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第八の幻

第八の幻:「四台の戦車」

【聖書箇所】ゼカリヤ書6章1~15節

ベレーシート

●「主があなたがたを祝福しておられ、決してあなたがたを忘れてはおられない。これが主の契約におけるあかしなのだ」という「イドの子ベレクヤの子ゼカリヤ」の名前から、この書を学び始めました。この書のメッセージは明確です。それは、「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る。」というものです。これはイェシュアが語った「悔い改めなさい。天の御国が近づいたから」という神の熱い思いと同じものです。その宣言から、イェシュアはたとえや奇蹟というデモンストレーションを通して「御国の福音」を語っていきました。ゼカリヤ書の場合は、八つの幻を通して語られています。今回はその最後の幻を見ます。

●第一から第八までの幻が意味することは、結論的に言うならば、イスラエルの民が神に帰り、神も彼らに帰ることが実現するためのプロセスやその方法についての預言であるということです。神と民とがひとつになるというインマヌエルのヴィジョンは「神殿」において現わされます。神殿の再建は、目に見える神殿と、やがてキリストの再臨によって実現する神殿が重層的に語られていきます。その点を心に据えておく必要があります。神の最後になさることに目が開かれることで、神の民の霊の目が開かれて神に立ち返って来ることを求めているのです。このことは私たちも同様で、最後のことがわかることで、目に見えることに振り回されることなく、「神のみそばにいることが幸せです」(詩篇73:28)となり、「まことに、神はいつくしみ深い」となるのです。

【新改訳2017】詩篇 119篇71節
苦しみにあったことは私にとって幸せでした。それにより私はあなたのおきてを学びました
【新共同訳】詩篇 119篇71節
卑しめられたのはわたしのために良いことでした。わたしはあなたの掟を学ぶようになりました

●ここにある「学びました、学ぶようになりました」ということばは、単に知識として学ぶということではなく、それ以上のもっと深いことばです。ここでの「学ぶ」と訳された語彙は「教える」という意味ですが、詩篇119篇で初めて「学ぶ」という意味で使われるのです。彼らはバビロン経験を通して、つまり、苦しめられ、卑しめられる経験を通してはじめて「主の掟を学ぶようになった」のです。その「主の掟」の「掟」は「フッカー」(חֻקָּה)で、主の祈りの中にある「日ごとの糧」の「日ごと」に相当することばです。それは御国に生きるにふさわしい知恵を今日も与えてくださいという意味で、彼らは神の歴史支配における主の主権の絶妙なる案配を学ぶようになったということです。私たちもそうした「日ごとの糧」として、ゼカリヤが語った最後の幻を見ていきたいと思います。それはとても堅いパンですが・・・

1. 第八の幻の特徴とそれが意味すること

【新改訳2017】ゼカリヤ書6章1~8節
1 私が再び目を上げて見ると、なんと、四台の戦車が二つの山の間から出て来た。山は青銅の山であった。
2 第一の戦車には赤い馬が、第二の戦車には黒い馬が、
3 第三の戦車には白い馬が、第四の戦車には斑毛の強い馬が、数頭ずつつながれていた。
4 私は、私と話していた御使いに尋ねた。「主よ、これらは何ですか。
5 御使いは答えた。「これらは天の四方の風だ。全地の主の前に立った後に、出て行くことになる。
6 そのうちの黒い馬は北の地へ出て行き、白い馬は西へ出て行き、斑毛の馬は南の地へ出て行く。」
7 強い馬たちが出て来た。それらは地を駆け巡ろうとしていたので、彼が「行って、地を駆け巡れ」と言うと、それらは地を駆け巡った。
8 そのとき、彼は私に叫んで、次のように告げた。「見よ、北の地へ出て行った馬を。これらは北の地で、わたしの霊を鎮めた。」

●ゼカリヤ書5章に記されていた第六の幻の「飛んでいる巻物」と、第七の幻の「エパ升」がいずれも神のさばきを表していたように、今回の第八の幻である「四台の戦車」も同様に神のさばきを預言しています。

