****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

幸いなのは、霊の貧しい人々

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7. 幸いなのは、霊の貧しい人々

ベレーシート

  • 聖書のいう「幸い」とは、状況や環境、ある状態ではなく、すべて「人」「民」「~する者」です。「人」が強調されています。日本語訳はなかなか分かりにくいですが、英語は原典同様に、Blessed is the man who というようにはっきりとしています。
  • こうなったら幸せなのに、ある境遇や環境のもとに生まれれば、あんなことができれば、幸せなのに・・・と人は考えます。しかし聖書のいう「幸い」は、そうしたものには支配されません。「幸せ」という絶対的な環境はないのです。たとえどのような環境にあったとしても、神とかかわるならば、イェシュアとかかわるならば、すべて幸いな者となれるという、それが神(御国)の福音です。ただし、これから学んでいく八つの幸い、また、幸いだと語られている人というのは、神の視点における「幸い」の評価であり、神の視点から見られた人なのです。この視点がとても重要です。でなければ、単なる人生訓のレベルの話に堕してしまいます。
  • 「幸いな人」の第一は「霊において貧しい人」です。「心の貧しい人」ではなく、「霊の貧しい人」です。原文を見てみましょう。

【新改訳改訂第3版】マタイの福音書5章3節
心の貧しい者は幸いです。天の御国はその人たちのものだから。

【ギリシア語原文】
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これをヘブル語版で見てみましょう。
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  • ギリシア語の原文では「天の御国はその人のものです。」と訳されているように、「~です」(「エイミー」εἰμίの三人称複数「エスティン」ἐστιν)というBe動詞がありますが、ヘブル語には「彼らのため」(「ラーヘン」לָהֶם)とだけあり、「~です」という部分を示す語彙がありません。
  • 天の御国は、彼らによって成り立つ。」と訳すべきだという見解もあります。なぜなら、人は天の御国を所有できるわけでも、所属できるわけでもないからであるという理由からです。つまり、天の御国を構成する人々とは、「霊において貧しい者たち」だということが語られているという見方です。私もそのように考えます。
霊・魂・からだ.JPG

●「心の」と訳されている部分は、原文では「トゥー・プニューマティ」で、「霊の」となっています。多くが「心の貧しい人」と訳されますが、正しくは「霊の貧しい人」です。ヘブル語に置き換えると、冠詞付きの「ハー・ルーアッハ」(הָרוּחַ)です。「ルーアッハ」は、息、風、霊とも訳され、本来は「鼻から激しく息を吹きいれる」を意味する「ニシュマー」(נִשְׁמָה)と同様に、神の激しい力と生命をあらわす概念です。したがって、「霊の貧しい者」とは、神によって与えられた神の息が完全に欠乏している者、あるいは、霊の部分が完全に機能不全に陥っている者を意味します。それは神の視点から見た「貧しさ」であり、物質的・精神的な意味での「貧しさ」とは異なります。

●「貧しい者」を意味する「ホ・プトーコス」(ὁ πτωχός)は、神の前においてきわめて自分が貧弱な状態であることを認識している者を意味します。つまり、「霊において貧しい者」とは、神に対して無知であること、無価値であること、そして無力であることを認識している者のことです。こうした極貧状態をヘブル語では「アーニー」(עָנִי)とか、「エヴヨーン」(אֶבְיוֹן)という語彙で表します。極貧度の高いのは後者の「エヴヨーン」の方です。貧しさのためにうずくまるような、悲惨な惨めさなのです。そのような者こそ幸いな者だとイェシュアは語っています。なぜなら、そのような者こそ、「天の御国」に最も近い者であり、「御国」の支配のすばらしさを最高度に経験できる状態にあるからです。

●完成された御国においては、「霊」の部分が聖霊によって本来の機能が回復するために、貧しい者はなく、すべてが神の豊かさに輝いているはずです。しかし今は、天の御国に招かれた者が自分の貧しさに自ら気づかされただけでなく、御国の幸いにもあずかる資格を得ているのです。その意味において、「天の御国はそのような人々によって成り立っている」と言えるのです。


