****** 詩篇は、神と私たちの生きた関係を築く上での最高のテキストです。******

神の恩寵としての総称的概念

4. 「トーヴ」 טוֹב

画像の説明

はじめに

  • 詩篇34篇8節に「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」とあります。新共同訳では9節「味わい見よ、主の恵み深さを」と訳されています。ヘブル語で「トーヴ」という形容詞が新改訳では「すばらしさ」と訳され、新共同訳では「恵み深さ」と訳されています。
  • ちなみに、詩篇34篇には四つ「トーヴ」טוֹבが使われています。

    ① 08節「すばらしさ」(共9節「恵み深さ」)
    ② 10節「良いもの」(共11節「良いもの」)
    ③ 12節「しあわせ」(共13節「幸い」)
    ④ 14節「善」(共15節「善」) 脚注

    ひとつのことばがいろいろな意味を持っていることがわかります。そして、この神の「トーヴ」を自分自身のこととして味わうこと、吟味すること、そして自分のものとすることを意味します。「見よ、見つめよ」(ラーアー)という動詞はそこに目を留め、注目し、フォーカスし、注視することを通して、神の恩寵の世界に目が開かれることを意味しています。

  • ただし、この「神のトーヴ」というものは決して軽いものではないのです。結論的に言うと、「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」という呼びかけは、苦悩の炉によって練きよめられ出てきた告白だということです。決して楽観的なことばではないということです。神のトーヴの世界に目が開かれることで、旧約聖書は私たちに真の希望の光を与えてくれるのです。
  • 詩篇34篇の表題に「ダビデによる」とあります。そしてその後に「彼がアビメレク(これはアキシュの別名、1サム21:11~16)の前で気狂いを装い、彼に追われて去った時」とあります。原文では「彼(ダビデ)の判断、分別を狂わせた時」となっています。イスラエルの王となることをサムエルから告げられ、油注ぎ受けたのち、ダビデはサウル王の嫉みによっていのちからがら逃亡します。不条理な苦難の生活がはじまるのです。しかしそれは彼がやがてイスラエルの王としてふさわしくなるための神の訓練でした。10余年の苦難の生活を余儀なくされます
  • 表題に「・・を去ったとき」あるいは「追放されたときに」と訳されていて、あたかもその時に作られたかのように思いますが、そうではありません。「とき」と訳された原語は「べ」בְּという前置詞ですが、ここでは「・・した経験をもとに(それを踏まえて)」というニュアンスです。サウルに追われたダビデが、アキシュのもとで自分の判断力、分別を狂わせた経験を踏まえて、その経験をもとにこの34篇の詩篇が作られていると言えます。詩篇34篇には分別を失った姿はなく、むしろ主に対する確かな分別があります。しかしその背景に分別を失ったダビデの経験があることを忘れてはならないのです。これはひとつの型です。ダビデの荒野の放浪はやがてイスラエルが経験する捕囚の出来事と重ね合わせられているのです。つまり、神の民が自分たちの国を失い、しかもバビロンの地に捕囚となるという辱めの経験、破局、崩壊、滅亡の経験、零点状況、氷点状況、そうした状況から復興したイスラエルの民の信仰の息遣いがこの詩篇の中に隠されているのです。そうした視点から、「主のすばらしさを味わい、これを見つめよ」というフレーズを味わうなら、神の「トーヴ」は一段と深みを増します。

1. 天地創造における神の「トーヴ」

(1) 光の創造

  • 「トーヴ」ということばが、旧約聖書の中で最初に出てくる箇所は創世記1章です。なんと7回も出てきます。ところで、神が一番、最初に創造されたのは何であったでしょうか。
  • 答えは「光」(オール)です。「天と地」ではありません。この表現法は「メリズマ法」と言って、両極端のことばを用いてその範疇にあるすべてのものを表わします。ですから、「天と地」とは、天にあるもの、地にあるもの、そのすべてにおいて見えるものも見えないものも存在しているすべてのものを表わしています。ですから、これから具体的に創造される序文的な説明と言えます。
  • 「神が『光よ。あれ。』と仰せられた。すると光ができた。神はその光をよしと見られた。」(1:4)とあります。「よしと見られた」の「よし」、ここにはじめてトーヴという言葉が出てきます。
    「ヴァヤルー エローヒーム、キートーヴ」―これは定型句です。4, 10, 12, 18, 21, 25, 31 最後の31節には「メオッド」という英語で言うならばveryという副詞を伴って、「キートーヴ メオッド」となり、「はなはだ良かった、この上もなくよかった」となっています。尾山訳では「とても満足された」と訳されています。。