(1) 「四」という数字の象徴的意味

●第八の幻は「」(「アドゥバ」אַדְבַּע)という数字が重要です。「四台」の戦車、「四方」の風という表現が見られますが、「」は「すべてのもの、全体」を象徴する数であると同時に、「」でもあるのです。ゼカリヤ書6章では、異邦人諸国のさばきを示すものとして、「全地の主の前から出て行く四台の戦車」が、「天の四方の風」として啓示されています。つまり「四台の戦車」と「天の四方の風(=霊)」は同義です。これらが神のさばきを遂行するのです。そしてそのさばきは諸国民の上に行われます。余談ですが、このさばきの前に、「イスラエルの残りの者」が起こされます。その預言が以下にあります。

【新改訳2017】ヨハネの黙示録7章1~3節
1 その後、私は四人の御使いを見た。彼らは地の四隅に立ち、地の四方の風をしっかりと押さえて、地にも海にもどんな木にも吹きつけないようにしていた。
(※「地」はイスラエルを象徴。「海」は諸国の異邦人を象徴。「木」は個々人を象徴。)
2 また私は、もう一人の御使いが、日の昇る方から、生ける神の印を持って上って来るのを見た。彼は、地にも海にも害を加えることを許された四人の御使いたちに、大声で叫んだ。
(※「神の印」とは真の神の民の象徴で、この印を押されるのは「イスラエルの残りの者」。)
3 「私たちが神のしもべたちの額に印を押してしまうまで、地にも海にも木にも害を加えてはいけない。」

(2) 二つの山の間から(1節)

●1節には、「四台の戦車」が「二つの山の間から出て来た」とあります。この「二つの山」は何を意味しているのでしょうか。まずこの「二つの山」には定冠詞がついていますから、ある特定の山を指しています。また、「二」という数は確かさを示す「証し」の数でもあります。その「二つの山」とは「シオンの山とオリーブ山」のことです。その間といえば、共同墓地がある「ギデオンの谷」です。そこは「ヨシャパテの谷」とも呼ばれますが、「ヨシャパテ」(וְהוֹשָׁפָט)の語源「シャーファト」(שָׁפַט)には「神がさばかれる」という意味があります。そこから「四台の戦車」が出て来ること、さらにその二つの山がさばきの象徴である「青銅の山」と呼ばれています。

●「青銅」については、幕屋に置かれた「青銅の祭壇」、モーセが荒野で作った「青銅の蛇」のように、神のさばきにかかわるものとして用いられています。その「青銅の山」から戦車や風が出てくるということは、神のさばきが断固として行われるということを啓示しています。「ヨシャパテの谷」こそ、獣と呼ばれる反キリストがハルマゲドンに招集した諸国の軍勢の最終的なさばきがなされる場所だと考えられます。

(3) 四台の戦車を引くそれぞれの馬の派遣

●第一の戦車を引くのは「赤い馬」、第二の戦車を引くのは「黒い馬」、第三の戦車を引くのは「白い馬」、第四の戦車を引くのは「斑毛の強い馬」です。ところが6節以降を見ると、「そのうちの黒い馬は北の地へ出て行き、白い馬は西へ出て行き、斑毛の馬は南の地へ出て行く」とあります。
※【新改訳2017】では「西へ」と訳されていますが、これまでは「彼らのあとに」(新改訳)と訳されていました。原文には「西」ということばはありません。そこは、「ハッルヴァーニーム・ヤーツウー・エル・アハレーヘム」、
הַלְּבָנִים יָצְאוּ אֶל־אַחֲרֵיהֶםとなっていて、「白い(馬々)が、彼らのあとに出ていく」という意味です。しかし、8節を見ると分かるように、「北」の方向が重要なのです。なぜなら、イスラエルにとって北の方向が災いが来る方向で、鬼門なのです。その意味で「北」の方向について、「見よ、北の地へ出て行った馬を。これらは北の地で、わたしの霊を鎮めた」と注視しています。「わたしの霊」とは「神の霊」です。神は、神の敵の中心地である北のバビロンに関して、そこを完全に神の主権のもとに置くことによって、「わたしの霊を鎮めた(=わたしの怒りを静める、休めた、「ヌーアッハ」נוּחַ)」と預言的完了形(必ずそうなること)で表現しています。

