****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

家族としての召命(設立式に向けて)

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2. 家族としての召命 (設立式に向けて)

【聖書箇所】 創世記4章25節~5章32節

はじめに

  • 詩篇127篇3節の「見よ。子どもたちは主の賜物(相続地)である」と訳されたヘブル語「ヒンネー・ナハラット・アドナイ・バーニーム」から、ヘブル語の頭文字を取った「ヒナヤーヴ」のミニストリーは、主にある家族が、それぞれ家族としての召しを自覚し、2代、3代、4代・・と世代を越えて信仰の継承をしていくために、互いに励まし合っていくためのネットワークです。2012.5.3の設立式から有志によってスタートいたします。
  • 「ヒナヤーヴ・ミニストリー」においてまず始めなければならないことは、「家族としての召命」の聖書的土台の構築です。これは時間をかけてしっかりと据えていく必要があります。次に必要なことは、子たちを神のことばによって育てるために、家庭と教会において聖書教育を施すことです。その方法についてはさまざまな試行錯誤による研鑽が必要です。
  • 2012.5.3の設立式では、創世記からアダムからはじまるセツの系譜においてはじめて「主の名によって祈ることをはじめた」(4:26)ことと、エノクとノアが「神とともに歩んだ」という点に注目したいと思います。

1.  主の御名によって祈ることを始めた家族

創世記4章25節~26節。
【新改訳改訂第3版】
25 アダムは、さらに、その妻を知った。彼女は男の子を産み、その子をセツと名づけて言った。「カインがアベルを殺したので、彼の代わりに、神は私にもうひとりの子を授けられたから。」
26 セツにもまた男の子が生まれた。彼は、その子をエノシュと名づけた。そのとき、人々は【主】の御名によって祈ることを始めた。

【新共同訳】
25 再び、アダムは妻を知った。彼女は男の子を産み、セトと名付けた。カインがアベルを殺したので、神が彼に代わる子を授け(シャト)られたからである。
26 セトにも男の子が生まれた。彼はその子をエノシュと名付けた。主の御名を呼び始めたのは、この時代のことである。

(1) 「セツ」の表記

  • 神はアベルの代わりに「別の種」(ゼラー・アヘル)を授けられました。この「授けた」という原語が「シャート」שָׁתです。ヘブル語の動詞は3つの語根からなるため、より正確には「シート」שִׁיתで「置いた、備えた」という意味です。用例としては、詩篇73:24の「私は、神なる方を私の避け所とした(置いた)」として使われています。「シート」שִׁיתが名詞になるとשֵׁת(sheth)で「授けられた者」となります。
  • 新改訳、関根訳では「セツ」と表記され、新共同訳、バルバロ訳では「セト」と表記され、フランシスコ会訳、岩波訳では「シェト」と表記されています。原語はשֵׁתと表記されています。
  • 25節の「神は私にもうひとりの子を授けられた」の「子」は、「種」を表わす「ゼラ」זֶרַעという語彙です。他に「子孫、後継ぎ、血統、精液」をも意味します。

(2) セツは父アダムから良いものを受け継いだ

  • 創世記5:3に「アダムは、百三十年生きて、神に似た、彼のかたちどおりの子を生んだ。彼はその子をセツと名付けた。」とあるように、セツはアダムから良いものーすなわち、神のかたちに似せて造られた良いものを受け継いでいます。セツの系譜にはカインの系譜にはないこの良きものが流れていると言えます。
  • そもそも、5章は4章17節~24節に記されているカインの系譜とは対照的なものとして記されています。「エノク」「レメク」という名前は両系譜に共通する名前ですが、全く性格を異にしています。

