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第二の幻:「四つの角と四人の職人」

第二の幻:「四つの角と四人の職人」

【聖書箇所】ゼカリヤ書1章18~21節(BHS聖書本文2:1~4)

ベレーシート

●朝の集会Ⅱに参加できなかった方のために、ゼカリヤ書1章1~6節の要点をまとめてお話ししたいと思います。なぜなら、この部分はその後の「八つの幻」を理解する上でとても重要だからです。

●まず、第一はゼカリヤの正式な名前の意味です。彼の正式な名前は「イドの子ベレクヤの子ゼカリヤ」です。この名前の「イド」「べレクヤ」「ゼカリヤ」の名前を綴り合わせると、「主があなたがた(イスラエル)を祝福しておられ、決してあなたがたを忘れてはおられない。これが主の契約におけるあかしなのだ」というメッセージが浮かび上がることを述べました。そして主が、「万軍の主」(「アドナイ・ツェヴァーオート」יהוה צְבָאוֹת)として、2~6節のメッセージを語っておられるということでした。その中でも重要なのは3節で、「わたしに帰れ。そうすれば、わたしもあなたがたに帰る」です。「わたしに帰れ」のへブル語は「シューヴー・エーライ」(שׁוּבוּ אֵלַי)です。「そうすれば、わたしもあなたがたに帰る」は「ヴェアーシューヴ・アレーヘム」(וְאָשׁוּב אֲלֵיכֶם)です。この「帰る、立ち返る、悔い改める」ということばの持つ意味を詳しく語りましたので、録画で聞くか、あるいは文字起こしを通して、ぜひ再度触れてみてください。

●いずれにしても、そこには熱情的な神の思いが隠されています。創世記1~3章の主のことばは淡々と語られていますが、それは預言であり、かつ奥義です。つまり神の作業場である歴史の中でそれを聞くことで、神の内なる思いをより深く知ることができます。

●今晩はゼカリヤが見た第二の幻を取り上げます。以下がそうですが、新共同訳聖書では2章1節になっています(BHS聖書本文)。ACでは【新改訳2017】を基本としているので、それを使っていきます。

【新改訳2017】ゼカリヤ書1章18~21節
18 私が目を上げて見ると、なんと、四つの角があった。
19 私と話していた御使いに「これらは何ですか」と尋ねると、彼は言った。「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角だ。」
20 そのとき、【主】は四人の職人を私に見せてくださった。
21 私が「この人たちは、何をしに来たのですか」と尋ねると、主は次のように言われた。「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかったあのだ。この人たちは、これらのを震え上がらせるために、やって来たのだ。ユダの地を散らそうと角をもたげる国々のを打ち滅ぼすためだ。」


1. 「四つの角」

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●この幻は第一の「赤い馬に乗った人」の幻ほど難しくありません。18節にある「」(「ケレン」קֶרֶן)とは「力」の象徴であり、強大で傲慢な権力を象徴しています。ここではユダとイスラエルを散らし、エルサレムを破壊した「角」、異邦人の時にユダヤ人を苦しめる勢力とも言えます。「四つの角」のことを、19節「これらは、ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角」と記し、21節で言い換えて、「ユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかったあの角」と表現しています。とすれば、これら「四つの角」とは何を意味しているでしょうか。考えてみてください。

●ユダとイスラエルとエルサレムを散らした角。それらは「エジプト、アッシリア、バビロン、ペルシア」の異邦の勢力です。ダニエルは海から上がって来た「四頭の大きな獣」の幻を見ています(ダニエル7:3~8)。その場合の「」は「バビロン、メディヤ・ペルシア、ギリシア、ローマ」です。これらはすべて神の選びの民を散らした異邦の列強の国です。ネブカドネツァルが見た夢は、人間的な視点から見た巨大な像で人間的に力を誇示したものですが、神の視点から見るならば、おぞましい獣の姿なのです。

