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イサク誕生1年前の出来事

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2. 創世記の目次

(18) イサク誕生1年前の出来事

【聖書箇所】創世記18章~20章

はじめに

  • 創世記18章~20章には、イサクが誕生する前のいくつかの出来事が記されています。

1. 18章の出来事・・・「アブラハムに対する二つの予告」

はじめに

  • 18章では、アブラハムのところに三人の者が訪問しました。アブラハムが昼過ぎの暑い中、天幕の入口に座っていました。ふと目を上げると、そこに三人の者が彼に向かって「立っていた」のです。驚いたアブラハムは走りよって、ひれ伏し、彼らを歓迎しました。ヘブル人への手紙13:1に「旅人をもてなすことを忘れないようにしなさい」とあるように、遊牧民には彼らなりのもてなしを大切にする風習や文化があったようです。19章でもロトが二人の御使いをもてなしています。
  • ところで、三人の正体は次第に明らかになっていきます(18:20,19:1)が、そのうちの一人は「主」(יהוה)ご自身です。後の二人は御使いです。アブラハムと対話しているのは「主」です。

1. 第一の予告・・「来年の今ごろ、サラに男の子ができている(生まれている)」

  • 18章の三人の訪問の目的は、10節にあるように、「わたしは来年の今ごろ、必ずあなたのところに戻って来ます。そのとき、あなたの妻サラには、男の子ができている」という予告をするためでした。これまでの約束は「妻のサラによって、あなたにひとりの男の子をあなたに与えよう」というものでしたが、今回の訪問は、その時期を予告しています。その時期は「一年後」です。果たして、主は約束通り来られたのかどうか、気になるところですが、21章を見るとその答えがあります。「主は、約束されたとおり、サラを顧みて、仰せられたとおりに主はサラになさった。」(1節)。「顧みて」と訳された動詞は「パーカド」פָּקַדで、「訪問する」という意味です。

1. 第二の予告・・ソドムとゴモラに対するさばき

  • 主の訪問の第二の目的であるソドムとゴモラに対するさばきの予告は、当初、予定していなかったようしるされています。アブラハムが三人の訪問者を見送るために、彼らといっしょに歩いていた(「ハーラフ」הָלַך)ときに、主がこれからしようとすることをアブラハムに明らかにしようと思われたようです。主は次のように独白しています。「わたしがしようとしていることを、アブラハムに隠しておくべきだろうか。」(17節)と。
  • 最後の晩餐のときに、イエスが自分の弟子たちに「わたしはもはや、あなたがたをしもべとは呼びません。しもべは主人のすることをしらないからです。わたしはあなたがたを友と呼びました。なぜなら父から聞いたことをみな、あなたがたに知らせたからです。」(ヨハネの福音書15:15)と言われました。ここでも「主」は、ご自分がしようとしていることをアブラハムに隠さずに知らせようと考えられました。
  • アブラハムは主からソドムとゴモラの罪に対するさばきのことを聞かされた時、おそらく彼の脳裏にはロトとその家族のことが思い浮かんだに違いありません。アブラハムは彼らのために「主」にとりなしを始めます。他の二人はそのままソドムの方へと向かっ行きましたが、アブラハムは「主の前に立ち」、近づいて「その町の中に50人の正しい者がいるかもしれません。ほんとうに滅ぼしてしまわれるのですか」と言って嘆願します。しかし、結果的にはその町に正しい者が10人もいないことを知らされたのです。
  • なぜ、アフブラハムが10人のところで止まったのか、不思議です。しかし、ロトとその家族の関係者を含めると10人くらいにはなっていることをアブラハムは知っていたのかもしれません。アブラハムのとりなしによって実際に助け出されたのは、妻と二人の娘と自分の4人でしたが、妻はうしろを振り返ったことで塩の柱とされてしまいました。19章を見ると他にも、娘たちとその婿たちがいたようです(19:14)。正しい者が10人もいないことを主から知らされた時、アブラハムは数を区切ることに恐れを感じたのではないかと推測します。
  • 主のなさることをアブラハムに知らせたのは、彼を主の友としてくださったからです。神の秘密を知らされる「友」というかかわり、これがアブラハムに与えられた特権でした。

