****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

新しい歌、新しい契約、新しい心、霊

1. 「ハーダーシュ」חָדָשׁ

ベレーシート

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  • 最初に取り上げるヘブル語のキーワードは「新しい」(ハーダーシュ חָדָשׁ)という形容詞です。「新しい」という形容詞は名詞と結びついて、「形容詞+名詞」(⇐右からヘブル語順)で用いられます。神の世界における「新しさ」は質的な新しさ、霊的な刷新と回復を意味します。英語では、New, flesh と訳されます。
  • 聖書にある「新しい」という形容詞がついた多くの語彙の中から、以下に掲げる四つの項目を取り上げます。※脚注1

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1. 「新しい歌」(シール ハーダーシュ)  שִׁיר חָדָשׁ

  • 聖書の中には「新しい歌を主に歌え」という命令が多く記述されています。詩篇33篇3節、40篇4節、96篇1節、98篇1節、144篇9節、149篇1節、イザヤ42篇10節、黙示録5章9節、14章3節の9回。ギリシャ語の「新しい歌」は「オーデー・カイノス」ωδη καινος
  • 神の民である教会はその最初から歌う共同体でした。賛美なしの礼拝は考えられません。キリスト教会はこの伝統をその母胎であったユダヤ教、ないしは旧約聖書の詩篇から受け継ぎました。特に詩篇は賛美の源泉です。その詩篇の中に「新しい歌」という表現が見られます(聖書では9回のうち6回までが詩篇にあります)。詩篇に発した「新しい歌」は、キリスト教会の歴史の初期から現代に至るまでの各時代に作られ、今日まで歌い続けられてきています。
  • ちなみに、私のHPのWebサイト「牧師の書斎」に掲載している「教会史における『新しい歌』」では、「新しい歌」がどのようにして生まれ、それがどのように受け継がれ、また新たな歌を必要とする状況を生み出したかを検証する「新しい歌」の歴史神学的考察を試みています。

(1)「新しい歌」の様々な定義

① 「新しい歌」とは、その時代時代に生まれて歌われた歌のこと。
② 「新しい歌」とは、新作の歌ではなく、神への救いの驚き、感謝、感動を新たな思いで歌う歌のこと。
③ 「新しい歌」とは、その都度、その都度、神から与えられる歌のこと。
④ 「新しい歌」とは、主に贖われた者(救われた者)にしか歌えない歌(賛美)のこと。
⑤ 「新しい歌」とは、絶えず心をリニューアルされ、新しい気持ちで歌う歌のこと。
⑥ 「新しい歌」とは、新作、あるいは最近流行している歌ではない。
⑦ 「新しい歌」とは、人間がこれまで歌ってきた歌とはまったく質の異なる歌のこと。
⑧ 「新しい歌」とは、新しい心によって歌われる新しい心の歌のこと。
⑨ 「新しい歌」とは、待ちに待った救いが来たという歓喜の叫びと共に歌われる歌のこと。
⑩ 「新しい歌」とは、即興で与えられる自分しか歌えない新しい霊の歌のこと。
⑪ 「新しい歌」とは、終末論的な賛歌のこと。つまり救いの完成を見つめながら歌う歌のこと。
⑫ 「新しい歌」とは、救いの感謝と喜びの歌、愛の交わりの歌、信仰と希望の歌のこと。

以上のように、新しい歌といっても、さまざまな考え方や理解を見ることができます。

(2) 「新しい歌」を歌う目的

「新しい歌を主に向かって歌え」と命じられるのは、神ご自身が私たちのうちに絶えず新しいことをなそうとされているからです。

(3)「新しい歌」の今日的必要性

  • 教会が制度化、組織化、固定化、伝統化されていく中でキリストのいのちが希薄になっていく状況が必然的に起こります。そうした閉塞感の中で私たちは今を生きるための神への「新しい歌」を必要としているのです。なぜなら、「新しく造られる民が主を賛美しますように。」(詩篇102篇18節)とあるように、生きた賛美は主によって刷新された民によって、新しい心をもって歌われるべきだからです。
  • 主に向かっての「新しい歌」の特徴は、喜びに満ちあふれた賛美と祈りであり、主体的な信仰の告白によって息づいています。しかもそれは聖霊によって日々新たにされていく必要があります。私たちのために、私たちのうちになされる主の奇しいわざを発見するとき、あるいは、私たち自身の内なるものが日々新たにされるとき、そこに「新しい歌」が生まれます。つまり「新しい歌」は神から授けられるのです。このように「霊的な刷新」と「新しい歌」には密接な関係があります。

