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第四の幻

第四の幻:「天の法廷に立つ大祭司ヨシュア」

【聖書箇所】ゼカリヤ書3章1~10節

ベレーシート

●神がご自身の民を立ち返らせるためにゼカリヤに見せた幻の第四は、天の法廷に立つ大祭司ヨシュアの姿でした。彼がサタンに告発され、主の御使いが弁護している情景です。

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【新改訳2017】ゼカリヤ書3章1~7節
1 主は、【主】の使いの前に立っている大祭司ヨシュアを私にお見せになった。サタンが彼を訴えようとしてその右手に立っていた。
2 【主】は(=新共同訳「主の御使いは」)サタンに言われた。「サタンよ、【主】がおまえをとがめる。エルサレムを選んだ【主】が、おまえをとがめる。この者は、火から取り出した燃えさしではないか。」
3 ヨシュアは汚れた服を着て、主の使いの前に立っていた。
4 御使いは、自分の前に立っている者たちにこう答えた。「彼の汚れた服を脱がせよ。」そしてヨシュアに言った。「見よ、わたしはあなたの咎を除いた。あなたに礼服を着せよう。」
5 私(=新共同訳「御使い」)は言った。「彼の頭に、きよいターバンをかぶらせなければなりません。」すると彼らは、彼の頭にきよいターバンをかぶらせ、服を着せた。そのとき、【主】の使いはそばに立っていた。
6 【主】の使いはヨシュアを諭して言った。
7 「万軍の【主】はこう言われる。『もし、あなたがわたしの道に歩み、わたしの戒めを守るなら、あなたもまた、わたしの家を治め、わたしの庭を守るようになる。この立っている者たちの間に
出入りすることをわたしはあなたに許す。

●この情景を描きながら新改訳聖書を読んでも、登場人物の人称で混乱します。新共同訳聖書はそれを改善して、筋が通るようにしています。

1. 不義を取り去られ、礼服を着させられた大祭司ヨシュア

●ゼカリヤが見聞きしたことばを一つひとつ、その意味するところを探って行きたいと思います。

(1) 大祭司ヨシュア (1節)

●大祭司ヨシュアは、捕囚から解放されて帰還した人々の指導者の一人です。それゆえ、個人としてのヨシュアのみならず、イスラエルの民全体を代表する存在と言えます。個人としてのヨシュアが汚れているならば、その下にいる民たちも神に近づくことができないからです。したがって、大祭司は最もきよい存在でなければなりませんでした。バビロンでは神殿がないため、祭司として聖なる装束を着ることも、またその務めをすることもありませんでした。それゆえ、彼の祭司としての服は汚れていたはずです。これから神殿を再建しようとするときに、サタンはその神殿で大きな責任を与えられている大祭司を、律法の規定を基準に告発したものと考えられます。

(2) 「この者は、火から取り出した燃えさしではないか」(2節)

●さて、主の御使いは告発された大祭司ヨシュアを弁護しはじめます。そのことばの中に「この者は、火から取り出した燃えさしではないか」とありますが、どういう意味でしょうか。それは、ヨシュアおよび彼を代表とする神の民が、バビロン捕囚においてすでに神からの十分な愛の懲らしめを受けたことを意味しています。預言者イザヤも主の慰めを語り、「その苦役は終わり、その咎は償われている、と。そのすべての罪に代えて、二倍のものを主の手から受けている、と。」(イザヤ40:2)と呼びかけています。主の側からすれば、神の民(ここではユダ)の咎は赦されたゆえに、サタンの訴える根拠がないことを弁護したことばなのです。

(3) 「礼服を着せよう」(4節)

●咎が赦された者(ここでは大祭司ヨシュア)が主の務めを果たすために、汚れた服を脱がせ、それにふさわしい礼服(聖なる装束、式服)を着せようとします。さらに主の御使いは、自分に仕えている者たちに「彼の頭にきよいターバンをかぶらせよ」と命じます(新共同訳)。大祭司の聖なる装束の中で、頭にかぶるターバン(「ミツネフェット」מִצְנֶפֶת)は上等の亜麻布でできており、その前面には青ひもで純金の札が結び付けられました(出28:36‐39、レビ16:4)。その純金の札には「主の聖なるもの」(「コーデシュ・ラドナイ」קֹדֶשׁ לַיהוה)と記されていました。従属の祭司たちの頭にかぶるものは別のヘブル語「ミグバーアー」(מִגְבָּעָה)が使われています。大祭司のターバンは、英語ではheadbandと訳されています。また、従属の祭司のターバンには純金の札もありませんでした。

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「頭にきよいターバンをかぶらせる」とは「祭司の務めを回復する」ことを意味します。

