****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかる(1)


8. 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかる (1)

【聖書箇所】Ⅱコリント書8章1節~15節

べレーシート

●Ⅱコリント書8~9章は「献金」についてのまとまった教えが記されています。と言っても、この献金は「エルサレム教会のための貧しい聖徒たちを援助するための献金」です。エルサレム教会は全キリスト者の母教会です。その母教会の貧しい人々を援助するための献金なのです。パウロはすでにⅠコリント書16章1~4節とローマ書15章26~27節でこの献金について述べています。

【新改訳2017】Ⅰコリント書16章1~4節
1 さて、聖徒たちのための献金(「ロゲイア」λογεία)については、ガラテヤの諸教会に命じたとおりに、あなたがたも行いなさい。
2 私がそちらに行ってから献金を集めることがないように、あなたがたはそれぞれ、いつも週の初めの日に、収入に応じて、いくらかでも手もとに蓄えておきなさい。
3 私がそちらに着いたら、あなたがたの承認を得た人たちに手紙を持たせてエルサレムに派遣し、あなたがたの贈り物を届けさせましょう。
4 もし私も行くほうがよければ、その人たちは私と一緒に行くことになるでしょう。

【新改訳2017】ローマ書15章26~27節
26 それは、マケドニアとアカイアの人々が、エルサレムの聖徒たちの中の貧しい人たちのために、喜んで援助をすることにしたからです。
27 彼らは喜んでそうすることにしたのですが、聖徒たちに対してそうする義務もあります。異邦人は彼らの霊的なものにあずかったのですから、物質的なもので彼らに奉仕すべきです。

※26節の「援助」(「コイノーニア」κοινωνία)が、新改訳改定第三版までは「醵金(きょきん)」と訳されていました。

●献金の恵みを教えるに際して土台になるのは、お互いの信頼関係があってのことです。そこが確認されて初めて指導することができます。Ⅱコリント8~9章は、7章までに確認された相互の信頼に基づいています。

●またこの箇所は、教会形成における献金についての聖書的、かつ教会論的教えとしても重要です。なぜなら、(1) 神の恵みに対する責任意識 (2) 教会への帰属意識
この二つによって教会財政の自立が実現されるからです。教会財政は「神への感謝の捧げもの」(献金)に拠っています。教会籍についての考え方はいろいろあるでしょうが、少なくとも、救いにあずかった者はローカル・チャーチを自発的に支え、かつ建て上げていく責任があります。なぜなら、神のすべてのみわざは教会を通してなされるべきだからです。それゆえに、献金に対する正しい指導が必須です。献金に関して、これほどまとまった箇所はここだけです。

●パウロとエルサレム教会とのかかわりは、使徒11章28節にあるように、エルサレム教会は地震や飢餓が起こったために、聖徒たちの経済的貧しさのゆえに支援を必要としていました。

【新改訳2017】使徒の働き11章27~30節
27そのころ、預言者たちがエルサレムからアンティオキアに下って来た。
28 その中の一人で名をアガボという人が立って、世界中に大飢饉が起こると御霊によって預言し、それがクラウディウス帝の時に起こった。
29 弟子たちは、それぞれの力に応じて、ユダヤに住んでいる兄弟たちに救援の物を送ることに決めた。
30 彼らはそれを実行し、バルナバとサウロの手に託して長老たちに送った。

●エルサレム教会に対する献金(支援)は、単なる支援以上に、)異邦人教会とユダヤ人教会の神の家族、神の民として一体性(「新しい一人の人」)をあかしする重要な意味があったのです。そのためにバルナバとサウロ(後のパウロ)が選ばれたのでした。ここからエルサレム教会に対する支援をパウロは継続しようとして、異邦人教会の人々に訴えながら、献金を集めていたのです。

