****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

あなたのみおしえのうちにある奇しいこと

文字サイズ:

72. あなたのみおしえのうちにある奇しいこと

【聖書箇所】 詩篇119篇18節

画像の説明

【読み】
ル ーナイ ヴェアーター ニフラーート ミトーーテ

【文法】
画像の説明

【翻訳】

【新改訳改訂3】
私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。
【口語訳】
わたしの目を開いて、あなたのおきてのうちの/くすしき事を見させてください。
【新共同訳】
わたしの目の覆いを払ってください/あなたの律法の驚くべき力に/わたしは目を注ぎます。
【NKJV】
Open my eyes, that I may see Wondrous things from Your law.

【瞑想】

18節の「あなたのみおしえにある奇しいこと」をいろいろな聖書の翻訳を開いてみると、新共同訳では「あなたの律法の驚くべき力」と訳されています。関根訳では「あなたの律法のうちにある妙なるもの」、フランシスコ会訳では「あなたの教えのすばらしさ」、バルバロ訳では「あなたの法の不思議」、LB訳では「おことばの中に隠されているすばらしい祝福」、NIV訳では“wonderful things from Thy law” と訳されています。

作者の目が開かれて、目をとめたいと願っている神のトーラーのうちにある「奇しいこと」「妙なるもの」「教えのすばらしさ」「驚くべき力」「すばらしい祝福」と表現されたその実体(正体)とは、いったいどのようなものなのでしょうか。

神の民が、神の教えの「不思議さ」に目が開かれたのはバビロン捕囚以降のことです。捕囚という「辱しめ」の経験を通して、神の民は神の教えの中にある「奇しい」ことに目が開かれ、それに目を留めるようになったのです。その教えとはモーセ五書のことであり、とりわけ申命記はその総括的位置にあります。申命記の中に記されている教えを守ることは、人間的な目には愚かなことのように見えるはずです。常識を超えた教えです。ですから「奇しいこと」なのです。その教えのすばらしさが分かるためには霊の目(信仰の目)が開かれることが必要です。ですから、119篇の作者は「私の目を開いてください。私が、あなたのみおしえのうちにある奇しいことに目を留めるようにしてください。」(18節)と祈っているのです。そして目が開かれた結果、「あなたのさとしは奇しく、それゆえ、私のたましいはそれを守ります。」(129節)と告白し、それに従うことを表明しているのです。その意味で、119:18のみことばはきわめて重要なものだと言わざるを得ません。それは、詩篇119篇が指し示す神の「みおしえ」の本質を表わしているものだからです。

主の律法とは、神の民としての生き方を規定する神の教えの総称です。律法は、「弱い者であることを恐れない生き方」、「自分の力に頼らないで、主を信頼する生き方」を教えています。たとえば・・・

(1) 生存の保障という分野において、律法が定める規定として安息年(7年目)があります。これは、第一に土地を休ませること。第二に6年間奴隷となっていた者は解放しなければならないこと。第三は貧しい者は畑に生えてくるものはほしいだけ取っていいこと。そして第四はすべての負債が免除されることです。これらのことを通して、安息年は貧困の日をぬぐい去る時であったのです。

(2) ヨベルの年(50年目の安息年)にあっては、より大規模な自由と解放が実施される規定がありました。つまり、土地の再配分、再平等化がおこなわれたのです。借用権利は無効となり、土地は解放され、最初にそれを神から与えられた家族に返還されるのです。こうして、どの家族も平等になり、新しい出発をすることができるようにした規定です。このような規定はイスラエルの国以外のどんな国にもありません。

(3) 安息年に種まきや収穫をやめること、またヨベルの年に財産を再配分するということは、一般的な考え方をするならば愚かなに見えます。「7年目にどうして食べていけばよいのか」という心配が起こっても当然でした。しかし律法で規定されるイスラエルの諸制度は、信仰という前提に立っていました。それは常識を超えるものです。神が恵み深い方であることを信じることなくしては到底、守ることのできないものだったのです。


イスラエルの民がエジプトから解放されたのは、彼らが「祭司の国」「聖なる国」となるためでした。彼らはそうした存在となるための新しい生き方を教えられる必要がありました。その必要のために神は「律法(トーラー)」をお与えになりました。律法は神の民が神の民として生きるために神が用いられる補助教材です。もしそれがなければ、神の民はほかの諸国と同じになってしまうからでした「あなたがたの神、主であるわたしが聖であるから、あなたがたも聖なる者とならなければならない。」(レビ19:2)とあるように、神の民はエジプトのような国とも、またカナン人とも同じようになってはならなかったのです。

まさに、律法の規定は、主への信頼を制度化したものであったのです。

【付記】
「主よ。私の目を開いてください」⇒楽譜


2013.4.27


a:1517 t:2 y:1

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional