****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

瞑想を通して「いのちを磨く」

9. 瞑想を通して「いのちを磨く」

はじめに

  • 詩篇16篇には神との親しい交わりを示す「いのちのしるし」を見ることができます。それは「喜び」(9, 11節)、「楽しさ」(9, 11節)、「安らかさ」(9節)、「ゆるぎなさ」(8節)、そして、主の助言を受け留める「心の柔軟さ」(7節)です。

1. 喜びと楽しさ

  • 詩篇においては、「喜び」と「楽しさ」はしばしばワンセットで使われることが多いようです。ここでの「喜び」とは、自分が神に愛されていることから来る存在論的な喜びです。「イエスの御名を使うと悪霊どもでさえ、自分たちに服従する」ことを弟子たちがイエスに報告したとき、イエスは「そんなことで喜んではなりません。あなたがたの名が天に書きしるされていることを喜びなさい」と言われました。これは、私たちが働きや奉仕の成果のゆえに喜ぶのではなく、自分がいつも神に愛され、受け入れられていることを喜びの源泉とすべきことを教えたものです。瞑想は、自分の存在の根拠をいつもどこに置いているかをたえず意識する修練です。
  • それゆえ、「主を喜ぶことはあなたがたの力です」とあるように、義務感を越えたところにある喜びと主を楽しむことは、常に、ものごとをプラスに捉えていく力を生み出します。頑張って礼拝を守ることができた喜びではなく、主とその教えを喜びとし、主を礼拝することをなによりも楽しむことができる力こそ、いのちのしるしなのです。

2. やすらかさ

  • 9節で「私の身もやすらかに住まおう」と訳されている「やすらか」とは「ベタハ」という信頼を表わすことばです。1節の「身を避ける」(ハーサー)も信頼を表わす動詞です。御父と御子のかかわりは信頼です。御子イエスの生涯の最大の試練は十字架の苦しみの中でも信頼を貫けるかどうかでした。しかし、主は十字架上において「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と御父への信頼を貫かれました。裂かれていた天と地に永遠のかけ橋が掛けられたのです。信頼することはいのちのしるしです。

3. ゆるぎなさ

  • 8節の「ゆるぎなさ」とは、常に「目に見えないものを確信する」ところからもたらされます。「目に見えないもの」とは今だ実現されていない将来の神の約束です。パウロは「私たちは目に見えるものではなく、目に見えないものにこそ目を留める」と言っています。なぜなら「目に見えるものは一時的であり、目に見えないものはいつまでも続くからです」(コリ第二、4:18) 。希望のある人は、いのちを輝かせます。

4. 心の柔軟さ

  • ダビデは「私は助言を下さった主をほめたたえる。まことに、夜になると、私の心が私に教える。」(7節)と告白しています。「心」とはヘブル語で「キルヤー」。腎臓、腸(はらわた)を意味し、感情の最も深い部分を意味します。しかも「夜になると」という点が重要です。ひとり静かなときを主と共に過ごすとき、主は優しく、そして静かに私たちの良心に小さな声で語りかけます。この助言に素直に聞き従う柔軟な心が私たちにあるかどうか。あるとすれば、いのちが与えられている証拠です。以上の「いのちのしるし」をチェックしつつ、磨くことが求められているのです。

2010.10.15


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