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反面教師としてのサウル

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10. 反面教師としてのサウル

【聖書箇所】Ⅰ歴代誌 10章1~14節

ベレーシート

  • 10章にはイスラエルの最初の王となったサウルが失脚した話が記されていまするペリシテの脅威にさらされていたイスラエルの民は、他の国と同様に、強いリーダーシップを取ってくれる指導者を求めました。その求めに従って、神はベニヤミン族の中から「サウル」とい人物を選び、王としました。神が治められるイスラエルにおいて、王の役割は神を求め、神に従い、神の代理者としての王でした。ところが、サウルは神を求めるどころか、戦いにおける恐れるゆえに、霊媒によって伺いを立てました。聖書はサウルについて以下のように要約しています。

    【新改訳改訂第3版】
    Ⅰ歴代10:13~14
    13 このように、サウルは【主】に逆らったみずからの不信の罪のために死んだ。【主】のことばを守らず、そのうえ、霊媒によって伺いを立て(שָׁאַל)、
    14 【主】に尋ね(דָּרַשׁ)なかった。それで、主は彼を殺し、王位をエッサイの子ダビデに回された。


1. 「サウル」という名前に秘められているもの

画像の説明

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  • 旧約聖書における人の名前には意味があります。この領域に関する学問が「ネーム・セオロジー」(Name Theology)と言われるものです。イスラエルの最初の王とされた「サウル」という名前について検討してみたいと思います。固有名詞としての「サウル」のヘブル語表記は「シャーウール」(שָׁאוּל)です。この名前は動詞「シャーアル」(שָׁאַל)から来ています。「尋ね求める」「「求める」「伺う」という意味です。派生語の「シャーオール」(שָׁאוֹל)、もう一つの派生語「シェオール」(שְׁאוֹל)はそれぞれ「死者の国」「よみ」を意味します。主を尋ね求めることと、その反対の結果を意味する語彙が共通の語幹を持っています。これはヘブル語の特徴の一つです。
  • 「サウル」の名前の意味は、本来、「神を尋ね求める、神に伺う」という意味があるにもかかわらず、サウルは自分の名前に秘められているメッセージを彼自ら空虚なものとしてしまったのです。それは、まさに神に対しても、また自分に対しても、また名をつけてくれた親に対しても、それを裏切ることを意味します。
  • ヘブル文字のשׁאלの最初の文字である「シーン」(שׁ)は、本来「歯」(英語のtooth)を意味します。そこから「噛む、食い尽くす、むさぼり食う」という意味が派生します。そして、次の「アーレフ」(א)は力あるものを意味し、最後の「ラーメド」(ל)は杖をもって教えたり、指導したり、導く者を意味します。「アーレフ」と「ラーメド」でヘブル語の「エール」(אֵל)となり、「神」を表わします。
  • つまり、שׁאלは、神を尋ねる、神に伺う、神の知恵を得る、神に熱中する、という意味に発展します。ところが「サウル」は自分の名前のごとく生きようとはしませんでした。反対に、ダビデはサウルとは異なり、いつも主に伺って(שׁאל)います(Ⅱサムエル2:1、5:23)。ちなみに、ダビデは「愛される者」という意味です。この霊性の違いが二人の運命を分けることになります。
  • 神の代理者として立てられたサウルが、「霊媒によって伺いを立て」(10:13)とあります。神にではなく、霊媒に「伺いを立て」(「シャーアル」שָׁאַל)ただけでなく、主を「尋ねなかった」(「ロー・ダーラシュ」לֹא דָּרַשׁ)とあります。「シャーアル」(שָׁאַל)と「ダーラシュ」(דָרַשׁ)という動詞が重ねられています。どちらも「尋ね求める」ことを意味する動詞です。ちなみに、ダビデは詩篇27篇4節で「私は一つのことを主に願った。私はそれを求めている」と述べています。前者の「願った」は「シャーアル」(שָׁאַל)が使われ、後者の「求めている」は「バーカシュ」(בָּקַשׁ)が使われています。
  • サウルの場合、尋ね求めるべき対象が神ではなく、死人の霊であったことが、神の怒りをかったのです。そのために、皮肉にも「死人の行く国」である「よみ」が「シェオール」(שְׁאוֹל)であるのは、警告的な意味合いが含まれているのでしょうか。ヘブル語のミーニングの深遠さを感じさせられます。脚注

