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恩寵用語Ps108

詩108篇「(神の)愛する者」יָדִיד ヤーディード

〔カテゴリー愛顧〕

6節「あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。
そして私に答えてください。」 (新改訳)

Keyword;「愛する、愛される」 lover, beloved, lovely, friend, lovely thing  60:5/84:1/108:6/127:2

  • 「あなたに愛される者(原文では複数形)」の「愛される」と訳されたヤーディード(יָדִיד)は形容詞です。旧約では8回、詩篇では4回。愛される対象はイスラエル民族に対して言われている箇所(イザヤ5:1、エレミヤ11:15)、ダビデとその戦士たちに対して言われている箇所(詩篇60:5、108:6)、不特定の個人に対して言われている箇所(詩篇84:1、127:1)、そしてベニヤミン部族に対して言われている箇所(申命記33:12)があります。
  • 旧約において、神ご自身が預言者を通して直に「主に愛された者」と呼んだのは、このベニヤミン部族とダビデとバテ・シェバの子、ソロモンに対してのみです。Ⅱサムエル12:24~25には「主はその子を愛されたので、預言者ナタンを遣わして、主のために、その名をエディーデヤ(יְדִידְיָהּ)と名づけさせた。」と記されています。エディーデヤーは、主(ヤッハיָהּ)と「愛する」ヤーディード(יָדִיד)が合成された名詞です。ソロモンは父ダビデからエディーデヤー、つまり「主の愛された者」という愛称でいつも呼ばれたのです。ダビデが息子をエディデヤと呼ぶことができるほどに、ダビデもまた神に愛された者だったと言えます。神の絶大な恵みというほかありません。
  • ここで、モーセの訣別説教でベニヤミン部族を祝福した言葉を見てみましょう。申命記33:12にはこう記されています。「主に愛されている者。彼は安らかに、主のそばに住まい、主はいつまでも彼をかばう。彼が主の肩の間に住むかのように。」なんという恩寵に満ちた預言でしょうか。ベニヤミンを産んだ母ラケルはその苦しみのゆえに「べン・オニ」(私の苦しみの子)と名付けましたが、父ヤコブは「右手の子」(新改訳)、「幸いの子」(新共同訳)と名付けました。「右手の子」とは、最も信頼する子、最愛の子を意味します。それゆえベニヤミンが「幸いな子」と呼ばれてもおかしくありません。ヤコブの末の子です。
  • ここに面白いことが見られます。詩篇108:6には「あなたの愛する者が助け出されるために、あなたの右の手で救ってください。」とあります。主に愛されている者とは、主の右の手にふさわしい者ということです。御子イエスも御父の右の座におられます。自分が神に愛されている者であるとい確信が、神の右手の子と表現されています。さらに面白いことは、主に愛されている者であることのしるしは、「安眠」だということです。モーセの祝福にもベニヤミンは「彼は安らかに主のそばに住まい」とあります。詩篇127:2では「主はその愛する者には、安眠を下さる」と約束しています。御子イエスも嵐の舟の中で安んじて寝ておられました。まさに、安眠は、主に愛されている者の「しるし」と言えます。


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