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御名のためにはずかしめられるに値する者

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8. 御名のためにはずかしめられるに値する者

【聖書箇所】 5章12節~42節

ベレーシート

  • 使徒の働き3章でなされた「生まれつきの足のきかない人」のいやしのわざによって、ペテロとヨハネはユダヤ当局に捕えられ、尋問され、釈放された後、仲間たちと心を一つにして祈った祈りは、「主よ。いま彼らの脅かしをご覧になり、あなたのしもべたちにみことばを大胆に語らせてください。・・・あなたの聖なるしもべイエスの御名によって、しるしと不思議なわざを行なわせてください」(使徒4:29~30)でした。そしてその祈りは聞かれることになります。
  • 今回の聖書箇所の中にある5章12節~16節には、4章での祈りの後半の部分、すなわち「しるしと不思議なわざが人々の間で行われ」、それによって主を信じる者がますますふえて行ったことが記されています。祈りの前半の部分、すなわち「みことばを大胆に語る」ことについても、ユダヤ当局の指導者たちを十分に驚かせ、恐れさせたのです。初代教会の群れは上からの力をまとい、大きな影響力を与える存在と化していたのです。

1.  この世の権力に立ち向かえる力

  • かつてイエスは弟子たちに、「義のために迫害される者は幸いです。天の御国はその人のものです。わたしのために、ののしられたり、迫害されたり、また、ありもしないことで悪口雑言を言われたりするとき、あなたがたは幸いです。喜びなさい。喜びおどりなさい。天においてあなたがたの報いは大きいのだから。」(マタイ5:10~12)と言われましたが、今や、イエスの言われた事が本当であることを使徒たちは感じ始めていました。それが、次の使徒5章40~42節です。

40 彼ら(ユダヤ当局)は、使徒たちをむちで打ち、イエスの名によってかたってはならないと言い渡したうえで釈放した。
41そこで、使徒たちは、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜びながら、議会から出て行った。
42そして、毎日、宮や家々で教え、イエスがキリストであることを宣べ伝えた。

  • この世の権力に立ち向かえる力は、神から来た力でなければ打ち勝つことが出来ません。当時、権威筋に対して反抗した二人の指導者の名前が、律法学者ガマリエルよって挙げられています。一人は「チュダ」、もう一人は「ガリラヤ人ユダ」。結局は彼らも、そして彼らに従った者たちもみな散らされてしまいました。人から出た計画ならば自滅するが、もし神から出たものであれば、だれも滅ぼすことはできないのです。使徒たちの言動が神から出ているかどうかが試されていきます。しかしこれまでの経過の中に、十分に神によって導かれているという確信のあかしが使徒たちにはありました。

2. 使徒の働き5章に見られる「パターン」

  • 使徒たちが大胆になれたこと、御名のためにはずかしめられるに値する者とされたことを喜ぶことが出来たのは、以下の図のように、彼らがイエスと同じパターンを経験したことにあると考えられます。

画像の説明

  • イエスも使徒たちも同じく、人間のねたみによって捕えられました。そして、人間の手では開けるこの出来ない場所(イエスの場合は墓、使徒たちの場合は留置場)にそれぞれ入れられました。そして、イエスの場合は御父によって復活し、使徒たちは御使いによって救出されました。
  • この同じパターンが「主の御名のために値する者」とされたことを自覚した理由と言えます。今日においても、「主の御名のために値する者」となるためには、このパターンを経験させられるかもしれません。主イエスがそうであられたように、この世に歓迎され、正しく受け入れられることは決してないからです。主も使徒たちもそうであったように、「いのちのことば」を握っている者は迫害を避けては通れないことを自覚しなければなりません。それが「主の証人」となることです。「証人」とはギリシャ語で「マルトゥス」μάρτυςですが、それは「殉教者」という意味でもあります。聖霊に満たされていなければ、主の証人=殉教者となることを喜びとすることは到底できません。キリストの福音はそのような人々によって伝えられ、今日に至っているのです。

2013.2.14


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