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衝撃的な情報によって出鼻を挫かれたエズラ

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エズラ記の目次

9. 衝撃的な情報によって出鼻を挫かれたエズラ

【聖書箇所】 9章1節~15節

ベレーシート

  • 聖なるヴィジョンー神の律法によって神の民を再見するというーと思いを抱いて、そのために必要な人材とペルシアの王の絶大な信任を与えられて、しかも四か月の旅も無事に守られてエルサレムに着いたエズラでしたが、そこで衝撃的な情報を知らされたことによって、完全に出鼻をくじかれてしまいました。そのエズラの様子が浮き彫りにされているる箇所です。この章のキーワードを、3節と4節にある「色を失ってすわってしまった」としたい思います。
  • ボクシングの試合でいうならば、開始のゴングが鳴ってから数秒のうちに全く予期しなかったパンチを食らって崩れ落ち、ノックアウトされるようなものです。そのような経験をエズラはしたのです。

1. 衝撃的な情報

  • エズラはエルサレムに帰還した後に、先に帰還した人々の霊的な状況を知らされます。それはエズラにとって衝撃的な情報でした。その情報とは以下のことです。

    【新改訳改訂第3版】エズラ記9章1~2節

    1 イスラエルの民や、祭司や、レビ人は、カナン人、ヘテ人、ペリジ人、エブス人、アモン人、モアブ人、エジプト人、エモリ人などの、忌みきらうべき国々の民と縁を絶つことなく、
    2 かえって、彼らも、その息子たちも、これらの国々の娘をめとり、聖なる種族がこれらの国々の民と混じり合ってしまいました。しかも、つかさたち、代表者たちがこの不信の罪の張本人なのです。

  • イスラエル民だけでなく、神の律法を教える指導的な立場あるに祭司やレビ人たちも、またそして世代を越えて、神が律法で禁じている雑婚をしているということです。しかも、そうした罪の犯させた張本人が民の代表者たちであったという点です。
  • 第一次の帰還からすでに80余年経っていました。その間に、イスラエルの民はかつてバビロンの捕囚となったそのこと(原因)を忘れ、同じ咎と罪過を犯していたのです。神の民イスラエルの民が異邦の民と結婚することは律法で固く禁じられていました。それは神の民が神のトーラーによって聖なる民(種族)となるためでした。これはエズラがこれから取り組もうとしていたことは全く真逆の現実でした。この現実を知らされたエズラは「色を失ってすわってしまった」のでした。

2. 「色を失う」という語彙とその意味

  • 「色を失ってすわってしまった」という表現は二つの動詞から成っています。ここで「色を失う」とは「シャーマム」(שָׁמַם)の強意形(ピエル態の分詞形)で、「すわってしまった」とは「ヤーシャブ」(יָשַׁב)です。
  • シャーマム」(שָׁמַם)は旧約で93回使われていますが、その用法を調べると、いろいろなニュアンスが感じ取れます。
    まず、「驚く」、その結果として「色を失う」「茫然となる」、「憤り」の感情、心が「壊され」、「気がそがれ」て、やる気を「失わされる」、「意気消沈」、心が「荒れ果てる」「寂しく暮らす」「わびしく暮らす」・・といったニュアンスです。この言葉が、土地に用いられると「荒廃する」「干上がる」「荒れ果てる」という意味となり、建物に用いられると「廃墟になる」という意味になります。
  • エズラのこの失意落胆、深い悲しみは、使徒パウロが経験したことを思い起こさせます。パウロは神を喜ばせようとして、「この道」(イエスをメシアと信じる者たち)を迫害しました。しかしダマスコ途上で彼は、突然、「天からの光」に照らされて「地に倒れて」しまいます。予期せぬカウンターパンチです。そのときパウロは天からの主のことばを聞きます。「地に倒された」パウロは、自分が正しいと思って熱心に主のためにしてきたことが、かえって主を苦しめていたことを知ったのでした。そのとき彼の口から出た最初の祈りはこうでした。「主よ。わたしはどうすればよいのでしょうか。」ーこの短い祈りは、自分のなすべきオリエンテーションを完全に失った者の祈りです。
  • エズラの場合、自分自身が犯した咎と罪過ではありませんでしたが、まさに自分が犯したかのように民と連帯しながら、その咎と罪過を背負って主の前に立っています。パウロの場合は自分自身が犯した罪のゆえに祈っています。その点では違いますが、しかし自分がこれからどうすればよいのか分からないというところに立たされていることは、エズラもパウロも同じです。
  • 教会の牧会でも似たようなことが起こります。もし、牧師が常日頃から若い者たちに、信仰を同じくする者を自分の生涯のパートナーとして選ぶように指導していたとします。にもかかわらず、若い者が信仰をもたない者を自分の結婚相手として選んだ場合、しかもすでに取り返しのつかないところまで進展していた場合、どう対処するかという問題に牧師は悩むことになります。反対すればその若者は教会を去るかも知れません。逆に、祝福すれば教会に留まるかもしれませんが、今後、若い者たちにクリスチャンホームの推奨を公にできなくなるというジレンマが生じます。なぜなら、そうしなかった者を常にさばくことになるからです。
  • エズラが経験したことを通して、「聖なるヴィジョンの思い」だけでは、到底実現し得ない、難しい現実があるということを教えられるのです。人間の内にある罪としっかりと向き合うことが求められるのです。


2013.10.19


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