2. 「新しい契約」(ベリート ハダーシャー) בְּרִית חֲדָשָׁה

  • 旧約聖書の中で「新しい契約」ということばが出てくるのは、預言書のエレミヤ記の31:31です。しかも1回のみ使われている語彙ですが、新約では7回(ルカ22:20/1コリント11:22/2コリント3:6/ヘブル8:8, 13, 9:15, 12:24)もそれについて言及されています。
    エレ 31:31 「見よ。その日が来る。──【主】の御告げ──その日、わたしは、イスラエルの家とユダの家とに、新しい契約を結ぶ。」
  • エレミヤが述べる「新しい契約」とはどんな契約なのでしょうか。それはなぜ必要となったのでしょうか。またそれはどのようにして結ばれるのでしょうか。そもそも「旧い契約」とどの点が異なっているのでしょうか。
  • 契約というと雇用契約とか賃貸契約といった法律的な関係を思い浮かべますが、聖書のいう契約とは、本来、神が人間に救いを与えようとする気遣いと思いやりから生まれたものです。対等な者同士の双務的な関係ではなく、むしろ神の側が多くの責任を背負い込む不平等な関係です。「新しい契約」がなぜ必要となったのか。それは決して「旧い契約」の内容に不備があったわけではありません。エレミヤ記31章32節には、エジプトの地から導き出されたときの契約にふれ、それが民によって一方的に破られたことが記されています。エレミヤの言う「新しい契約」とは、「わたしはわたしの律法を彼らの中に置き、彼らの心にこれを書きしるす。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」と説明しています。その契約の内容については一切触れられていませんが、その結果については、「人々は・・みな、わたしを知る」ようになる、とあります。
  • エレミヤが預言した「新しい契約」の「新しさ」とは、契約の内容の新しさではなく、結ばれ方の新しさです。モーセを通して結ばれた「旧い契約」は二枚の石の板に神の律法が書き記されました。つまり、石に書かれた文字を通して結ばれた契約でした。しかしエレミヤが預言した「新しい契約」は石の板ではなく、人の心の中に記される契約です。旧い契約では神の意志が人の心の外に置かれていました。しかし新しい契約では神の意志が人の心の中に書き記されます。神の意志である律法そのものは変わりませんが、律法を人の心の中に書き込むことによって、律法の本来の機能を回復させようというのです。したがって「新しい契約」の「新しさ」とは、旧いものを破棄するのではなく、むしろそれを完成させるためなのです。
  • 使徒パウロがローマ書7章12節で記しているように、「律法は聖なるものであり、戒めも聖であり、正しく、また良いもの」なのです。神の律法が束縛としか感じられなくなるのは、神がそれをどのような意図で与えられたか、何を目指しているのかが理解できなくなったときです。本来、律法は人を生かし、神とのかかわりのいのちを豊かにして人を自由にするために神が与えられたものです。しかしその神の愛や気遣いが理解できなくなった時、律法は束縛でしかなくなります。それゆえに「新しい契約」が不可欠となりました。「新しい契約」は「旧い契約」の否定ではなく、むしろそれを完成するため、成就するため、よみがえらせるために必要なのです。ですから、イエスは「わたしが来たのは律法や預言者を廃棄するためだと思ってはなりません。廃棄するためにではなく、成就するために来たのです。」(マタイ5:17)と言われたのです。
  • 神の意志が人の心に書き記されて律法全体を生かし完成させるためには、サタンの覆いが取り除かれる必要があります。なぜなら、人々の心には覆いがかけられているからです。この覆いはキリストによってはじめて取り除かれます。第二コリント4:12~18を参照。それは全く新しい神のアプローチでした。
  • キリストの福音は律法違反による呪いという負債を一切免除して、神の方から近づいてくださるという恵みを意味しています。それゆえ私たちはなんら責められることなく、なんら咎められることなく、ありのままに、臆することなく、ためらうことなく、恥じらうことなく、大胆に、神の前に近づくことができるのです。さらには、このキリストによる恵みの福音を正しく理解するための新しい霊(聖霊)が与えられることによって、はじめて神の律法が私たちのうちに書き記され、主を知る者とさせられるのです。

3.「新しい心」(レーヴ ハーダーシュ) לֵב חָדָשׁ「新しい霊」(ルーアッハ ハダーシャー) רוּחַ חֲדָשָׁה

  • エレミヤが語った「新しい契約」について理解できるならば、エゼキエルが語った「新しい心」と「新しい霊」についても理解しやすくなります。エゼキエルはユダの民がバビロンに捕囚となったときに、彼もそこに連れて行かれ、その異国の地で神によって立てられた預言者でした。ちなみに、エゼキエルは「神が強くする」という意味です。彼は捕囚の民に神の律法の大切さを語り、ひとりひとりの魂の問題に深くかかわる預言を語りました。
  • 捕囚という経験はイスラエルの民が神に背き続けた結果でしたが、神はご自身の「御名のために」、捕囚という出来事を通して神の民をリセットさせる目的がありました。そこでエゼキエルが語った多くの慰めのメッセージの中のひとつとして、18章を取り上げたいと思います。そこには「新しい心」、「新しい霊」について言及されています。心からの悔い改め、それも個人の内心の問題に踏み込んだ内容は、旧約聖書では厳密にはエゼキエル18章30~32節しかありません。11:19~20、36:26~27も参照のこと。ここでは新共同訳で見てみます。