(2) 創世記1章に見るヘブル的感性

  • ところで、創世記1章には私たちの思考パターンでは理解できないことがいっぱい出てきます。別な言い方をするならば、ヘブル的なものごとの考え方、見方、感性といったものが満載されているのです。このことをもし知るなら、私たちの信仰はバージョンアツプすることは間違いなしです。新しい霊の風が私たちのたましいに吹きつけ始めます。キリスト教会の歴史ユダヤ人を迫害することによって、長い間、ヘブル的思惟、ヘブル的感性を排除してきました。しかし今日、神はヘブル的視点から聖書を理解するように導いておられるのです。
  • たとえば、1章1節にある「バーラー」という動詞のもつ意味です。この世界がどのようにしてできたかということとに関心をもって書かれている創造の物語ではないのです。この「バーラー」という動詞は、いくつかの例外を除けば、ほぼ神にのみに使われる動詞です。それは必ずしも「無からの創造」を意味していません。神の世界では無から有を生じさせるということは当然ですが、この動詞が意味しているのは、むしろ、混沌とした状態に神の秩序をもたらして新しくする、更新するという意味で用いられているのです。「新しい歌」、「新しい契約」、「新しい心」、「新しい霊」―これらの表現はすべて神によってのみ創造されうることを聖書は語っています。
  • 「光」―「人間」までのすべてが光の中で創造されている。その意味するところは秩序、神と被造物とのかかわりの世界の創造です。4節にある「光」とは私たちが考える光源としての光ではありません。とても不思議な光なのです。ここでもヘブル人たちの感性、思惟が打ち出されています。その「光」の創造、そして創造の頂点ともいうべき人間の創造に至るすべてが神にとってはなはだ良かったのです。これは神の感動表現なのです。

2. 苦難における神のトーヴ

  • 神が良いお方であり、良いことしかなさらない方である」というのは永遠の真理であり、命題です。この真理を見失うとき、私たちは混沌としたやみの中をさまようことになります。「苦難」に必ず意味があります。しかしその意味することはすぐには掴むことができないかもしれませんが、必ず意味があることを聖書によって知ることができます。意味を見出し得なければ、その苦しみから学ぶことや大きな飛躍をすることはできません。苦しみを経験した人がその意味を見出した時、喜びが湧き上がり、生きる力さえもあふれてくるのです。そんな体験をした人のことばに耳を傾けてみましょう。

(1) 詩篇119篇

  • 詩篇119篇の作者は68、71、72節の3つの節で「トーヴ」ということばを用いながら、以下のように告白しています。

    すべて新改訳です。
    68節 「あなたはいつくしみ深くあられいつくしみを施されます(前者が形容詞、後者は動詞の使役形)。」

    71節「苦しみに会ったことは、私にとってしあわせでした。私はそれであなたのおきてを学びました。」

    72節「あなたの御口のおしえは、私にとって幾千の金銀にまさるものです。」

  • 71節でいう「苦しみ」とは「卑しめられる苦しみ」を意味しています。それは神の民にとって、想像をはるかに越えるような、想定外の卑しめの苦難でした。神の民の象徴とも言えるエルサレム神殿は跡形もなく破壊され、亡国のみならず、バビロンの地の捕囚の民となる辱めの経験でしたが、そこから大きな意味を見出したのです。68, 71, 72節はその告白であり、現在の心境を語っているのです。
  • しかし結果論ではなく、この苦しみがはじまった時点ではどうだったのか、あるいはその最中ではどうだったのか、果たして、あまりに悲惨な状況の中でも神のトーヴを信じることができたのかどうかが問題です。