第一の獣(7:4)は「獅子」のようで、「鷲」の翼をつけています。獅子は百獣の王であり、バビロン帝国の偉大さを物語っています。「鷲」の翼については、「その翼は抜き取られ、地から身を起こされて人間のように二本の足で立ち、人間の心が与えられた」とあるように、これはネブカドネツァル王の身に起こった「七つの時」(ダニエル4章にある精神異常とそこからのいやし)のことを指しています。

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第二の獣(7:5)は「突然現れた」(第三版)とあるように、事実、この預言通り、バビロンの崩壊がベルシャツァル王の時世に、メディヤ・ペルシアによる不意の侵入によってもたらされました。この獣は「熊」に似ており、「横向きに寝ていて」とありますが、それは左右のバランスが取れていないためです。つまりメディヤに対するペルシアの優勢を表しています。その口にある「三本の肋骨」は、メディヤ・ペルシア軍によって征服されたバビロン、リビヤ、エジプトを象徴しています。またそれに「多くの肉を食らえ」との声がかかっています。実際に、メディヤ・ペルシア帝国は百以上の州を支配する国となりました。

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第三の獣(7:6)は「 豹(ひょう)」のような獣で、背には四つの翼と、四つの頭がありました。豹は動物の中でも非常に巧妙で迅速です。豹と預言されたのはギリシアのアレクサンドロス大王とその世界征服です。彼は22歳という若さで軍を率い、近隣諸国を次々と征服し、ついにインドまで征服しました。しかし33歳で急死しました。豹の持つ「四つの翼」と「四つの頭」は、大王の死後にギリシア王国が四つに分裂し、四つの王朝となることの預言です。ギリシア帝国は、四人の将軍を長に四分され、エジプトのプトレマイオス王朝、シリアのセレウコス王朝、マケドニアのアンティゴノス王朝、小アジアのフィレタエルス王朝がそれぞれ築き上げられました。

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第四の獣(7:7~8)は、「恐ろしくて不気味で、非常に強かった。大きな鉄の牙を持っていて、食らってはかみ砕き、その残りを足で踏みつけていた。これは前に現れたすべての獣と異なり、十本の角を持っていた」とあります。ダニエル書2章の巨大な像では二本のすねに相当する部分です。「すね」が二本あるように、ローマ帝国はやがて東と西とに分かれます。また、10本の角は、最終的には、終わりの日に台頭する世界帝国の予表です。第四の獣が持つ10本の角は、2章の巨大な像の「(10の)足の指」に相当する預言として解釈することができます。

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2.「四人の職人」

【新改訳2017】ゼカリヤ書1章21節
私が「この人たちは、何をしに来たのですか」と尋ねると、主は次のように言われた。「これらはユダを散らして、だれにも頭をもたげさせなかったあの角だ。この人たちは、これらの角を震え上がらせるために、やって来たのだ。ユダの地を散らそうと角をもたげる国々の角を打ち滅ぼすためだ。」

●さて「四つの角」を「打ち滅ぼす」ためにやって来る「四人の職人」がいるのです。その「四人の職人」とは一体だれのことなのでしょうか。「職人」はヘブル語で「ハーラーシュ」(חָרָשׁ)です。ここでは複数ですから、「ハーラーシーム」(חָרָשִׁים)です。ゼカリヤ書では1回限りですが、旧約では36回使われています。特に幕屋や神殿の記述で「彫刻師、工芸職人」の意味で出てきます。「四人の職人」を「ハガイ、ゼカリヤ、ゼルバベル、ヨシュア」と解釈する人がいますが、彼らにそんな力はありません。むしろバビロンを打ち滅ぼした「キュロス」、ペルシアを打ち滅ぼした「アレクサンドロス」、そしてギリシアのセレウコス王朝のアンティオコスを打ち滅ぼした「ローマの将軍」、そして最後は反キリストを打ち滅ぼす再臨の「キリスト」を、四人と解釈する方が理にかなっています。

