あなたは、主の前に全き者であるべきだ
【聖書順索引】
62. あなたは、主の前に全き者であるべきだ
【聖書箇所】 申命記18篇13節
【読み】
ターミーム ティヒイェ イム アドナーイ エローヘーハー【文法】
【翻訳】
【新改訳改訂3】
あなたは、あなたの神、【主】に対して全き者でなければならない。
【口語訳】
あなたの神、主の前にあなたは全き者でなければならない。
【新共同訳】
あなたは、あなたの神、主と共にあって全き者でなければならない。
【岩波訳】
あなたは、あなたの神ヤハウェと共にあって全き者でなければならない。
【関根訳】
君は君の神、ヤハヴェに対して全くあらねばならぬ。
【バルバロ訳】
おまえは主の前で申し分のない者でなければならない。
【NKJV】
"You shall be blameless before the Lord your God.
※前置詞の「イム」עִםを、七十人訳では「~の前に」と訳しています。「~の前に」「共にあって」「に対して」、バルバロ訳の「申し分のない者」も面白い訳です。
【瞑想】
とても短いフレーズです。しかしその意味はとても深淵です。
ここでは形容詞の「ターミーム」תָּמִיםに注目します。神の前において、「全き者」「申し分のない者」とはどのような者をいうのでしょうか。「ターミーム」תָּמִיםは聖書で191回使われていますが、人に対しても、また神へのいけにえとしてささげられる物に対しても使われます。旧約聖書ではじめて「全き人」(ターミーム)と称される模範的人物はノアです。次に、神はアブラハムに対しても「全き者であれ」と要求しています。本来、「ターミーム」は、「完全、非難されることのない、罪のない、汚れのない、傷のない、潔白な、正しい、申し分のない」を意味する形容詞ですが、ここでは、道徳的な意味で完全な者であれということではなく、神とのかかわりにおいて完全であること、つまり神を信頼することにおいて完全であれという神の要求、すなわち「神に対する完全な信頼」を意味しています。
この「ターミーム」の言葉を完全にあかしすることのできた人物は、神の子イエス・キリストです。
神が常に完全なものを要求される方であるということは、出エジプト記の過越の出来事にも見られます。神が全エジプトに最後のさばきーすべての長子(人も家畜もすべて)に死をもたらすというさばきーを下そうとされた時、イスラエルにそのさばきを過ぎ越させるひとつの方法を示されました。それはそれぞれ家族ごとに一頭の羊(1歳の小羊)を準備させ、傷がないか、欠陥がないか、病気をもっていないかなどを調べる5日間のチェック期間をもうけさせました。そこで重要なことは、門柱とかもいに塗られた血が、全く傷のない羊の血でなければならなかったということです。でなければ、何の効力もなかったからです。小羊の傷なき完全な血だけが私たちを神のさばきから救うのです。
これは型です。やがて神の御子イエス・キリストが遣わされて、肉体をもたれたことによって、私たちのための完全ないけにえとなられました。そしてそのいけにえから流れ出た血潮(=いのち)こそ、私たちを永遠に救うことができるのです。この方を信じることによって、私たちは神の御前において「義」=「全き者」と認められるのです。これが福音です。
詩篇15篇1節には、「主よ。だれが、あなたの幕屋に宿るのでしょうか。だれが、あなたの聖なる山に住むのでしょうか。」との大いなる問いかけがあります。その問いかけを満たす条件が、この詩篇では8項目挙げられています(いずれも隣人とのかかわりにおいて)が、その最初に挙げられているのがこの「ターミーム」です。非難されることのない完全な人です。前篇の14篇では「善を行う者はいない、ひとりもいない」とされているにもかかわらずです。新約の光から見るならば、「キリストにある」者だけがこの問いかけに確信をもって答えることができます。なぜなら、キリストは、ご自分によって神に近づく人々を、完全に救うことがおできになるからです。
神は完全を要求する方であると同時に、完全を満たす方でもあるのです。
2013.4.17
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