(2) エレミヤ29章10~14節

  • この箇所は、預言者エレミヤが、神の民イスラエルの人々がバビロンの捕囚の身となることを前提に語ったことばです。神が彼らのために立てた計画とは、やがて平安を与える計画であり、将来と希望を与えるものでした。具体的には、心を尽くして神を求めさせて、神を見出させるという計画だったのです。バビロンに70年の満ちるころとありますが、その年月は実際には50年ほどでした。世代としては2~3世代かけて神のトーラー(教え)を学び直して神を求めるという取り組みの期間でした。それは、神を自ら真剣に求めさせてトーラーに基づくライフスタイルを築かせるのに必要な期間でした。一代限りの取り組みではなく、2~3代にかけての取り組みによって、神の民が神との生きたかかわりを回復したのです。その結実が詩篇119篇です。この詩篇には苦しみの意味を見出した神の民の喜びがあふれています。「神を愛する」という第一戒の回復があかしされているのです。現代の「主にある者たち」の課題は、この第一戒を回復することです。

(3) 哀歌3章25~27節

  • 「トーヴ」という言葉は哀歌の中では6回出てきますが、今回取り上げるテキストの中には6回のうち4回(3:25「いつくしみ深い」, 26「良い」, 27「良い」, 38「幸い」)出てきます。特に以下の3節は重要な告白なのです。原文ではそれぞれの節の頭が「トーヴ」טוֹבで始まっています。

    25節「主はいつくしみ深い。主を待ち望む者、主を求めるたましいに。」(新改訳)
    26節「主の救いを黙って待つのは良い。」(新改訳)
    27節「人が、若い時に、くびきを負うのは良い。」(新改訳)

画像の説明
  • 以上の3つの節から見えてくるものは、
    ①「主を待ち望み、主を尋ね求めるたましいに」、主は、将来、必ず幸いをお与えになること。
    ②「主の救いを黙って待つならば」、将来、必ず幸いを得ること。
    ③「若い時にくびきを負う者は」、将来、必ず幸いを得ること。
  • 神のトーヴを信じる者は、将来、必ず、幸いを得る。そのための条件は以下の三つです。「待ち望むこと」「尋ね求めること」「静まること(沈黙)」、これらはすべて積極的な姿勢です。
  • 「沈黙の中で、しかも将来になされる神の善を信じて今日を生き抜く」―そのような人たちがいたことを、哀歌は私たちに語りかけているのです。

 脚注
このほかにも、「トーヴ」という語彙はさまざまな意味を持っています。

(1) 動詞
動詞は形容詞と同じく「トーヴ」טוֹבです。使用頻度は28回使われています。意味としては神の「御心にかなう」とか、神の目に「美しい、好ましい」という意味、あるいは「しあわせになる、良くなる」という意味でも使われます。他にも、~と比べて「まさっている」とか、「上機嫌である、心が陽気である、寛大である」という意味もあります。

(2) 名詞
①男性名詞は「トゥーヴ」טוּב使用頻度は32回。主の「いつくしみ」(good, goodness)、「最良のもの」(best)、「良いもの、貴重なもの」(good things)、「楽しみ」(gladly)、「繁栄」(prosperity)、「恵み、気前良さ」(bounty, blessing)、「美しさ、好ましさ」(fair)、「しあわせ、魅力」(attractive)
②女性名詞は「トーヴァー」טוֹבָה使用頻度は67回。「善」(good)、「良いこと」(good, good things)、「幸い」(good thing)、「恵み、気前良さ」(bounty)、「いつくしみ」(goodness)、「しあわせ」(prosperit)

(3) 形容詞
形容詞の頻度が489回と一番多いです。「トーヴ」טוֹב「すばらしい」(good, rich, noble)、「いつくしみ」(goodness)、「いつくしみ深い」(good)、「しあわせな」、「善」、「まさる」(better)・・など。


2012.6.26


a:2389 t:1 y:0

powered by Quick Homepage Maker 5.2
based on PukiWiki 1.4.7 License is GPL. QHM

最新の更新 RSS  Valid XHTML 1.0 Transitional