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ハンナの立てた誓願

1. ハンナの立てた誓願

【聖書箇所】  1章1節~28節

はじめに

  • サムエル記1章には、イスラエルの歴史において大きな役割を担った預言者サムエルがどのような経緯で誕生したかを記しています。サムエルを産んだ母ハンナが心を注いで祈った、いわば追い込められた祈りの中で立てた誓願こそサムエル記の最初の章のキーワードです。
  • サムエルが誕生する前、あるひとつのドラブルがあったことを聖書は記しています。そのトラブルとは、いつの時代でも、どこにでも転がっていそうな出来事です。それがエルカナという人の家庭に起こりました。ところがそのドラブルの背後に、歴史を支配する神の隠された不思議な計画があったのです。

1. 追い込まれたハンナの祈り

  • エフライムの山地に住むエルカナという人には二人の妻がおりました。一人はハンナ(脚注1)、もう一人はペニンナです。ペニンナには何人かの息子と娘たちがおりましたが、第一夫人のハンナにはひとりの子どももおりませんでした。けれども、エルカナの愛はどうもハンナに向かっていたようで、それがペニンナの嫉みを買い、ハンナをひどく苦しめ悩ますことになったのです。ハンナの苦しみは食事ものどに入らないほどでした。もしハンナが結婚後まもなく子どもが与えられていたとしたら、彼女は幸いなエルカナの夫人として順調な生涯を歩んでいたかもしれません。しかし聖書は「主が彼女の胎を閉じておられた」(1:5)と記しています。つまり子が与えられたなかったこと、そしてペニンナによる嫌がらせも、すべて神から出たことであったと聖書は記しています。
  • 7節はハンナの苦悩の日々が長く続いたことを伝えています。夫エルカナは優しい思いやりのある人でしたが、ハンナの心の奥にある苦悩を慰めることはできなかったようです。そのためにハンナは激しく泣きながら、主の前に心を注ぎ出す祈りへと追い込まれていきます。「私の心を注ぎ出す」という表現は、文字通り、自分のすべてを注ぎ出すという意味ですが、それは自分のすべてを受けとめてくれる方の前でしかできないことです。そうしたハンナの心を注ぎ出す祈りは「うめきの祈り」、「沈黙の祈り」でした。どこにも向けることのできなかったハンナの内心の苦悩は、ハンナをして、「主に」(10節)、「主の前で」(12節)、「主の前に」(15節)と向かわせたのです。

2. 追い込まれて祈った中での「誓願」

  • ハンナは追い込まれて祈った祈りの中で、ひとつの誓願を立てました。その誓願こそ歴史的な祈り(歴史的な意義をもたらした祈り)となりました。それは単にぺニンナとの対抗意識を越えたところの動機、つまり神にとって役立つ人物をこの世に送るという女性としての使命を根底とする祈りではなかったかと思われます。
  • 主に対して立てたハンナの誓願の内容は以下の通りです。

    万軍の主よ(脚注2)。もし、あなたが、はしための悩みを顧みて、私を心に留め、このはしためを忘れず、このはしために男の子を授けてくださいますなら、私はその子の一生を主におささげします。そしてその子の頭に、かみそりを当てません。

  • 誓願を立てるということは、神と取引をすることであり、必ずそれを守らなければなりません。決して破ってはならないのです。その例が士師記の中にもありました。エフタの例(11章30~31節)、イスラエルの民の例(21章1節)参照。
  • 民数記30章によれば、女性が誓願を建てる場合、まだ娘の場合はその父親の承認が必要でした。結婚した女性の場合にはその夫の承認が必要でした。父や夫の承認がなければ誓願は無効となります。承認があってはじめて誓願は有効となりました。したがって、ハンナの立てた誓願は夫エルカナの承認が必要だったのです。幸いにもハナンの誓願は夫の承認を得られたようです。1章21節にあるように、エルカナの家族が揃ってシロにある会見の幕屋へ礼拝に行く時に「自分の誓願を果たすため」とあるのはそのことを意味しています。結果的には、妻ハンナが「この子が乳離れするまでは」と言ってサムエルをシロに連れて行くことを意向を示した時、夫もハナンの言うとおりにさせました。サムエルは乳離れする(3歳頃)までこうした両親の信仰のもとで育ったのです。
  • ハナンの祈りは聞かれました。「私がこの子を主に願ったから」ということで、この子の名は「サムエル」と名付けられました(脚注3)。サムエルが乳離れしたとき、両親は祭司エリの所にサムエルを連れて行ったときに、ハンナが祭司に言ったことばに注目しましょう。

    「私はかつて、ここのあなたのそばに立って、主に祈った女でございます。この子のために、私は祈ったのです。主は私がお願いした通り、私の願いを叶えてくださいました。それで私もまた、この子を主にお渡しいたします。この子は一生涯、主に渡されたものです。」(1:26~27)

  • サムエルは祭司エリの下に預けられましたが、サムエルの両親は「主に渡した」と述べています。主のご支配の下にゆだねたのです。こうした両親の信仰と祈りに支えられてサムエルはエリの下に預けられたのです。

3. すべての領域において支配される神

  • 子が与えられないという個人的な事柄の中にも、またどんな慰めのことばも届かない心の深い所にも神は介入することのできる方です。ハンナが心を注ぎ出して祈ったような祈りは、だれもが意図的にできるような祈りではありません。追い込まれなければ祈れないような次元があるのです。ハンナはそのような状況の中でひとつの誓願を立てました。その誓願こそサムエルを生み出したと言えます。そこに至るすべての出来事とプロセスの中に、神の不思議なご計画と導きがあったのです。すべての出来事に神のコンテキストがあるのです。それはいつも見えるわけではありませんが、使徒パウロが述べているように、まさに神は神を愛する人々のためにすべてのことを相働かせて益とされる方です。私たちは、神のすばらしいコンテキストの中に今日も生かされていることを信じて、いつも喜び、絶えず祈り、すべてのことについて感謝しなければなりません。そうしたかかわりを神が望んでおられるからです。

脚注1
エルカナの妻であり、サムエルの母である「ハンナ」(חַנָּה)の名前の語源は、「恵む、あわれむ、情けをかける」を意味する動詞の「ハーナン」(חָנַן)です。その名詞「ヘーン」(חֵן)は「恵み、好意、お気に入り、優美」を意味します。ハンナという名前は聖書でただひとりしか使われていません。

脚注2
サムエル記において「万軍の主」(「アドナイ・ツェヴァーオート」יהוה צְבָאוֹת)という神の名がはじめて登場します。第一サムエル記では5回(1:3, 11/4:4/15:2/17:45)。第二サムエル記では3回(7:8, 26, 27)。

脚注3
「サムエル」はヘブル語でשְׁמוּאֵלと表記します。

2012.5.12


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