1. マケドニア諸教会の模範を通しての奨励

【新改訳2017】Ⅱコリント書8章1~5節
1 さて、兄弟たち。私たちは、マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。
2 彼らの満ちあふれる喜びと極度の貧しさは、苦しみによる激しい試練の中にあってもあふれ出て、惜しみなく施す富となりました。
3 私は証しします。彼らは自ら進んで、力に応じて、また力以上に献げ、
4 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願しました
5 そして、私たちの期待以上に、神のみこころにしたがって、まず自分自身を主に献げ、私たちにも委ねてくれました。
6 それで私たちは、テトスがこの恵みのわざをあなたがたの間で始めたからには、それを成し遂げるようにと、彼に勧めました。
7 あなたがたはすべてのことに、すなわち、信仰にも、ことばにも、知識にも、あらゆる熱心にも、私たちからあなたがたが受けた愛にもあふれています。そのように、この恵みのわざにもあふれるようになってください。
8 私は命令として言っているのではありません。ただ、他の人々の熱心さを伝えることで、あなたがたの愛が本物であることを確かめようとしているのです。

●パウロは、「マケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなたがたに知らせようと思います。」と言って述べています。その恵みについて整理してみたいと思います。

(1) 特徴

① 自ら進んで(主体的、自発的)・・3節 
●ヘブル語では「喜んで、進んで~する」の「ナーダヴ」(נָדַב)の3人称複数ヒットパエル態が使われています。Ⅰ歴代誌29章にはこの「ナーダヴ」(נָדַב)のヒットパエルの不定詞 (הִתְנַדֵּב)が7回も使われています。主の宮建設のために、ダビデのみならず、「長」と呼ばれるリーダーたち、そして民たちが「自ら進んでささげた」のです。しかも、ささげた者たちがみなそのことで喜んだと記されています。29章5, 6, 9, 9, 14, 17, 17節はすべてヒットパエル態であり、自覚的・自発的・主体的献身によってなされたことが分かります。

② 力に応じて(分相応に、実際は力以上に)・・3節
●ここでの「力」とは経済的能力のこと。ギリシア語は「デュナミス」(δύναμις)、ヘブル語は「コーアッハ」(כֹּחַ)

③ 惜しみなく(気前よく)・・2節
●「惜しみなく施す富となりました」と訳されていますが、直訳では「気前の良い豊かさへと至った」とも訳せます。

④ 聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいという熱心な願い・・4節
●ここを「聖徒たちに対して奉仕の働きへの参加を願い出ること」とも訳せます。この奉仕(献金をささげること)に参加することによって、エルサレム教会との交わり(「コイノーニア」κοινωνία) を願ったのです。

●①~③までは、パウロはマケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを通して、実は聖書(旧約聖書)における神への捧げものについて教えていると考えられます。というのも、そこにある模範は出エジプトしたイスラエルの民たちが幕屋を建造するときに見られたものと同じだったからです。

(2) 状況

① 苦しみゆえの激しい試練の中にもかかわらず・・2節
●おそらく、偶像礼拝にかかわることを拒否することによって仕事を失ったからだと考えられます。信仰のゆえの嫌がらせや迫害によって、「激しい試練」に陥ったと考えられます。これは神のお定めになっていることでした。しかしその中にも神の恵みはあるのです。使徒の働き5章には「使徒たちは、御名のために辱められるに値する者とされたことを喜びながら、最高法院から出て行った。そして毎日、宮や家々でイエスがキリストであると教え、宣べ伝えることをやめなかった」(41~42節)とあります。

②満ち溢れる喜びと極度の貧しさがあふれ出る・・2節
●「苦しみゆえの激しい試練の中にもかかわらず、満ち溢れる喜びと極度の貧しさがあふれ出る」とはどうようことでしょうか。これはエルサレム教会との「主にある共感」が生まれたということです。この「共感」こそ、マケドニアの教会をして、「聖徒たちを支える奉仕の恵みにあずかりたいと、大変な熱意をもって私たちに懇願」をもたらしたのです。

(3) 影響
●マケドニアの諸教会における神の恵みは、コリントの教会に大きな影響を及ぼしたのです。 自分自身を主にささげるあかしとして・・5節
●神のみこころにしたがって、まず主に、そしてパウロたちに対して、コリントの教会の人たちは自分自身をささげて(与えて)くれたことで、エルサレム教会に対する慈善の働きがなされたのです。これは主にある信頼に基づくものでしたが、これはパウロたちの予想を越えていました。