●ところで、ここで主の御使いがヨシュアにかぶらせようとしたターバンの原語は「ツァーニーフ」(צָנִיף)と言います。その語源は「ツァーナフ」(צָנַף)で「巻きつける、(かぶり物を)かぶる」という意味です。この語彙は旧約では4回しか使われていません(ヨブ29:14/イザヤ62:3/ゼカリヤ3:5, 5)。初出箇所のヨブ記では、ヨブが自分の公正をターバンにたとえて表現しています。イザヤは以下のように使っています。

【新改訳2017】イザヤ書 62章3節
あなたは【主】の手にある輝かしい冠となり、
あなたの神の手のひらにある王のかぶり物となる

●ここにある「あなた」とは「エルサレム(シオン)」のことです。「主の手にある輝かしい冠」と「神の手のひらにある王のかぶり物」とは同義です。メシア王国において、エルサレムが「主の手にある最も栄誉のある、最も価値のある、最も尊い冠となり、かつ、王のかぶり物となる」ことがたたえられています。つまり、
エルサレムは神にとって特別な存在となり、聖なる民、祭司の王国としての存在を回復することを意味しています。ゼカリヤ書3章5節もそのことを指し示していると考えられます。そのために大祭司であるヨシュアは、「主の道を歩み」、「主の戒めを守る」ことが不可欠となります。

2. メシアのしるしとなるべきヨシュアとその同僚

【新改訳2017】ゼカリヤ書3章8~10節
8 聞け、大祭司ヨシュアよ。あなたも、あなたの前に座している同僚たちも。彼らはしるしとなる人たちだ。見よ、わたしはわたしのしもべ、若枝を来させる。
9 見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石を。一つの石の上には、七つの目がある。見よ、わたしはそれに文字を彫る。──万軍の【主】のことば──一日のうちに、わたしはその地の咎を取り除く。
10 その日には、──万軍の【主】のことば──あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木といちじくの木の下に招き合う。』」

(1) 「しるしとなる人たち」(8節)

●主の御使いは大祭司ヨシュアに対して、彼とその同僚たちは「しるしとなる人たちだ」と言います(8節)。何のしるしかと言えば、それは「メシア来臨のしるし」です。つまり、大祭司ヨシュアとその同僚の祭司たちによる祭司職の回復は、人々を神の前に立たせる永遠の王である祭司(メシア)の到来のしるしとなるということです。

(2) わたしのしもべ、若枝、一つの石(8~9節)

●「わたしはわたしのしもべ、若枝を来させる。見よ、わたしがヨシュアの前に置いた石を」(8, 9節)とあります。ここでの「わたしのしもべ」「若枝」「」はすべてメシアの称号です。
「わたしのしもべ」(①イザヤ42:1~9/②49:1~6/③50:4~9/④52:13~53:12)、
「若枝」(イザヤ4:2/61:11、及びエレミヤ23:5/33:15、ゼカリヤ6:12は「ツェマハ」צֶמַח。イザヤ11:1/53:2等は「ネーツェル」נֵצֶר)。「ネーツェル」の子音から「ナザレ」が派生します。

●「石」についての説明で、その石の上には「七つの目がある。・・・それに文字を彫る」とあります。石に付随している「七つの目」は、ゼカリヤ書4章10節では「全地を行き巡る主の目である」とあります。それは聖霊のことを意味します。また、その石に彫り刻まれるのは、おそらく神の神聖四文字(יהוה)です。つまり御父の存在を意味しています。ですから、「一つの石」と「七つの目」とそこに「彫られる文字」は、「御子、御霊、御父」を啓示しているとも言えます。その「石」は一日のうちに、「その地」、つまりエルサレムとそこに住む神の民の不義(咎)を取り除く力があると言われます。

(3) 「あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木といちじくの木の下に招き合う」

【新改訳2017】ゼカリヤ書 3章10 節
その日には、──万軍の【主】のことば──あなたがたは互いに自分の友を、ぶどうの木といちじくの木の下に招き合う。』」

●このことばの意味は、以下の箇所を読めば分かります。
【新改訳2017】Ⅰ列王記 4章25節
ユダとイスラエルは、ソロモンの治世中、ダンからベエル・シェバに至るまでのどこでも、それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。

●ユダとイスラエルはソロモンの治世の時まで一つでした。「ダンからベエル・シェバに至るまで」のメリスマ修辞法が使われています。つまり北から南までの意味です。イスラエル全体です。そのように、「その日には」(=終わりの日には、メシアが来られる時には)、「それぞれ自分のぶどうの木の下や、いちじくの木の下で安心して暮らした。」という、まさに全イスラエルが回復するという預言です。現代の時点では想像もできないようなことが、やがてこの地上でなされるのです。ちなみに、「ぶどうの木」は「神と人を喜ばせる新しいぶどう酒」(士9:13)を意味し、「いちじくの木」は「甘みと良い実」(士9:11)を意味します。そうした祝福に満ちた王国が大祭司イェシュア・メシアによってもたらされることを、ゼカリヤは幻を通して見せられたのです。

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The 2nd Celebrate Sukkot 集会Ⅳ 2023.10.4(Wen/朝)
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