(3) セツはなぜ自分の息子に「エノシュ」と名前をつけたのか

  • 聖書にある名前にはすべて意味があるとする「ネーム・セオロジー」(Name Theology)という分野がありますが、セツが自分の最初の息子を「エノシュ」と名付けたのにはそれなりの意味があると言えます。「エノーシュ」(אֱנוֹשׁ)とは「弱い者」という意味です。セツが自分の息子をそのような意味で「エノシュ」と名付けたのは、カインの系譜につながる人々の存在があったからと思われます。カインの系譜は神ぬきの文明を築こうとした系譜です。しかもレメクに至っては、自分を傷つけた者に対しては77倍の復讐をするほどの自己保身的防衛本能をむき出しにしています。そうした背景の中にあって、セツの系譜(アダムの息子、娘たち)は人間の弱さを自覚し神に拠り頼まざるを得ないことを意識するようになったと言えます。
  • セツがエノシュを生んだ頃から、セツはそのことを自覚するようになり、自分の兄弟姉妹とともに「主の御名によって祈ることを始めた」(4:26)のでした。「始めた」と訳された動詞は「ハーラル」חָלַל(chalal)は使役形で「始めた、始まった」という意味を持つため、原文での使役形受動態では「始められる」という意味になります。
  • 今日においても、主にある家族の周囲にはカインの末裔と同様、神を認めず、神を恐れず、神を信じない者の大きな勢力があります。社会構造としては当時も今もなんら変わっていません。主にある家族は「はじめに神が天と地を創造した」ことを認めない世界観の中に置かれています。そこに主にある家庭の召命の重さがあります。そしてその召命を担うためには、主の御名を呼びつつ、主の知恵と力によって生きなければならないのです。でなければ、この世に飲み込まれてしまうほどに世の力は大きいのです。

2. 「神とともに歩んだ」エノクとノア

(1) 「神とともに歩む」とは

  • 5章にある「アダムの系図」の中でひときわ目立つ二人の人物がおります。それは「エノク」と系図の最後に登場する「ノア」です。この二人に共通する特徴は、彼らが「神とともに歩んだ」(5:22、6:9)という点です。ヘブル人への手紙11章には称賛されるべき旧約時代の信仰者たちが紹介されています。そしてエノクもノアもそこで取り上げられています。エノクの場合もノアの場合も、彼らはその信仰のゆえに神に喜ばれていたと記されています。「神に喜ばれていた信仰」とは、創世記の表現で言うならば彼らが「神とともに歩んだ」からだと言えます。神を喜ばせた「神とともに歩む」という生き方がどういう生き方なのかを心に留めて瞑想することは大いに益があると思います。
  • 「だれが、だれと、いるのか、あるいは歩むのか」という場合、聖書では二つのパターンが見られます。 

    【パターンA】・・「主が、彼(固有名詞)とともに・・」
    【パターンB】・・「彼(固有名詞)は、主(神)とともに」

  • 何が違うかと言えば、それは主語が違うということです。主語が違うことは大きな問題です。【パターンA】は数の点でいうならば、【パターンB】と比べて、断突に多いのです。

【パターンAの例】 

(例1) 創世記39:2, 3
主がヨセフとともにおられたので、彼は幸運な人となり、そのエジプト人の主人の家にいた。彼の主人は、主が彼とともにおられ、主が彼のすることすべてを成功させてくださるのを見た。

(例2) 創世記26:24
主はその夜、彼(イサク)に現れて仰せられた。「わたしはあなたの父アブラハムの神である。 恐れてはならない。わたしがあなたとともにいる。

  • 以上のように、神がともにおられることは神の恵みであり、祝福です。しかしそれは人が意識しても、しなくてもある神の恩寵と言えます。

【パターンB】の例

(例) 創世記5:22, 24
「エノクはメトシェラを生んで後、三百年、神とともに歩んだ。・・エノクは神とともに歩んだ。神が彼をとられたので、彼はいなくなった。 」
エノクが65歳のとき、息子メトシェラの誕生が彼の人生を変える神のチャンスとなりました。最初の子メトシェラが生まれた時から「彼は神とともに歩む」生涯がはじまったということは、それまでの65年間は「神とともに歩む」ことを知らなかった人生であったことを意味します。

(例2) 創世記6:9
「ノアは、正しい人であって、その時代にあっても、全き人であった。ノアは神とともに歩んだ。」

  • この【Bパターン】は聖書においてはきわめて少ないのです。旧約ではエノクとノアにのみある表現です。彼らが「神とともにいる」ではなく、「彼らが、神とともに歩んだ、働いた」と書かれています。旧約聖書の預言書にミカ書というのがありますが、その書には次のようなことばが記されています。「主はあなたに告げられた。 人よ。何が良いことなのか。 主は何をあなたに求めておられるのか。 それは、・・・あなたの神とともに歩むことではないか。」(ミカ 6:8 )