(4) 奨励
① マケドニア教会を模範として「この恵みのわざにもあふれるようになってください」(8:7)
②「あなたがたの愛が本物であることを」あかしをしましょう(8:8)。
③「当初、喜んでしようとしたことを成し遂げましょう。」(8:6, 11)
④ 惜しみながらするのではなく、好意に満ちた贈り物として用意しなさい(9:5)。

(5) 動機
●すべての動機は「神の恵み」(「カリス」χάρις、「ヘセド」חֶסֶד)」です。「ヘセド」とは、「尽きることのない、絶えることのない、変わることのない、信頼に足る、裏切ることのない、確実な愛」という意味です。

2. 献金の動機(8:9)・・・神の恵みへの感謝として

【新改訳2017】Ⅱコリント書 8章9節
あなたがたは、私たちの主イエス・キリストの恵みを知っています。すなわち、主は富んでおられたのに、あなたがたのために貧しくなられました。それは、あなたがたが、キリストの貧しさによって富む者となるためです。

(1) キリストの謙卑
① 受肉前は富んでおられた(御子として栄光に満ちておられた)
② 受肉後は貧しくなられた(神の在り方を捨てられた)貧しさの極点⇒十字架)

(2) キリストの謙卑の模範
●私たちはキリストの犠牲によって富む者とされました。それは神の豊かないのちを持つ者とされただけなく、それを分かち与えることのできる者とされたということなのです。

3. 神の国における平等性の実現・・パウロの献金に対する考え方

【新改訳2017】Ⅱコリント書8章10~15節
10 この献金のことについて、私の意見を述べましょう。それがあなたがたの益になるからです。あなたがたは献金を実行することだけでなく、その志を持つことも、昨年から始めて他に先んじていました。
11 ですから今、それをやり遂げなさい。喜んでしようと思ったとおりに、持っているものでやり遂げてください。
12 喜んでする思いがあるなら、持っていないものに応じてではなく、持っているものに応じて受け入れられるのです。
13 私は、他の人々には楽をさせ、あなたがたには苦労をさせようとしているのではなく、むしろ平等になるように図っています。
14 今あなたがたのゆとりが彼らの不足を補うことは、いずれ彼らのゆとりがあなたがたの不足を補うことになり、そのようにして平等になるのです。
15 「たくさん集めた人にも余ることはなく、少しだけ集めた人にも足りないことはなかった」と書いてあるとおりです。

●10節以降には、パウロの献金に対する考え方を知ることができます。特に15節は出エジプト記16章にある「マナの原則」によって、神は平等を図られる方であることを述べています。それはどういうことでしょう。イスラエルの民が毎日どれだけのマナを集めたとしても、受けるのは、いつも必要な分だけでした。マナを余分に集めて蓄えようとした人々はそれが不可能であることを知らされます。なぜなら、マナは翌日になると腐って悪臭を放ったからです(出エジプト16:20)。この教訓は、自分の必要な分だけを集め、余分に集めた分は足りない者に分け与えることで、神の祝福を自分ためにため込まないというものです。ため込んだものは、私たちを害することになるからです。イェシュアも山上の説教の中で次のように言っています。

【新改訳2017】マタイの福音書6章19~21節
19 自分のために、地上に宝を蓄えるのはやめなさい。そこでは虫やさびで傷物になり、盗人が壁に穴を開けて盗みます。
20 自分のために、天に宝を蓄えなさい。そこでは虫やさびで傷物になることはなく、盗人が壁に穴を開けて盗むこともありません。
21 あなたの宝のあるところ、そこにあなたの心もあるのです。

●初代教会はこうした教えを実践していたのです。つまり、初代のキリスト者は自分たちの持っているものを自発的に分け合いました。強要することなく、律法的でもありませんでした。与える恵みとはあくまでも神への信仰の問題なのです。つまり、他の人々を助けることができように、神は私たちの必要を満たしてくださるという信仰があるからです。教会という共同体は、そうした信仰によって生かされているのです。

2019.5.9


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