●「」という数が「すべて」を意味する包括的表現と理解するなら、「四つの角」とは神に敵対するすべての勢力を意味します。同様に、それと対抗する「四人の職人」も神に敵対する勢力を打ち滅ぼす一人の者と考えることができます。その四人を包括する者とは、やがて遣わされる神の御子イェシュアしかいません。このように、神と人とがともに住むための神殿を再建してくださるのは、イェシュア・メシアしかいないことになります。ですから、これが「四人の職人」が指し示している正体と言えます。

●ダニエル書2章では、きわめて大きな力を秘めた「人手によらずに切り出された一つの石」(「エヴェン」אֶבֶן)によって、その巨大な像の鉄と粘土の足が打ち砕かれ、そのとき、鉄も粘土も青銅も銀も金もみなともに砕けて、夏の脱穀場の籾殻のようになり、風がそれを運んで跡形もなくなったとあります。これは何を意味するのかといえば、異邦人の時が終わったことを意味しています。そしてその後に、「一つの国」が打ち立てられます。その「一つの国」とは永遠に滅ぼされることのない国、永遠に立ち続ける国を意味します。その国とはメシア(再臨のキリスト)によってこの地上に打ち立てられる御国です。すなわち、千年王国の統治(マルフート)を意味しています。単数で表される「石」(「エヴェン」אֶבֶן)は、しばしばメシアを表す比喩として新約では解釈されています(エペソ2:20、Ⅰペテロ2:6参照)。

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(1)詩篇118篇22節
「家を建てる者たちが捨てた石 それが要の石となった。」

(2) イザヤ書28章16節
「見よ、わたしはシオンに一つの石を礎として据える。これは試みを経た石、堅く据えられた礎の、尊い要石。これに信頼する者は慌てふためくことがない。」


※「異邦人の時」

●「異邦人の時」とは、イスラエルの民が異邦人によって支配される時期を意味しています。「異邦人の時」はバビロンの国が台頭した時から始まっています。なぜなら、頭の部分である「バビロン」はダビデ王朝を終わらせた国だからです。視点を変えるならば、神に背を向け続けてきたイスラエルはついに神のさばきを受けて、異邦人の国の支配の下に置かれたことになります。胸と両腕の部分である「メディヤ・ペルシア」もユダヤ人を支配しました。エステル記で出てくるハマンは、すべてのユダヤ人を撲滅しようとする反ユダヤ主義の代表です。しかしエステル妃の仲介によりユダヤ人は危機を乗り越えました。腹とももの部分である「ギリシア」もユダヤ人を支配しています。四つに分裂した国の一つ、セレウコス王朝のアンティオコス・エピファネスは、ユダヤ人の因習や宗教生活を一変させようとしました。そしてすねの部分の「ローマ」は鉄のような強い軍事力によって、ユダヤの国と神殿をことごとく破壊しました。それはA.D.70年のことです。それ以来、ユダヤ人は世界各地への離散を余儀なくされました。実はその時から神の歴史の時計の針は止まりました。なぜなら、神の民がエルサレムからいなくなったからだと考えられます。「人々は剣の刃に倒れ、捕虜となって、あらゆる国の人々のところに連れて行かれ、異邦人の時が満ちるまで、エルサレムは異邦人に踏み荒らされます。」(ルカ21:24)

●神の歴史の時計の針が再び動き始めたのは、1948年のイスラエルの建国からです。しかし聖書によれば、やがて、足の部分(一部が鉄で、一部が粘土)である「分裂した国」からイスラエルに敵対する勢力が立ち上がります。特にその中から立ち上がる反キリストによって、ユダヤ人は大患難時代を迎えます。しかしその後で、神はその国を滅ぼして永遠の御国を打ち立てられます。バビロンから始まって最後の反キリストが打倒されるまでの期間、つまり異邦人によってイスラエルの民(ユダヤ人)が支配されている時代のことを「異邦人の時」と称しています。


The 2nd Celebrate Sukkot 集会Ⅲ 2023.10.2(Mon/夜)
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