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恩寵用語Ps100

詩100篇 「造る」  עָשָׂה アーサー

〔カテゴリー愛顧〕

3節「知れ、主こそ神。主が、私たちを造られた。」(新改訳)
5節「主はいつくしみ深く、その恵みはとこしえまで、その真実は代々に至る。」

Keyword;「造る」 make

  • 詩篇100篇には、下の図に見るように、神の民に呼びかける6つの動詞が登場します。命令のことばは7回(「入れ」が重複されているため)です。「(喜びの声を)上げよ」Make a joyful voice、「仕えよ」serve、「入れ」Enter(あるいはCome)、「知れ」Know、「(感謝のいけにえを)ささげよ」Give thanks、「ほめたたえよ」Bless
  • こうした礼拝用語を支えている恩寵に目を留める必要があります。命令は律法です。その律法を支え、内実のあるものにしていく神の恩寵がしっかりと語られています。
  • 日本の聖書の訳ではそのところが明確に訳されていませんが、ヘブル語では、理由や根拠を表わす「キー」כִּיという接続詞が3節の「知れ」の後に、もう一箇所、5節の冒頭に置かれています。それによれば、神が如何なる方であるかという神の民の認識の度合いこそ、招きの行為を意味のあるものにすることができる構造になっています。

神の民のアイデンティティの根拠

  • 3節に「主が、私たちを造られた。私たちは主のもの」となっていますが、新改訳の脚注を見ると、「主が、私たちを造られた、私たちではない」という訳も可能であることを記しています。これは異なるヘブル語原典によるもので、いずれの訳も意味深いと思います。というのは、「主が、私たちを造られた」という事実によって私たちは神のもの(所有の民)となるわけですが、「私たちではない」とすることで、「造られた」のは私たちではなく、神であるということがより強調されるからです。「造られた」と訳されてる「アーサー」עָשָׂהは、存在としての創造も意味しますが、それに加えて、神と人とのかかわりの創造も含まれているように思います。つまり、神と人との関係が「羊飼い」と「羊の群れ」というかかわりとして造られたということです。
  • 神は常に「良い方」'いつくしみ深い方)であり、ゆるぎない愛(恵み)と真実をもってかかわってくださるというこの詩篇の告白が神の民をしっかりと支えるとき、はじめてここにある呼びかけは力を持つことになると信じます。
  • 聖霊の助けによって、主にある民としてのアイデンティティがいよいよ強くされていくように祈ります。

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