****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

偽預言者たちが犯した過ち

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13. 偽預言者たちが犯した過ち

【聖書箇所】 13章1節~23節

ベレーシート 

  • これまでに何度も繰り返されている定型句のフレーズあります。それは「このとき、あなたがたはわたしが主であることを知ろう」というものです。
    6章7, 8, 10, 13, 14節/7章4, 9, 27節/11章10, 12節/12章15, 16節/13章9, 14, 21, 23節/14章8節/16章62節/20章26, 38, 42, 44節/22章16節・・など。
  • この定型句が語られるときには、決って主のさばきがなされたとき、主の回復のみわざがなされたときには、主の語られた預言は必ず成就するということを表現したものです。その暁にはすべてのことが明らかにされ、化けの皮がはがれるということです。

1. 偽預言者たちの過ち 

  • 偽預言者たちの根本的な問題は、神のことばを聞かずに語ったということです。当時の人々が喜びそうなことば、それは、神の民は敵からの攻撃から守られると考えていたことでした。主はご自身の民の罪と咎のために懲らしめとして罰を与えられるということを全く考えることなく、語っていたということです。神のことばをそのまま語る預言者ではなく、人々のニーズに合わせて、人々が求めているメッセージを語っていたということです。常に、平安の神学、祝福の神学、繁栄の神学を語っていたのです。しかしそれらは空しい幻想の運命に終わることを神は厳しく警告しました。
  • いつの時代にも、自分たちが聞きたいと願っていることを語ってくれる教師に耳を傾ける傾向があるのです。初代のキリスト教会にもそうした偽預言者たちの存在に対して、使徒パウロは愛弟子のテモテに対して警告しています。

    【新改訳改訂第3版】Ⅱテモテ4:3~5
    3 というのは、人々が健全な教えに耳を貸そうとせず、自分につごうの良いことを言ってもらうために、気ままな願いをもって、次々に教師たちを自分たちのために寄せ集め、
    4 真理から耳をそむけ、空想話にそれて行くような時代になるからです。
    5 しかし、あなたは、どのような場合にも慎み、困難に耐え、伝道者として働き、自分の務めを十分に果たしなさい。

  • 使徒パウロがテモテに求めたのは、換言すれば、「健全な教え」です。この「健全な教え」ということばがいったい何を意味するか、それが問題です。これについては後でふれることにします。

2. 偽預言者にならないための道 

  • 旧約における偽預言者として糾弾されている者たちは、意図的に偽りの神のことばを語っていたのではないと思います。しかし神のことばを聞こうとしなかったために、結果として、神のみこころを悟ることができず、人々を喜ばせるために語っていたのです。しかしそれがどんな結果をもたらすか、事の大きさ、責任の重さを自覚していなかったようです。
  • 「壁を建てると、すぐ、それをしつくいで上塗りしてしまう。」(エゼキ13:11)とあります。これはやがて大雨や雹が降り、激しい風が吹きつけるとそれはすぐに剥げ落ちます。地震などが起こってはじめて手抜き工事をしていたことがばれてしまうようなものです。
  • イエスも似たことを語っています。家を建てた二人の者、一方は岩の上に(つまり地中深く掘って岩に土台を置いて)家を建てた賢い者と、他方は砂の上に家を建てた愚かな者です。やがて洪水が押し寄せるとどんな家を建てていたかが分かってしまいます。
  • 使徒パウロも私たちの信仰生活を家にたとえて、次のように語っています。

    【新改訳改訂第3版】Ⅰコリント3章12~13節
    12 もし、だれかがこの土台の上に、金、銀、宝石、木、草、わらなどで建てるなら、
    13 各人の働きは明瞭になります。その日がそれを明らかにするのです。というのは、その日は火とともに現れ、この火がその力で各人の働きの真価をためすからです。
    14 もしだれかの建てた建物が残れば、その人は報いを受けます。

  • どんな家を建てたのか。「その日」、すなわちキリストの再臨の時には、すべてが明らかになります。なぜなら「その日」は火とともに現われるからです。もし金や銀や宝石で建てているならば、火で燃え尽きることはありません。しかし、もし木や草、わらなどで建てているならば、火で燃え尽きてしまいます。
  • ところで、私たちが「健全な教え」に留まるためにどうすれば良いのか。その手がかりはあります。パウロがどのような教会を建て上げてきたのかを知ることによってです。パウロは3年半手塩にかけて、エペソの教会を建て上げました。使徒として宣教的な務めをゆだねられているパウロにとって三年半一つの場所に腰を据えることは異例のことでした。おそらくエペソは異教的な影響、特に魔術的な影響の強い町であったために、霊的な戦いを余儀なくされたと思われます。しかし、彼の教会での教育は地道に「神の救いのご計画の全体をあますところなく」教えたようです(使徒20:27)。実は、これが「健全な教え」なのです。その「健全な教え」は神のみこころ、考えにいつも引きつけさせるからです。神のご計画の全体から逸脱するとき、偽教師となる危険性があります。それを避けるにはにはいつも聖書を謙虚に、そして地道に学び続ける必要があります。つまみ食い的な、自分の好きな箇所だけを読んで恵まれようとする信仰生活は多くの危険に対抗することができません。流されていきます。いつの時代にあっても、教えの風に吹きまわされないためには、パウロがそうしたように、いつも「神のご計画の全体像」を視野に入れたみことばの学びが必要なのです。そうした地道な学びこそ、いろいろな人々のニーズを満たそうとする誘惑や惑わしから守られるはずだと信じます。

2013.5.18


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