●使徒パウロは自分の「霊の貧しさ」を、あるいは「霊の部分が機能不全に陥っている状態」を、以下のように述べています。

【新改訳改訂第3版】ローマ書7章15,18~24節
15 私には、自分のしていることがわかりません。私は自分がしたいと思うことをしているのではなく、自分が憎むことを行っているからです。
・・・・
18 私は、私のうち、すなわち、私の肉のうちに善が住んでいないのを知っています。私には善をしたいという願いがいつもあるのに、それを実行することがないからです。
19 私は、自分でしたいと思う善を行わないで、かえって、したくない悪を行っています。
20 もし私が自分でしたくないことをしているのであれば、それを行っているのは、もはや私ではなくて、私のうちに住む罪です。
21 そういうわけで、私は、善をしたいと願っているのですが、その私に悪が宿っているという原理を見いだすのです。
22 すなわち、私は、内なる人としては、神の律法を喜んでいるのに、
23 私のからだの中には異なった律法があって、それが私の心の律法に対して戦いをいどみ、私を、からだの中にある罪の律法のとりこにしているのを見いだすのです。
24 私は、ほんとうにみじめな人間です。だれがこの死の、からだから、私を救い出してくれるのでしょうか。


1. 生まれながらの人間は、神に対して無知であり、罪に対しては無力な者

  • 使徒パウロはまことの神を知らずに歩んでいる異邦人のことを、「知性において暗くなり、彼らのうちにある無知と、かたくなな心とのゆえに、神のいのちから遠く離れている」(エペソ4:18)と述べています。すでに神のいのちにあずかった教会に対して、ヨハネは「あなたは、自分が富んでいる、豊かになった、乏しいものは何もないと言って、実は自分がみじめで、哀れで、貧しくて、盲目で、裸の者であることを知らない。」と戒めています(黙示録3:17)。
  • 宗教改革と言えば、マルチン・ルターのことを思わない人はいません。彼が22歳の時、死の恐怖から修道院に入ることを決心しました。しかし彼はそこで神ご自身を求めたのではなく、自分のために神を求めたことに罪を意識する人でした。そして彼は、「人間は自己を求め、一切に勝って自己を愛する以外の何事もなし得ないのである。これは一切の悪の総括であり、死に至る罪である。」と言っています。この罪のゆえに、人が自分のことをどう見ようと、自分が神の前に何一つ取り得のない、無に等しい者であり、罪に対して全く無能・無力であることを徹底的にルターは自覚したのでした。これが「霊の貧しい者」の姿です。ところが、そのような者に対して、神が「天の御国はその人のものだ」と保障してくださっているということが驚くべきことなのです。
  • ちなみに、ルターは62歳でこの世の生涯を閉じましたが、彼が死ぬ二日前に小さな紙にこう書いたそうです。

    私たちは神の乞食だ。そしてそれは真実なのだ。

これが、新約聖書と旧約聖書を渾身の力をもって自国語であるドイツ語に訳した人のことばです。


2. 「霊の貧しい者」はひたすら神の恵みに拠り頼む

  • 自分の霊の極貧状態に気づいた者は幸いです。多くの人はそのことに気づかないために、自分を少しでも豊かにしようと努力し、豊かさを獲得しようとします。しかし御国に生きる人は、すでに法外な豊かさがすでに賦与された立場に置かれています。その賦与された豊かさを楽しむための助け手(=御霊)も与えられています。
  • 「金の切れ目が縁の切れ目」と言われるように、利害関係だけでつながっている人間関係の中で生きている人は、それを喪失する恐れと不安をいつも抱えています。それはいわば「獲得していく人生」です。しかし「悔い改めなさい(神に向き直りなさい)。天の御国が近づいたから。」と呼び掛けるイェシュアの声に従うならば、すべてが「賦与されて生きる人生」へと変えられます。賦与されるものはどんなときにも決して失われないものです。
  • 恐れと不安は「霊の貧しい」ことの証拠です。そのことを素直に認め、神に立ち返り、神が賦与してくださる恵みにひたすら拠り頼んで生きること。これが御国に住む生き方です。その信仰も神から与えられる賜物なのです。使徒パウロは次のように述べています。

【新改訳改訂第3版】ローマ人への手紙6章23節
罪から来る報酬は死です。
しかし、神の下さる賜物は、
私たちの主キリスト・イエスにある永遠のいのちです。

【新改訳改訂第3版】エペソ人への手紙2章8節
あなたがたは、恵みのゆえに、信仰によって救われたのです。
それは、自分自身から出たことではなく、神からの賜物です。


  • 自分の力で獲得していく人生は、失うことへの恐れと不安に絶えず支配されます。しかし、ここに神によって賦与される人生、つまり、最も良いものを与えることを何よりも喜びとされる神とその賜物によって豊かに生きる道への招きがあります。「あなたがたは、ただで受けたのだから、ただで与えなさい。」(マタイ10:8)とイェシュアは言われました。すべてを賦与された神の乞食は、人に無償で与えることができるはずです。自分の力で獲得していく人生か、それとも神によって賦与されていく人生か。私たちは永遠の分かれ道の岐路に置かれています。


2017.1.10


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