そのとき、盲人の目は開かれ
【聖書順索引】
119. そのとき、盲人の目は開かれ
【聖書箇所】 イザヤ書35章5節
【読み】
【文法】
【翻訳】
【新改訳改訂3】
そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。
【新改訳第二版】
そのとき、盲人の目は開かれ、耳しいた者の耳はあけられる。
【口語訳】
その時、見えない人の目は開かれ、聞えない人の耳は聞えるようになる。
【新共同訳】
そのとき、見えない人の目が開き/聞こえない人の耳が開く。
【NKJV】
Then the eyes of the blind shall be opened, And the ears of the deaf shall be unstopped.
【NIV】
Isa 35:5 Then will the eyes of the blind be opened / and the ears of the deaf unstopped.
【瞑想】
「そのとき」とは4節にあるように「神は来て、あなたがたを救われる」とき、つまりメシアが来られる時のことです。そのときには、メシアにしかできない奇蹟が起こる事をイザヤは預言しています。そのメシアであることのしるしとなる奇蹟は、5節に限って言えば、「盲人の目が開かれること」と、「耳が聞こえない人の耳が聞こえるようになること」です。
イエスの時代の人々は、約束されたメシアが到来する時には、そのような奇蹟を見られるようになるということをラビたちから聞いて教わっていました。しかしメシアとして来られた神の御子イエスは、自分の口から「わたしはメシアである」と言わず、メシアにしかできない奇蹟をすることで、そのことをお示しになったのでした。バプテスマのヨハネが捕えられた時、ヨハネは二人の弟子たちをイエスのところに遣わしてこう尋ねました。
【新改訳改訂第3版】マタイの福音書11章2~6節
2 さて、獄中でキリストのみわざについて聞いたヨハネは、その弟子たちに託して、
3 イエスにこう言い送った。「おいでになるはずの方は、あなたですか。それとも、私たちは別の方を待つべきでしょうか。」
4 イエスは答えて、彼らに言われた。「あなたがたは行って、自分たちの聞いたり見たりしていることをヨハネに報告しなさい。
5 目の見えない者が見、足のなえた者が歩き、ツァラアトに冒された者がきよめられ、耳の聞こえない者が聞き、死人が生き返り、貧しい者たちに福音が宣べ伝えられている。
6 だれでもわたしにつまずかない者は幸いです。」このイエスのことばの中に、イザヤ35章で預言されたメシアのしるしである奇蹟が記されています。
(1) 盲人の目が開かれた奇蹟
a.共観福音書・・「ふたりの盲人の開眼」(マタイ9:27~31/20:29~34)、b.ヨハネの福音書9章 「生まれつき盲人の開眼」
当時の宗教指導者であるバリサイ人たちは、イエスが「盲人の目を開けた」ことよりも、そのことが行われた日が「安息日」であったことに言いがかりをつけました。イエスは神から出たのではない。なぜなら、安息日を守らないからだというのがその理由でした。イエスがなさった事実よりも、自分たち(人間)の言い伝えの方を大切にしようとしたのです。しかしこの見方に対して「罪人である者に、どうしてこのようなしるしを行なうことができよう。」との異論も出ました。そして人々の間に分裂が起こったと記されています(ヨハネ9:16)。イエスによって目を開かれた人はこう言っています。「盲目に生まれついた者の目をあけた者があるなどとは、昔から聞いたこともありません(直訳「古い時代以来聞かれなかった」)。もしあの方(イエス)が神から出ておられるのでなかったなら、何もできないはずです。」(同、9:32~33)と。
c.使徒の働き・・・サウロ(後の使徒パウロ)の目からうろこのようなものが落ちて、今まで見えなかったものかせ見えるようになりました。それは自分が迫害していたイエスこそ、キリストであるということです。
(2) 耳の聞こえない者の耳が開かれる奇蹟
四つの福音書、その他にもその具体的な例はありません。ところが、イエスご自身が「耳の聞こえない者が聞き」と語っています。ですから、具体例が記されていないとしても、その奇蹟がなかったことにはなりません。「自分たちの聞いたり、見たりしていることをヨハネに報告しなさい」とあるように、多くの人々がイエスのなさった奇蹟を見ているからです。イエスがなさったことは、肉体的な耳以上に、むしろ、霊の耳、心の耳を開かれました。当時の指導者たちは、長い間、神から遣わされた預言者たちの語ることに耳を傾けませんでした。イエスは預言者としてたとえで語られました。たとえ話は、一見だれにでも分かるように思われがちですが、真実はその逆です。心の耳が塞がれているゆえに、たとえで語られても「聞くには聞くが、悟ることができない」のです。イエスは繰り返して、「聞く耳のある者は聞きなさい」と言われましたが、その真意はイエスがメシアであると信じる者だけが、みことばを聞いてその意味を尋ねるようになり、その真意を悟ることができるのです。人間の力や努力では神のみことばを聞いてもそれを悟ることは出来ないのです。「目が開かれること」と「耳が開かれること」は連動しているのです。
2013.7.16
a:5564 t:1 y:1