●第一の戦車を引く「赤い馬」についての説明がなく、第二の戦車を引く「黒い馬」が北の地へ出て行ったことが記されて、次いで「白い馬」が、そして「斑毛の馬」が南の地へと駆け巡ります(派遣されます)。この幻の解釈としては、四台の戦車はダニエル書7章1~3節に出て来る四頭の獣(異邦人による強国)と関連して、世界に広がる帝国をさばくものと言えます。ゼカリヤの時代には、すでにバビロンがさばかれて存在していないため、「赤い馬」が遣わされていません。「黒い馬」が遣わされたところは「北の地」でバビロンです。この「黒い馬」はペルシアを指していると考えられます。このような解釈に立つなら、「白い馬」はギリシア、「斑毛の馬」はギリシアの覇権をとどめたローマと考えることができるかも知れません。

●第一の幻では「赤毛・栗毛・白い馬」が登場しましたが、最後の第八の幻でも「赤・黒・白・斑毛」の馬が登場しています。「馬」は迅速さの象徴です。つまり神のさばきは速やかに来るのです。「必ず来る。遅れることはない。」(ハバクク2:3)とあります。この「遅れることはない」も神の感覚です。必ず、神の支配と統治が全世界に及んで行くのです。それゆえ「王冠の戴冠」の宣言がなされるのです

2. 王冠の戴冠の宣言(9~15節)

【新改訳2017】ゼカリヤ書6章9~15節
9 また、私に次のような【主】のことばがあった。
10 「捕囚の民であったヘルダイ、トビヤ、エダヤからささげ物を受け取れ。その日あなたは行って、バビロンから帰って来た、ゼパニヤの子ヨシヤの家に入れ。
11 銀と金を取って冠を作って、エホツァダクの子、大祭司ヨシュアの頭にかぶらせ
12 彼にこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。見よ、一人の人を。その名は若枝(צֶמַח)。彼は自分のいるところから芽を出し(צָמַח)、【主】の神殿(הֵיכָל)を建てる(בָּנָה)。
13 彼が【主】の神殿を建て、彼が威光を帯び、王座に就いて支配する(מָשַׁל)。その王座の傍らに一人の祭司がいて、二人の間には、平和の計画がある。』
※キリストにあって王職と祭司職とが一致することが預言されています。来るべきメシアが王であり祭司ですが、祭司職の優先性が強調されています。
14 その冠は、ヘルダイ、トビヤ、エダヤ、ゼパニヤの子ヨシヤの記念として、【主】の神殿の中に残る。
15 また、遠く離れていた者たち(=異邦の民)も来て、【主】の神殿を建てる。このときあなたがたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わしたことを知る。もしあなたがたが自分たちの神、【主】の声に確かに聞き従うなら、そのようになる。」

(1) 王冠の制作 

●バビロンから帰還した三人から献げられる金と銀をもって、ゼパニヤの子ヨシヤのところに行くようにゼカリヤは命じられます。ヨシヤもまた捕囚から帰還した者の一人でした。おそらくヨシヤは王冠を作る技術者であったと考えられます。彼と協力して王冠を作り、それを大祭司ヨシュアの頭にかぶらせて、次のことばを宣言するよう命じられます。

【新改訳2017】ゼカリヤ書6章12~14節
12 彼にこう言え。『万軍の【主】はこう言われる。見よ、一人の人を。その名は若枝。彼は自分のいるところから芽を出し、【主】の神殿を建てる。
13 彼が【主】の神殿を建て、彼が威光を帯び、王座に就いて支配する。その王座の傍らに一人の祭司がいて、二人の間には、平和の計画がある。』
14 その冠は、ヘルダイ、トビヤ、エダヤ、ゼパニヤの子ヨシヤの記念として、【主】の神殿の中に残る。