2. 「サウル」という名の汚名を返上させた使徒パウロ

  • 使徒パウロは最後の使徒としてキリストに捕えられた人物です。パウロのヘブル名は「サウロ」と表記されていますが、ヘブル語の「シャーウール」(שָׁאוּל)と同じです。イスラエルの最初の王サウルと同名であり、しかも同じベニヤミン族の出身なのです。因縁というか、神の愛嬌というか、旧約のサウルの失敗を使徒パウロが踏み直している感じを受けます。私たちは、このパウロから多くの霊的な奥義を与えられています。パウロほど主のために働いた者はおりません。そして、彼ほど主を尋ね求めた者は他にいないのです。

3. サウルとその息子たちが死んだ場所はギルボア山

ギルボア山.JPG
  • ギルボア山」はイズレエル平原の南側にある丘陵地帯です。そこでサウルと三人の息子たち(ヨナタン、アビナダブ、マルキー・シェア)がペリシテ人と戦って死にました。イズレエル平原はしばしば戦いの舞台となるところです。
  • 女預言者デボラが士師としてイスラエルをさばいていた頃、カナンの王ヤビンとその将軍シセラと「タボル山」の麓で戦いました。「タボル山」も「ギルボア山」も同じくイズレエル平原にあります。敵のカナンには九百両の戦車を持っていましたが、神の不思議な助けによってイスラエルはこの戦いに勝利しました(士師記)。
  • また、この平原にはメギドと呼ばれる山があり、「終わりの日」には反キリストが世界中の王をこの「メギドの山」(ヘブル語で「ハルマゲドン」)に集結させて、神の民を滅亡させるべく最終戦争を仕掛けます(黙示録16:16)。このように、イズレエル平原は重要な場所なのです。その場所でサウルとその息子たちが死んだことには意味があるのです。
  • イズレエル平原は西のカルメル山、中央のメギド山、北のタボル山、そして東南のギルボア山に囲まれています。そもそも「イズレエル」(יִזְרְאֶאל)とは、ゴメルによってホセアに生まれた息子の名前です。その名前は預言的です。というのも、ホセア書1章11節には「ユダの人々とイスラエルの人々は、一つに集められ、彼らは、ひとりのかしらを立てて、国々から上って来る。イズレエルの日は大いなるものとなるからである。」とあるからです。この預言は、主を求めず、神に背いて異邦の地に散らされたイスラエルをメシアが再び回復するという預言を表わしています。「イズレエル」の名前は動詞の「ザーラ」(זָרַע)に由来し、「神が散らされる=離散」という意味と、「神が種を蒔く」という意味を合わせ持っています。神に尋ね求めることなく、神に背いた北イスラエルの民がアッシリヤによって異邦の地に蒔き散らされるけれども、そこに永遠に住むのではなく、いつか必ず回復される、その日を大いなる日、すなわち「イズレエルの日」(メシアの日)と言っているのです。
  • 「サウル」は神に伺うことをしなかった者たちの代表的存在です。そのサウルとその子どもたちが死んた場所がイズレエルの平原を見下ろせる場所にあったことが重要なのです。それはやがてそこに神のご計画の最終的な回復のみわざがなされることを見るからです。


脚注

旧約聖書に四つの「渇望用語」があります。その用語には共通する文字が使われています。その文字とは「シーン」(שׁ)という文字です。ヘブル文字の「シーン」(שׁ)は、本来「歯」(英語のtooth)を意味する「シェーン」(שֵׁן)から来ています。そこから「噛む、食い尽くす、むさぼり食う」という意味が派生し、さらにそこから「神を尋ね求める、神を慕い求める、神を切に求める」という意味が派生しています。

(1) 「シャーアル」(שָׁאַל)ー183回
(2) 「ダーラシュ」(דָרַשׁ)ー165回
(3) 「バーカシュ」(בָּקַשׁ)ー225回
(4) 「シャーハル」(שָׁחַר)ー 13回


2013.12.25


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