2. 19章の出来事

(1) さばきとロトの救い

  • 二人の御使いがソドムを滅ぼすために遣われました。彼らはロトに妻と二人の娘たちを連れて逃げるように促します。ロトはツォアルという町に逃れたころ、主はソドムとゴモラの上に、硫黄の火を降らせてその町々と住民とすべての植物とを滅ぼされました(19:25)。ロトの妻は警告を無視して後ろを振り返ったので、塩の柱とされてしまいました。おそらくロトの妻はソドムかゴモラ出身の女性だったかもしれません。
    画像の説明

(2) ロトの子孫

  • ソドムとゴモラのさばきから救い出されたのは、結局のところ、ロトと二人の娘の3人だけでした。彼らはツォアルを出て山に住みました。二人の娘は父に酒を飲ませて子孫を残そうとします。姉は男の子を産んでモアブと名づけ、モアブ人の先祖となりました。妹も男の子を産んでベン・アミと名づけ、アモン人の先祖となりました。ロトには少なくとも4人以上の娘たちがいたようですが、息子はいなかったようです。
  • 後になってイスラエルの民が約束の地に行こうとして、ヨルダン川の東側を行進しますが、その折、神はモアブ人とアモン人に敵対して戦いをしかてはならないことをモーセを通して民に告げます。なぜなら、そこはロトの子孫に与えた所有地だからでした(申命記2:9, 19)。

3. 20章の出来事

(1) 場所

  • カデシュとシュルの間。ソドムとゴモラの滅びからすぐにアブラハムはマムレの樫の木のあるところから南のネゲブ地方へと移動し、カデシュとシュルの間に住みついたようです。なぜそのようにしたのか、聖書はその理由を述べていません。思うに、前は、少し歩けば滅ぼされたソドムとゴモラの町々を見渡せるところにいました。おそらくそうした場所から少しでも離れていたいと思ったのかもしれません。ただし単なる推測ですが・・。また、さばき以後、アブラハムは甥のロトとは再会することはありませんでした。

(2) 妻サラがゲラルの王アビメレクに召し入れられた

  • 20章で伝えようとしていることは、アブラハムが天幕を移動したところは、ゲラルの王アビメレクが支配していました。エジプトでもそうであったように、妻サラは美しかったので、ゲラル滞在中にアブラハムの妻サラがアビメレクに召し入れられる懸念がありました。そしてそのとおりになったのです。ところが、神はアビメレクがサラに触れることをお許しになりませんでした。興味深いことに、1~17節まではすべて、「主」ではなく、「神」という名で一貫しています。

むすび

  • 18章~20章までの出来事から確認できることは何か。

第一は、アブラハムとロトとの親類としてのかかわりはここで完全に途絶えてしまったということ(明確な別離)です。神の召しに従うということは、ある意味で「分離」をも余儀なくされるということです。争いを好まないアブラハムは、13章で甥のロトと分かれることを提案します。そしてロトに優先権を与えました。ロトは案の定、見渡して、よく潤った低地を選びました。もし彼がそこを選ばなかったとしたらどうなっていたことでしょう。アブラハムの心に複雑な思いが支配していたかもしれません。

  • またソドムとゴモラに対するさばきは、アブラハムの心により一層、「神を恐れて歩む」こと、「神の御前に全き者として歩む」ことを刻み込まれた出来事であったに違いありません。

第二は、神である主はご自身のご計画のためにサラをアビメレクから完全に守られたということです。主のことばに従って「さすらいの旅に出た」アブラハムにとっては最初から大変なリスクを負っていたのです。漂泊者としてのアブラハムを攻めることはできません。自分の身を守るための手段としては、当時としては当然の処置だったのです。これについて神はアブラハムを一言もせめていません。むしろ、神は二人を、特にサラをこの世の権力者から完全に守って下さったということです。

  • アブラハムとサラからイサクが生まれるまで、アブラハムとサラの夫婦にとっては多くの信仰の試練を乗り越えなければなりませんでした。しかし神がすべてを守っておられたのです。そして今や、ついに全能の神によってその約束が果たされるときが来たのです。次章の21章はいよいよ「イサク」(私は笑う)の誕生です。

2011.9.2


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