●王冠は大祭司の頭にかぶせられ、その後、その冠は「ヘルダイ、トビヤ、エダヤ、ゼパニヤの子ヨシヤ」の記念として、再建された神殿の中に設置されます(14節)。この名前の羅列はいったい何を意味するのでしょうか。名前が意味することを並べてみましょう。

①「ヘルダイ」(ヘブル語では「ヘーレム」חֵלֶם)は、「力ある者、健全なもの」
②「トビヤ」(טוֹבִיָּה)は、「主はいつくしみ深い」
③「エダヤ」(יְדַעְיָה)は、「主は知り給う」
④「ヨシヤ」(ヘブル語では「ヘーン」חֵן)は、「寵愛」

●これらの名前の意味するところを並べてみるなら、そこにはいずれも神殿を建て上げる者にふさわしい祭司の霊性が示されています。「御子は、御父の秘蔵っ子であり、力ある者である。私たちを知り、いつくしみ深い方である。」

(2) 戴冠の霊的な意味

●戴冠の宣言で重要なのはその霊的意味です。真の主の神殿を建て直すのは「一人の若枝」だと宣言されていることです。「若枝」とはメシアの称号です。この若枝は王であると同時に大祭司であるという存在です。本来ならば、王の系譜はユダ族で、大祭司の系譜はレビ族です。しかもアロンの直系でなければなりません。ところが、王と祭司の二つの資格を持っていた人物が歴史の中に登場しています。それは「メルキゼデク」(創世記14章、へブル5,7章)です。彼の系譜から、この二つの役職を担う人物が生え出るのです。それは「イェシュア・メシア」です。総督の名の「ゼルバベル」もメシアの型です。「バベルの子孫(種)」という意味ですが、メシアの系譜を「メルキゼデク」としているように、生粋のユダ属では収まり切らないので、神にとっては「ゼルバベル」でもOKなのです。

●ちなみに、「若枝」の原語は「ツェマハ」(צֶמַח)で、ゼカリヤ書3章8節にも登場したメシアの語彙です。旧約では12回。「生える、芽生える、萌え出る、若枝」という意味。他にも「若枝」を意味する次のような語彙があります。

画像の説明

「ホーテル」(הֹטֶר)ー例イザヤ11:1
「ネーツェル」(נֵצֶר)ー例イザヤ11:1、ダニエル11:7
「ヨーネーク」(יוֹנֵק)ー例イザヤ53:2

●この戴冠の宣言は、狭義的には第二神殿を建てることに関してですが、広義的には14~15節はメシアの再臨において実現することになります。

15 また、遠く離れていた者たちも来て、【主】の神殿を建てる。このときあなたがたは、万軍の【主】が私をあなたがたに遣わしたことを知る。もしあなたがたが自分たちの神、【主】の声に
確かに聞き従うなら、そのようになる。」

●ここには「遠く離れていた者たち」(「異邦人」に対するユダヤ的婉曲表現)とあるように、異邦人も主の神殿の建設に携わるという驚くべき預言です。このことは、メシア王国についての預言です。ハガイ書2章7節においても語られていたことでした。

【新改訳2017】ハガイ書2章7~9節
7 わたしはすべての国々を揺り動かす。すべての国々の宝物がもたらされ、わたしはこの宮を栄光で満たす。─万軍の【主】は言われる──
8 銀はわたしのもの。金もわたしのもの。──万軍の【主】のことば──
9 この宮のこれから後の栄光は、先のものにまさる。──万軍【主】は言われる──この場所にわたしは平和を与える。──万軍の【主】のことば。』」

●このように、神がやがて建てようとしている神殿についての情報を、もっと集めていかなければなりません。私たちはエゼキエルが語っている38章の「ゴグとマゴグとの戦い」や、40~48章の「エゼキエルの神殿」について、どれだけ知っているでしょうか。まだまだ知らないことだらけです。ですから、「日ごとの糧を与えてください」なのです。

The 2nd Celebrate Sukkot 集会Ⅷ 2023.10.6(Fri/朝)
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