瞑想Ps135/A
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瞑想Ps135/A
- この詩135篇に繰り返し出てくることばがあります。それは「まことに」ということです。原文では理由を示す接続詞の「キー」כִּיが使われています。神を賛美するその理由としてあげられています。新共同訳ではなぜかこのことばを訳していません。3節後半にある「いかにも」ということばも同じく「キー」כִּיです。
①3節「主はまことにいつくしみ深い。・・・その御名はいかにも麗しい。」
②4節「まことに、主はヤコブを選び、ご自分の・・・宝とされた。」
③5節「まことに、私は知る。主は大いなる方、・・・すべての神々にまさっておられる。」
④14節「まことに、主はご自分の民をさばき、そのしもべらをあわれまれます。」
- 「まことに」(あるいは、「いかにも」)とは、改めて、再発見、再認識するといった驚きの表現です。信仰の歩みの中でそうした驚きの発見は、神と私たちのかかわりを刷新し、そのいのちを豊かにします。主のすばらしい恵みがどんな豊かであっても、それに「狎れ」てしまう危険があります。
- このように新改訳は一貫して「キー」כִּיをはっきりと訳していますので分かりやすいのですが、口語訳、新共同訳、フランシスコ会訳などは(編集方針があるのかもしれませんが)全くそれを訳していません。文語訳は4節だけを「そは」と訳していますが他は訳していません。
- もうひとつ頻繁に出でくることばがあります。それは「ほめたたえよ」という言葉です。1, 3節では「ハーラル」、19, 20, 21節では「パーラフ」が使われています。前者はなりふりかまわない喜びをもって表わす賛美であり、後者は静かに、あるいはひざまずいて神をたたえる賛美です。3節には「ほめ歌を歌え」ともあります。原語は「ザーマル」で楽器をもって賛美せよと命じられています。
- 言葉にしても、行為にしても、いずれにしても主を賛美することは重要です。なぜなら私たちは私たち自身が語ることばや行為によって心が支配されるからです。賛美は神への告白であり、感謝であり、宣言です。それをはっきりと口と行為で表わすことによって、神の臨在は私たちの心の中に濃厚に現わされます。
- 使徒パウロは、聖霊に満たされることと、詩と賛美と霊の歌をもって、互いに語り、ほめ歌い、いつでも、すべてのことについて感謝することには、密接な関係があることを教えています。エペソ5章18節~20節参照。