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母が子を養い育てるように、父が子に対するように

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2. 母が子を養い育てるように、父が子に対するように

【聖書箇所】Ⅰテサロニケの手紙 2章1~20節

ベレーシート

  • Ⅰテサロニケ2章の最後の部分を見ると分かるように、パウロたちはテサロニケに戻って、そこにいる人々の顔を見たいと切に願いながらも、サタンによって妨げられたことが記されています(2:17~18)。
  • そこでパウロはテサロニケの教会とのこれまでのかかわりを振り返りながら、テサロニケに行って神の福音を伝えたことが決して無駄ではなかったことを回想しています。消極的な表現を使っていますが、むしろ、行って良かったという思いが伝わってきます。なぜなら、テサロニケの教会は、パウロたちにとっての「誉れであり、喜び」(2:20)となったからです。第2章は、パウロたちとテサロニケの人々とのかかわりがどういうものであったかを知る貴重な記録です。第一はパウロたちの宣教の姿勢についてであり、第二はテサロニケの人々の信仰の姿勢についてです。

1. パウロたちの宣教の姿勢

【新改訳改訂第3版】Ⅰテサロニケ2章2~6節
2 ご承知のように、私たちはまずピリピで苦しみに会い、はずかしめを受けたのですが、私たちの神によって、激しい苦闘の中でも大胆に神の福音をあなたがたに語りました。
3 私たちの勧めは、迷いや不純な心から出ているものではなく、だましごとでもありません。
4 私たちは神に認められて福音をゆだねられた者ですから、それにふさわしく、人を喜ばせようとしてではなく、私たちの心をお調べになる神を喜ばせようとして語るのです。
5 ご存じのとおり、私たちは今まで、へつらいのことばを用いたり、むさぼりの口実を設けたりしたことはありません。神がそのことの証人です。
6 また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした


(1) 神の福音をゆだねられた者として、それを大胆に語った

  • パウロはテサロニケの人々に、自分たちが激しい苦闘の中でも、神の福音を大胆に語ったことを書いています。「大胆に語る」と訳された動詞の「パッレーシアゾマイ」(παρρησιαζομαi)は、宣教者パウロにふさわしい語彙です。パウロはダマスコで回心したその後から、イェシュアの御名を大胆に伝えるようになりました(使徒9:27)。それはエルサレムにおいても(使徒9:28)、第一次伝道旅行先のピシデヤのアンテオケでも(使徒13:13~51)、イコニオムでも(使徒14:3)、敵対する者たちの前で主によって大胆に福音を宣べ伝えたのです。また、第二次伝道旅行ではテサロニケにおいて(Ⅰテサロニケ2:2)、第三次伝道旅行ではエペソで(使徒19:8)、ローマ行きの前にはアグリッパ王の前で(使徒26:26)、そして最後にローマでの獄中からエペソの教会に宛てた手紙の中でなおも「私が口を開くとき、語るべきことばが与えられ、福音の奥義を大胆に知らせることができるように私のためにも祈ってください」(エペソ6:19)と記しています。まさに、回心してからその生涯を終えるまで、パウロは神の福音を、その奥義を大胆に語り続けた使徒だったのです。
  • ちなみに、パウロのみならず、他の使徒や弟子たちも「大胆にふるまい」「大胆に語ること」をしています。名詞の「パッレーシア」(παρρησία)は、「隠すことなく、公然と、はっきりと、確信をもって語り示すこと」を意味します。これはイェシュアの特徴的な姿です。ヨハネの福音書がこの語彙をイェシュアに対して使っています。イェシュアの弟子たちもイェシュアにならって「パッレーシア」(παρρησία)していますが、それは使徒の働きの中に見られます(使徒2:29/4:13, 29, 31)。

(2) 人を喜ばせようとしてではなく、神を喜ばせようとして語った

  • 「人を喜ばせる」という動機から「へつらいのことば」や「下心」が出てきます。人に「取り入る」ことも「むさぼり」とつながっています。以下の例はそのよい例です。

【新改訳改訂第3版】使徒の働き12章20~23節
20 さて、ヘロデはツロとシドンの人々に対して強い敵意を抱いていた。そこで彼らはみなでそろって彼をたずね、王の侍従ブラストに取り入って和解を求めた。その地方は王の国から食糧を得ていたからである。
21 定められた日に、ヘロデは王服を着けて、王座に着き、彼らに向かって演説を始めた。
22 そこで民衆は、「神の声だ。人間の声ではない」と叫び続けた。
23 するとたちまち、主の使いがヘロデを打った。ヘロデが神に栄光を帰さなかったからである。彼は虫にかまれて息が絶えた。

(3) 人からの名誉を受けようとはせず

  • パウロは6節で「また、キリストの使徒たちとして権威を主張することもできたのですが、私たちは、あなたがたからも、ほかの人々からも、人からの名誉を受けようとはしませんでした」と述べています。「名誉」と訳された「ドクサ」(δόξα)は神のものです。それを神から盗んではなりません。
  • イェシュアさえも「わたしは人からの栄誉(「ドクサ」)は受けません」(ヨハネ5:41)と言われました。それはイェシュアが御父によってこの世に来られ、この世において御父からの栄誉だけを求める生き方をしたからです。使徒パウロはそれにならったのです。したがって、パウロをならうことは、主にならうことでもあるのです。

(4) 「母が子どもを養い育てるように、父が子に対するように」

  • パウロの宣教・牧会には「母親のように」という面と「父親のように」とい面の二つがあります。神の養育にはその二つの面があるからです。これも神の養育をパウロが見ならっている証拠です。
  • 「母親のように」とは、母が子どもをいつくしみ、優しく包み込む養育の仕方です。「父親のように」とは、神の子としてふさわしく生きるために、指導性をもって厳しく訓練する養育の仕方です。そもそも、なぜ人は父と母から生まれ出るように神は定めたのでしょうか。それは子が、父と母に代表される特質をもって養育される必要があるからです。もし、神を母親のような面だけで理解しているとするなら、おそらく神につまずくことは目に見えています。逆に、父親のような面だけで神を知ろうとすることも同様につまずきを起こします。私たちに対する神の養育には二つの面があることをあらかじめ知っておくことが必要です。子どもが健全に成長するためには、原則的に、両親の愛の下に育つことが必要だからです。
  • 教会が建て上げられていく過程において、そこに召し出された者たちが、「母親のように」、「父親のように」適切に養育されることが求められますが、現実はそう簡単なことではないことは言うまでもありません。

2. テサロニケの人々の信仰の姿勢

  • 今日のようにまだ聖書が正典としてまとめられていなかった時代においては、神から信任されて遣わされた使徒パウロのことば以外に信仰の規範となるものはありませんでした。したがって、テサロニケの人々がパウロの使徒性を認めて、神の信仰のことばを受けたとき、それを人間のことばとしてではなく、事実どおりに神のことばとして受け入れた」とパウロは神に感謝しています。
  • ちなみに、コリントの教会はテサロニケのようにはいきませんでした。パウロの使徒性を素直に認めなかったために、パウロはとても苦労したようです。神のことばはすべての土台です。したがってパウロの語ることばが神のことばとして受け入れられるのでなければ、教会は建て上げられません。これは今日においても同様です。
  • 特に、教役者としての召しにあずかった者は、神から遣わされて神のことばを語るとはどういうことかを、この2章から大いに学ぶことができると信じます。


2015.9.29


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