(2) 「歩む」という動詞「ハーラフ」

  • 神が私たちとともにおられることは神の祝福としてあるのですが、ここでは、むしろ、人が神とともに歩むことが強調されています。エノク、ノアの場合、「神がエノクやノアとともに歩んだ」のではなく、むしろ「エノクやノアが神とともに歩んだ」 です。この違いはなんでしょう。ここでの「歩んだ」という動詞は「ハーラフ」(הָלַךְ)の強意形再帰態(ヒットパエル)が使われており、自分自身から歩むことを意味しています。つまり信仰の「主体的、自覚的」なあり方が特記されているということです。
  • やがて信仰の父アブラハムが登場しますが、そのアブラハムがまだ「アブラム」という名前であったとき、神は彼に現われて「わたしは全能の神である。あなたは私を歩み、全き者であれ。」と語られます。ここでの「歩み」もエノクとノアと同様、「ハーラフ」(הָלַךְ)の強意形再帰態(ヒットパエル)が使われており、アブラハムが自ら主体的に神とともに歩むことを神から促されているのです。そのあとに名前が「アブラム」から「アブラハム」に改変されています。「ハ」は「ハーラフ」(הָלַךְ)の頭文字です。つまりアブラムがここで神から主体的信仰をもって神とともに歩むことを命じられたのです。主にある家族の家長は、エノクやノア、そしてアブラハムのように、主体的信仰をもって神からの召命に答える必要があります。

(3) 彼らが主体的に「神とともに歩んだ」背景(その必然性)

① エノクの場合

  • エノクの息子「メトシェラ」(מְתוּשֶׁלַח」)という名前の「メト」は「ムート」(מוּת )の「死」を意味し、「シェラ」は「シャーラハ」שָׁלַחで「送る」という意味。つまり「メトシェラ」とは「死後送られるもの」という意味です。おそらく神の啓示がエノクにあったのではないかと考えます。というのも、エノクは息子が死んだ後に起こる何かの出来事が神から啓示されたことによって、彼の生き方がそれまでとは一変して、自ら「神とともに歩む」という転機をもたらしたのではないかと考えます。とすれば、メトシェラが死んだ後に起こる出来事とはいったい何なのでしょうか。メトシェラは187歳の時にレメクを生みました。息子のレメクは182歳のときに息子のノアを生みます。そのノアが500歳になったときセム、ハム、ヤペテ息子たちを生みます。そしてノアが600歳の時に大洪水による神のさばきが起こります(7:6,11)。メトシェラの生涯は最長の969年です。この数字は【187+182+600=969】 。メトシェラの死と大洪水による神のさばきは同じ年なのです。「メトシェラ」という名前が意味するところの「彼の死後に送られた神のさばき」とは、まさに「大洪水」というかたちで起こったのです。

② ノアの場合

  • セツから始まった主の御名を呼ぶ系譜(神の子ら)は、時代が進むに連れて地上で増え広がって行きました。そしてレメク(アダムから9代目)の生きていた時代には神が人を創造したことを悔やませる事態までに至っていました。それゆえ主は、地上に人を造ったことを悔み、心を痛められました。そして「わたしが創造した人を地の面から消し去ろうと決意されました。そしてその後の新しい時代の主役は、このノアとその家族にゆだねられたのです。

むすび

  • アダムの系図の中にいる「エノク」は神のさばきの啓示をメトシェラの誕生の時に受けた者として、また「ノア」は神のさばきの後に来る新しい時代を引き受ける者として、それぞれ、「神とともに歩む」という主体的な信仰を持って生きた人物だったと言えます。彼らは人々の目に見えるような特別な事業をしたのではありませんでした。むしろ彼らは自分の生きた時代の中で、人々が神から離れていく時代の流れの中で「神とともに生きる」という大事業をやってのけたのです。私たちも「エノク」と「ノア」、「アブラハム」の霊性に学びつつ、「家族としての召命」を確認しつつ、今を生きる必要があるのだと考えます。

(導き手) 銘形 秀則

2012.5.4


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