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渇いている者は、だれでも


「渇いている者はみな」 無代価の恵み


【聖書箇所】 イザヤ書55:1~3

【新改訳改訂第3版】
1
ああ。渇いている者はみな、
水を求めて出て来い。金のない者も。
さあ、穀物を買って食べよ。
さあ、金を払わないで、穀物を買い、
代価を払わないで、ぶどう酒と乳を買え。
2
なぜ、あなたがたは、
食糧にもならない物のために金を払い、
腹を満たさない物のために労するのか。
わたしに聞き従い、良い物を食べよ。
そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。
3
耳を傾け、わたしのところに出て来い。
聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。
わたしはあなたがたととこしえの契約、
ダビデへの変わらない愛の契約を結ぶ。



1. 「渇く者」たちへの主の呼びかけ

無代価の神の賜物
  • ここに見られる主の招きは「渇く者」たちに対して呼びかけられています。1節にある「水」と「ぶどう酒」は、やがて与えられる神の賜物としての「聖霊」のことです。また、同じく1節にある「穀物」と「乳」とは、神のみことばのことです。これらのものを無代価で買え、と呼びかけているのです。普通は、代価を払って買うものですが、ここでたとえどんなに貧しくても代価を払わずに買えと呼びかけているのです。
  • 2節に「わたしに聞き従い、良い物を食べよ。そうすれば、あなたがたは脂肪で元気づこう。」とあります。前半と後半はパラレリズムとなっています。神のみことばと聖霊によって、私たちは神からの良いものをいただくことができます。日々のみことばの中に、いつも良いものを見出し、神の恵みの新たな発見の感動が与えられ、神の愛の息吹を感じることができるのです。神の確かな保障の中で安心して生きることができるのです。そのことは私の霊とたましいと身体を元気にします。
  • 3節の「耳を傾け、わたしのところに出て来い。聞け。そうすれば、あなたがたは生きる。」
    神のみことばに日々、耳を傾けること、聞くことによって、それは神を尋ね求めることになるのです。そして神を見出しすことができます。その結果として、生きる存在、輝く存在となるのです。
  • 「渇ける者はみな、水を求めて出てこい。」と語られた主は、私たたちのすべての渇きをいやすお方なのです。

2. 渇いた地をいやす主の約束

  • イザヤ書には「渇く者」たちへの招きと同時に、渇ける地をいやし、水の源となし、川を流すという約束がなされています。以下は、その約束の一例です。

    35章
    1
    荒野と砂漠は楽しみ、荒れ地は喜び、サルランのように花を咲かせる。
    2
    盛んに花を咲かせ、喜び喜んで歌う。レバノンの栄光と、カルメルやシャロンの威光をこれに賜るので、彼らは主の栄光、私たちの神の威光を見る。
    3
    弱った手を強め、よろめくひざをしっかりさせよ。
    4
    心騒ぐ者たちに言え。「強くあれ、恐れるな。見よ、あなたがたの神を。復讐が、神の報いが来る。神は来て、あなたがたを救われる。」
    5
    そのとき、目の見えない者の目は開き、耳の聞こえない者の耳はあく。
    6
    そのとき、足のなえた者は鹿のようにとびはね、口のきけない者の舌は喜び歌う。荒野に水がわき出し、荒れ地に川が流れるからだ。
    7
    焼けた地は沢となり潤いのない地は水のわく所となり、ジャッカルの伏したねぐらは、葦やパピルスの茂みとなる。


    44章
    3
    わたしは潤いのない地に水を注ぎ、わたしの霊をあなたのすえに、わたしの祝福をあなたの子孫に注ごう。
    4
    彼らは、流れのほとりの柳の木のように、青草の間に芽ばえる。


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