****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想Ps128/B

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瞑想Ps128/B

  • キーパースを5節に据えてみました。
    主はシオンからあなたを祝福される。
    あなたはいのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。
  • この節には、主がご自身の住まいとして選ばれたシオンからの恩寵の方向と、そのシオン、すなわちエルサレムに対して神の繁栄(トーヴ)を「見る」人からの方向とが交差しています。
  • イスラエルの国全体の祝福と個人、あるいは家庭の幸福が密接な関係にあります。国全体の祝福は個人、あるいは家庭にその祝福が反映しています。キリストの教会も、夫婦や子どものあり方が規定され、そこにイエスの愛が反映しています。
  • 家庭の建設は国家の建設でもあります。今日の日本は、世界の中でも、また歴史的にも未曾有の高齢化社会に向かっています。と同時に次の社会を築く子どもたちもこれまた未曾有の少子化傾向へと進んでいます。日本の政府は子ども支援をどのようにすべきか危機感を募らせています。経済成長によって日本は、確かに豊かになり、物はあふれ、それを手にすることができるようになりました。しかし、次の世代を担う子どもたちの育成は簡単なことではなく、国家的課題となっています。
  • 聖書における神の祝福は、家庭から出発しています。家庭の中では父親に神的権威が与えられていますが、母親も実質的な意味においてユダヤ人の厳しい食物規定を仕切りながら、家庭における隠れた権威をもって子どもの教育に当っていると聞きます。家庭の建設、家庭の祝福はイスラエル全体の祝福の反映なのです。
  • 詩篇128篇を通して、127篇と同様に、「都上りという巡礼」が決して個人的な事柄ではなく、家族的取り組みなのだと言うことを知ることができます。
  • ちなみに、この詩篇には三つの「見る」という訳語があります。最初の「見る」は、4節にあります。そこで使われている原語は「ヒンネー」הִנֵּהで、ある重要な事柄を喚起させる動詞です。詩篇133篇でも「ヒンネー・マ・トーヴ」で「見よ。なんという幸い」と訳されます。英訳は、Behold. ここで喚起させようとしている事柄とは、「主を恐れる人は、確かに、このように祝福を受ける」という事実です。
  • 後の二つの「見よ」は、5節の「あなたは、いのちの日の限り、エルサレムの繁栄を見よ。」と6節の「あなたの子らの子たちを見よ。」です。ここに使われている「見よ」は、4節の「見よ」とは異なる原語、「ラーアー」רָאָהです。この動詞は普通に「見る」という意味ですが、「良く考える、熟考する」、considerという意味もあります。つまり、「家庭の祝福」が単なる個人的なレヴェルにとどまらず、「エルサレムの繁栄(トーヴ)」と「イスラエルの平和(シャローム)」と深く連動しているということを「深く考えよ」と促しているのです。
  • この詩篇は、イスラエルにおいて、国全体の存続と繁栄は個々の家庭の祝福と信仰の継承にかかっているということを喚起させている詩篇だということが言えます。主の導きによって「クリスチャン・ホーム」とされた者たちは、神の国においてまさに大きな使命と責任がゆだねられているということを、自覚的な召しとして受けとめられることが促されているのです。

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