****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

民族的回心をもたらす「恵みと哀願の霊」


12. 民族的回心をもたらす「恵みと哀願の霊」

【聖書箇所】 12章1節~14節

ベレーシート

  • ゼカリヤは、捕囚から帰還したユダの人々に神殿の再建の希望を与えて、力づけるために起こされた預言者です。しかし彼が与えられた主のメッセ―ジは単なる神殿建設にとどまらず、神の栄光のご計画のマスタープランを示す預言を含んでいました。終わりの日に起こる数多くの出来事が、時間軸ではなく(時間的順序)ではなく、二次元のピクチャーを同時に見るような形で語られています。それゆえ、その出来事を時間軸で理解するためには、他の箇所と照合させながら、整合性がとれるような形で理解していく必要があります。
  • ゼカリヤ書12~14章には、イスラエルの民がどのようにしてメシアを受容するかが語られています。

1. 「その日には」という語彙

ヴァヨーム ハフー.JPG
  • 「その日」と訳されたヘブル語は「ヴァヨーム・ハフー」で、正確には「その日に」という意味です。ギリシア語の「カイロス」のように、終わりの日に起こる定められた時を意味しています。
  • 旧約ではこの表現が338回使われています。ゼカリヤ書は26回。そのうち17回が12~14章にあります。12章では、3, 4, 6, 8, 9, 11節にあります。それぞれの「その日に」起る事を列記してみると以下のようになります。

    (1) 3節
    地のすべての国々がエルサレムに向かって集まる。しかしそれは彼らにとっては「重い石」となり、「ひどい傷を受ける」ことになる。
    (2) 4節
    主は、エルサレムを包囲する国々の民のすべての馬を打って盲にする。
    (3) 6節
    敵は破壊されるが、エルサレムは安泰である。
    (4) 8節
    主はエルサレムの住民を守られ、彼らは立ち上って勝利する。
    (5) 10節
    主は、ダビデの家とエルサレムの住民の上に、恵みと哀願の霊を注がれる。その結果、彼らは、「自分たちが突き刺した者、わたしを仰ぎ見て、激しく泣く
    (6) 11節
    エルサレムでは、ひとり一人が悔い改め、民族的な悔い改めが起こる

    ※(1)「恵みと哀願の霊」
    =「ルーアッハ・ヘーン・ヴェタハヌーニム」רוּחַ חֵן וְתַחֲנוּנִים)
    ●哀願(嘆願)の語源は「ハーナン」(חָנַן)で「あわれむ」。
    ※(2)「激しく泣く」
    「激しく泣く」は「マーラル」(מָרַר)の使役形。これはペテロがイェシュアを三度裏切った後に、主のことばを思い出して、激しく泣いた」こととつながります(マタイ26:75)。このペテロは終わりの日のイスラエルの残りの者を悔い改めを映し出している預言的な行為と言えます。


2. 恵みと哀願の霊の傾注の預言

  • 12章できわめて顕著なことは、イスラエルの民の上に聖霊が注がれて、悔い改めを伴う民族的回心が起こる事です。すでにメシア・イェシュアが復活して昇天された後に聖霊が傾注しています。それによってメシアニック・ジューと異邦人とからなる「教会」(エクレシア)が誕生しましたが、再度、終わりの日に聖霊が傾注されるその目的は、神の民であるイスラエル(ユダヤ人)が民族的に回心するためです。
  • 反キリストによる大患難をくぐり抜けた1/3のユダヤ人は、キリストの再臨の前に、聖霊の傾注によって、「自分たちが突き刺した者(イェシュア・メシア)」と「主を仰ぎ見」て、「」と「メシア(キリスト)」が一体であったことに霊の目が開かれます(2/3のユダヤ人は殺されます)。そしてメシアを拒絶したことがどんなに大きな罪であったかを示されて、「激しく泣く」のです。つまり、尋常ではない「苦しみを伴ったひどい悲しみ」となります。そうした民族的回心の後に、キリストはオリーブ山に地上再臨されるのです。
  • ちなみに、10節のみことばの直訳は以下の通りです。

    画像の説明

3. エルサレムは周囲の諸国をさばく「よろめかす杯」「重い石」となる

  • 「エルサレム」また「ユダ」は、反イスラエルの諸国に対して「よろめかす杯」となり、また「重い石」となることが語られています。「よろめかす杯」とはぶどう酒に酔ったように役立たずの国となることを意味し、「重い石」とは、それを持ち上げようとして、逆にその石によって大傷を負うことを意味します。
  • 過去の歴史において、世界の諸国は神の民イスラエル、あるいはエルサレムに対して取った態度によって神のさばきを受けて来ました。エジプトのパロ、ペルシアのハマン、ギリシア(シリア)のエピファネス4世、ナチスのヒットラーなどです。そして終わりの時には、サタンの子である獣と呼ばれる反キリストもさばかれます。神はご自身の民が選民としての使命に目覚めさせるために、主権をもってこうした敵を用いられます。そしてそれらの敵をことごとく滅ぼされるのです。


2013.10.8


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