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なぞをかけ、たとえを語れ

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102. なぞをかけ、たとえを語れ

【聖書箇所】 エゼキエル書17章2節

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【読み】
ベン・アーダーム ード ヒーー ウーショール マーシャール エル・ート イスラーール

【文法】
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【翻訳】

【新改訳改訂3】
「人の子よ。イスラエルの家になぞをかけ、たとえを語り、」
【口語訳】
「人の子よ、イスラエルの家になぞをかけ、たとえを語って、」
【新共同訳】
「人の子よ、イスラエルの家に向かって謎をかけ、たとえを語りなさい。」
【岩波訳】
「人の子よ、イスラエルの家に謎をかけ、譬を語れ。」
【NKJV】
"Son of man, pose a riddle, and speak a parable to the house of Israel,
【NIV】
"Son of man, set forth an allegory and tell the house of Israel a parable.

【瞑想】

このフレーズでは、動詞だけでも意味をなすにもかかわらず、その名詞を目的格においてさらに強調しています。

(1)「なぞをかける」を意味する動詞の「フード」חוּדに、謎や難問を意味する名詞の「ヒーダー」חִידָהが付け加えられています。
(2)「たとえを(で)語る」を意味する動詞の「マーシャル」מָשַׁלに、たとえを意味する名詞の「マーシャール」מָשָׂלが付け加えられています。

興味深いことに、「マーシャル」מָשַׁלの第一の意味は「支配する」「統治する」「治める」ですが、第二の意味は「たとえを語る」です。「支配」と「たとえ話を語る」という、一見、つながりそうにも見えないこの語彙の持つ二つの意味がどういう関連を持っているのでしょうか。その関連性とは、神の国の統治理念の中に、神の支配における重要な事柄が隠されているということです。

箴言25章2節に「事を隠すのは神の誉れ。事を探るのは王の誉れ」とあるように、神の国の重要な事柄が隠されていること、秘密にされていることは、神の統治においてふさわしいことだということです。この格言が意味することは、神は探り知り得ない神秘の中におられると同時に、その神秘を神の民が自ら見出させるように働きかける王でもあるということです。使徒パウロの言う「奥義」という言葉は、その真理をよく表わしています。

イエスがこの地上で語られた多くのたとえ話は、神の国についてのものでした。イエスが「たとえ話」をされた後で、繰り返し、「耳のある者は聞きなさい」と言われました(マタイ13:9)。弟子たちがイエスに、「なぜ、たとえでお話しになったのですか」と問いかけると、イエスはこう言われました。「あなたがた(弟子)には、天の御国の奥義を知ることが許されているが、彼ら(民衆)には許されていない。」と。つまり、その真意は自ら尋ね求めることがないならば、聞いていても悟ることができない仕掛けになっているということです。このことは重要です。「たとえ話」は人に分かりやすく伝えるためのものではなく、その真意は何かと問いかけさせ、尋ね求めさせ、自ら考えさせるための神の教育法なのです。神とその支配のすばらしさを知ろうとするのでなければ、決して分からない仕掛けになっているのです。まさに「神の国は隠れている」のです。

ですから、神の国(支配)に関して、主イエスは「求めなさい。捜しなさい。たたきなさい。」と命じています。なぜなら、求め続ける者には必ず与えられるからです。捜し続ける者は見出すことができるからです。そしてたたき続ける者にはその奥義が開かれるからです。ここに神の国のたとえの秘密があります。

イエスがたとえ話で神の国の真理を語ったのは、その土台が旧約の中にあります。エゼキエル書17章では、エルサレムにすでに起こったこととこれから起ころうとすることがたとえで語られています。エゼキエル17章は三つの区分からなり、第一区分はたとえ(2~10節)、第二区分はその解釈(11~21節)、そして第三区分が再びたとえです(22~24節)。この第三区分のたとえの意味が、実はきわめて重要なのです。そこにはメシアによる神の王国の実現が預言されているからです。

士師記の14章にサムソンがなぞかけをした話があります。これも今回のフレーズと大いに関係があります。ここにはサムソンが異邦人であるティムナの女性と結婚するその婚宴の席でなぞかけをしています。そのなぞを解き明かしたなら、高価な着物をやり取りするという条件で客たちは同意します。そのなぞかけとは「食らうものから食べ物が出、強いものから甘い物が出た」(14:14)とは何かというものでした。客たちはなかなかそのなぞを解き明かすことができませんでした。婚礼の最後の日、つまり、七日目にサムソンは妻の涙ながらの執拗な解き明かしの頼みに負けて、なぞを明かしてしまいます。彼女はそれを自分の仲間である客たちに明かしてしまったのです。「食らうものから食べ物が出」の「食らうもの」とは「獅子」のこと、「強いものから甘い物か出た」の「甘い物」とは「蜂蜜」のことでした。

このたとえ話にはさらなる深い秘密があります。蜂蜜といえば、ヨナタンが森でそれを見つけて食べると、疲れた身体が回復して目がきらきらと輝いたように、この「蜂蜜」は新約では聖霊の賜物を象徴しています。しかしそのためにイエスの肉体が裂かれ、血を流して死ななければなりませんでした。獅子とその中から出た蜂蜜は、イエスと聖霊を象徴していたのです。

神の国の支配とその理念はたとえ話で語られます。そのたとえ話の中に隠されている神の秘密は、それを知ろうする者にのみ開かれるのです。


2013.5.30


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