【新共同訳】
18:30 それゆえ、イスラエルの家よ。わたしはお前たちひとりひとりをその道に従って裁く、と主なる神は言われる。悔い改めて、お前たちのすべての背きから立ち帰れ。罪がお前たちをつまずかせないようにせよ。
18:31 お前たちが犯したあらゆる背きを投げ捨てて、新しい心と新しい霊を造り出せ。イスラエルの家よ、どうしてお前たちは死んでよいだろうか。
18:32 わたしはだれの死をも喜ばない。お前たちは立ち帰って、生きよ」と主なる神は言われる。

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  • 30節で「悔い改めて・・・立ち返れ」とあります。新改訳では「悔い改めて、あなたがたのすべてのそむきの罪を振り捨てよ」と訳されています。口語訳も「悔い改めて、・あなたがたのすべての咎から離れよ。」訳されています。しかし、原文では「シューヴー、ヴェハーシーヴー」)とあり、「向き直り、そして向き直れ」という意味です。「悔い改めて・・、振り捨てよ、離れよ」というのは意訳です。「もとに帰る」、「向きを変える」という意味の「シューヴ」の命令形が二重になっているのは、そのことばが意味するところを強調するというヘブル的表現法です。つまり、ここでは新共同訳のように、神に背いた歩み(数々の律法違反)から、神に向き変えることが命じられているのです。そして32節でもひとりひとりが「神に向き直り、そして生きよ」と勧められています。もし、口語訳や新改訳のように「振り捨てよ」「離れよ」と訳すならば、「旧い契約」となんら変わりません。つまり、神の律法を心の中に記すという「新しさ」へ向かうことができません。
  • イエスも公生涯に入られる際に、「時が満ち、神の国が近くなった。悔い改めて福音を信じなさい。」(マルコ1:15)と語られましたが、ここでの「悔い改め」も「神に向きを変えて」という意味で語られました。これが「新しい心」と「新しい霊」を得る道です。すでに神の方から近づいてくださっているので、私たちは向きを変えるだけで良いのです。このことがイエスの時代のパリサイ人や律法学者たちには理解できないことであったのです。彼らの救いはあくまでも人の心の外に書かれた律法をまず遵守しなければ、神の救いに与ることはできないとする立場でした。多くの罪人、病人、貧しい者、取税人や姦淫を犯した女性たちがなぜイエスに近づくことができたのか。それはイエスが律法の呪いという負債を赦し、取り除き、解き放って彼らに近づき、彼らをありのままに迎え入れたからでした。
  • エレミヤの語った「新しい契約」のその結び方は、エゼキエルが語ったように、まずは「シューヴー、ヴェハーシーヴー」)、「向き直り、そして向き直れ」ということばに従うことです。それはイエスの語った「悔い改めて(神の方に向きを変えて)、福音を信じなさい」につながります。これがイエスを通して実現された「新しい契約」であり、人の心の中に律法を書きしるして、本来の神の律法を完成(成就)させる道なのです。

ベアハリート

  • 「見よ。わたしは新しい事をする。」(イザヤ43:19)と言われた主なる神は、「新しい歌」を私たちの口に与えて、神への賛美を授けられました(詩篇40:3)。それは、私たちが神との愛に満ちた生きたかかわりを喜び、しかもそれを楽しむことができるようになるためなのです。
  • 神の「ハーダーシュ」(חָדָשׁ)。とりわけ、「新しい歌」-「新しい契約」-「新しい心」-「新しい霊」がみな神においてひとつにつながっているのです。それゆえ「たとい私たちの外なる人が衰えても、内なる人は日々新たにされている(※脚注2)」(第二コリント4:16)ことを信じて、主にあるひとりひとりが日々、神の「ハーダーシュ」を待ち望む者でありたいと祈ります。

※脚注1
ヘブル語の形容詞は常に、形容する名詞の格や性や数に連動します。名詞に冠詞がついていれば、形容詞も冠詞がつきます。名詞が複数形であれば、形容詞も複数形となります。名詞が男性名詞であれば、形容詞はそのように、名詞が女性名詞(語尾に「へー」הが付く)であれば、形容詞も女性名詞のように語尾に「へー」הが付きます。

※脚注2
「新たにされている」と訳されたギリシア語は、「更新する」ことを意味する「アナカイノー」の受動態です。

2012.5.16


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