私たちを救い出し、私たちの罪をお赦しください。」(79:9)
- 「ああ、私、もうだめだ。私はくちびるの汚れた者で、・・しかも万軍の主である王を、この目で見たのだから」と絶望している預言者イザヤのもとに、セラフィムが燃える炭火をとってイザヤの口に当て、「あなたの不義は取り去られ、あなたの罪も贖われた(כָּפַר)。」と言ったのは有名です。預言者として失格だと絶望したイザヤは、この神の赦しの経験を通して、神のみこころに従うことを決意しました。その決意とは、当時、だれも耳を傾けることのない神のメッセージを語るために、自分が遣わされることを願ったことです(イザヤ6章参照)。だれも聞く者がいないと知りながら、神のメッセージを語ることは誰でもできることではありません。この空しい働きを根底から支えたのは、赦しの経験であったと考えられます。
- 「律法によれば、・・血を注ぎ出すことがなければ、罪の赦しはありません。・・しかし、キリストは、ただ一度、・・ご自身をいけにえとして罪を取り除くために、来られたのです。」(ヘブル9:22、26) だれひとりとしてキリストの血なしに神に近づくことも、神の破格の祝福を受けることもできないことを深く受けとめるべきです。