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瞑想Ps126/B

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瞑想Ps126/B

  • ユダヤ民族の歴史は苦難に満ちています。この詩の背景にもバビロン捕囚という民族的苦難の体験があります。BC586エルサレムはバビロン王ネブカデネザルによって滅ぼされ、王は目をえぐられ、多くの民が捕囚の身としてバビロンに移されました。誇り高き神の民は粉々に打ち砕かれました。それは「背に鋤をあて、長いあぜを作る」(詩篇129:3)ような痛み・苦しみでした。そして「深い淵から」(同130:1)彼らは主に呼ばわったのです。神はご自分の民を完全には見捨てられませんでした。神はペルシャ王クロスにバビロンを打たせ、クロスの心を奮い立たせて、エルサレム神殿再建のために民を帰還させたのです(エズラ記1章)。クロスは神を恐れてそうしたのではありません。ただ、異国の民を囲うような政策は益とならないという政治的な判断によって、彼らを元いたところに戻そうとしたまでです。
  • クロスは今までバビロンが取っていた宗教弾圧政策を改め、各宗教に対する寛容政策を取りました。彼は弾圧によってではなく、人々の信頼と協力によって新しい帝国を建て上げようとしました。その一環として、イスラエル民族を解放し、その復興の為に物心両面の援助を約束し実行したのです。しかしそれはユダヤ人にとっては夢のような出来事だったのです。
  • 詩126篇の1節はそのことをよく描いています。
    「主がシオンの捕らわれ人を帰されたとき、私たちは夢を見ているようであった。」(第2版)
    新改訳第3版によると、この箇所は新しく次のように翻訳し直されています。
    「主がシオンの繁栄を元通りにされたとき」(新改訳)
    「ヤーウェがシオンの回復を遂げたとき」(岩波訳)
  • シオンとはエルサレムの別名です。バビロンからシオンへの帰還は、豆鉄砲をくらった鳩がように、「夢を見ている者のようであった」とあります。まさにそれは主の主権による奇蹟的な出来事でした。人間的には到底想像もつかない大きな歴史の転換が起きたのです。その転換とは、永遠的と思われる栄華を誇っていたバビロンが、新興のペルシャ、メディア連合軍によって一夜のうちに滅ぼされたからです。この歴史的な出来事は人々の想像を遙かに超えてなされたものであったため、彼らはそれを本当と信じることが出来ませんでした。まさに彼らは「夢を見ている者のようであった」のです。
  • 聖書の神はこの世のすべての権威、主権の上に立つ存在です。神はこの世の王たちを動かしてコーディネイトできる方です。神はペルシャの王の心を動かし、ご自身の民をシオンに、エルサレムに帰還させたのです。しかも回復のための許可と神殿再建のための資材をも与えたのでした。
  • 預言者イザヤの回復のメッセージがイザヤ書40章以降に記されていますが、その回復のメッセージにおける「神観」は、天と地を造られた「創造者なる神」です。この方こそ民の運命を変えることができ、全く新しくすることができるのです。イスラエルの民だけでなく、私たち一人ひとりの人生においてもその運命を新しくすることのできる方です。イザヤはこう言います。40章18節以降を参照。
    「主は永遠の神、地の果てまで創造された方」(28節)。
  • ちなみに、詩篇において「天地を造られた主」という表現は「都上りの歌」の詩篇だけに出てきます。
    「私の助けは、天地を造られた主から来る」(121篇2節)
    「私たちの助けは、天地を造られた主の御名にある」(124篇8節) 「天地を造られた主が、シオンからあなたを祝福されるように」(134篇3節)
  • しかし、現実において、回復はたやすいことではなかった。実は幾多の困難が待ち受けていたのです。それはネヘミヤ記を読むとわかります。今のイスラエルとパレスチナの関係のようです。このような背景から、詩篇126篇には喜びの叫びとともに、さらなる回復への切々たる祈りが加えられているのです。それが4節です。
  • 1節では「シオンが回復されました」が、4節では「神の民の回復」が祈り求められているのです。シオンは回復して元に戻りましたが、捕囚となった民は「元に戻って」いない、回復していないのです。その意味で、この詩126篇の中心は4節にあると思います。
  • ということは、器よりも、中身の回復がいかに困難であるかが想像できます。器の回復も奇蹟的なことでしたが、それ以上に、民そのもの、人の心の回復はそう簡単なことではなかったのです。それゆえ作者は、「ネゲブの流れのように、私たちの繁栄を元通りにしてください。」と祈っているのです。
  • ここで「ネゲブの川のように」、「ネゲブの流れのように」、「ネゲブの川床のように」とはどういう意味でしょうか。その前に、エルサレムに帰って来た人々は、喜びに溢れ、歌に溢れ、賛美に溢れていました。けれどもそれらは捕囚民の総数から見ると少数派でした。エズラ記2章64節から65節によれば約5万人であったと記されています。
  • イスラエルの全人口は、ダビデ時代には400万人くらいと思われます。ですから、捕囚の民はその1%前後ではなかったかと思われます。今の日本のクリスチャン人口と同じです。他の多くの人はおいそれと生活や商売をすてて、故国に帰る勇気はなかったものと思われます。 このような状況にあったゆえに、何としても、みんなが帰って来て祖国の再建に協力して欲しいという願いが、「私たちの捕われ人を帰らせてください。」という祈りとなったと言えます。
  • しかも、ネゲブというのはパレスチナ南部の地域です。そこは雨季以外は枯れた川のです。ですから、ネゲブといえば、枯れた川床、不毛の地、荒地、失意のイメージがあります。一滴の水もない渇ききった川、名ばかりの川です。川なのに水がない。しかし、雨期になると突然水量が増えて、人間が渡る事の出来ないような大河の流れのようになるのです。これはワディと言われます。そのような怒濤のような流れのような回復を与えて下さいと、現実の厳しさを見つめながら祈っているのです。神による回復、すべてが一新するような回復を祈っているのです。

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