神殿の完成と奉献、および過越の祭
エズラ記の目次
6. 神殿の完成と奉献、および過越の祭
【聖書箇所】 6章1節~22節
ベレーシート
- モーセの幕屋、ダビデの幕屋、ソロモンの神殿(第一神殿)、第二神殿、そして今日のイエス・キリストの教会ーその系譜には、神が備えられた深い意図があります。
- バビロンから帰還して神殿の定礎を築いてから完成まで、工事中断も含めると約20年かかっています。神殿が完成した暁には、完成された神殿の奉献式を喜んで祝ったこと、そして同時に「過越の祭」を喜んで守ったことが、エズラ記6章において最も重要な点です。
- ちなみに、建物としての神殿は完成しましたが、真の再建は神の民の再建であり、これは前者以上に困難な事業でした。それについては7章以降に記されています。
1. エズラ記における「喜び」の語彙
- エズラ記6章16~22節には、二つの名詞と一つの動詞による「喜び」に関する語彙が使われています。
(1) 16節
そこで、イスラエル人、すなわち、祭司、レビ人、その他、捕囚から帰って来た人々は、この神の宮の奉献式を喜んで祝った。(2) 22節前半
そして、彼らは七日間、種を入れないパンの祭りを喜んで守った。(3) 22節後半
これは、【主】が彼らを喜ばせ、また、アッシリヤの王の心を彼らに向かわせて、イスラエルの神である神の宮の工事にあたって、彼らを力づけるようにされたからである。
(1) 「ヘドゥヴァー」(חֶדְוָה)
- 16節の楽しみを伴う「喜び」は名詞の「ヘドゥヴァー」(חֶדְוָה)で、旧約ではわずかに3回です。その中でもネヘミヤ記8章10節の口語訳は有名です。そこでは「主を喜ぶことはあなたがたの力です」と訳されています。新改訳は「あなたがたの力を主が喜ばれるから」(新改訳)、新共同訳は「主を喜び祝うことこそ、あなたたちの力の源である」と訳されています。いずれにしても「喜び」と「力」が密接なかかわりをもっていることを伺わせます。
- この「ヘドゥヴァー」を、LXX(70人)訳は「カイロー」(χαίρω)という言葉に翻訳しました。「カイロ―」は新約では74回も使われています。たとえば、放蕩息子の弟が帰って来たことを喜ぶ父親が兄息子に対して「死んでいたのが生き返って来たのだ。いなくなっていたのが見つかったのだから、楽しんで喜ぶのは当然ではないか。」(ルカ15:32)とか、イエスが取税人ザアカイの名前を呼んで「ザアカイ。急いで降りて来なさい。きょうは、あなたの家に泊まることにしてあるから。」と声を掛けると、ザアカイは「急いで降りて来て、そして大喜びでイエスを迎えた。」(ルカ19:6)とあるように、単なる祝宴ではなく、その背景に神と人との人格的な交わりが色濃くあります。また、パウロの書簡のひとつ「ピリピ人への手紙」のキーワードは「喜び」ですが、その「喜び」も「カイロ―」です。英語ではRejoice, Glad と訳されます。
(2) 「シムハー」(שִׂמְחָה)
- 22節前半の「喜び」は、名詞の「シムハー」(שִׂמְחָה)で、旧約では94回の使用頻度です。エズラ記ではこの「シムハー」が6:22の他に、神殿の定礎式の時に2回使われています(3:12, 13)。その同じ箇所(3:12, 13)には、もう一つの喜びを表す語彙があります。それは名詞の「テルーア―」(תְּרוּעָה)で、「大声を上げて喜ぶ」意味で用いられます。
- LXX訳は「シムハー」(שִׂמְחָה)を「ユフロスネー」(εύφροσύνη)と訳しています。新約での使用頻度はわずかに2回です(使徒2:28/14:17)です。
(3) 「サーマハ」(שָׂמַח)
- 22節後半の「喜び」は、「シムハー」の強意形の動詞(ピエル態)「サーマハ」(שָׂמַח)が使われています。この動詞は旧約で156回の使用頻度で、LXX訳は「ユフライノー」(εὐφραίνω)と訳しています。新約での使用頻度は名詞の「ユフロスネー」よりも多く、14回です。特にルカの15章の放蕩息子のたとえ話では4回もこの動詞が使われています(ルカ15:23, 24, 29, 32)。
- 他に、「喜び」に関する語彙を知るうえで、イスラエルで歌われる「ハヴァ・ナギラ」という歌は「喜び」についての語彙が豊富に使われている歌です。
2. 過越の祝いをすることの意義
2013.10.15
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