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人の子

聖餐のための瞑想(1) 「 人の子」

ベレーシート

【新改訳改訂第3版】ヨハネの福音書6章53節
イエスは彼らに言われた。「まことに、まことに、あなたがたに告げます。人の子の肉を食べ、またその血を飲まなければ、あなたがたのうちに、いのちはありません。


  • イェシュアが語られた聖餐のメッセージ(ヨハネ6:53~58)の中から最初に取り上げる瞑想のテーマは「人の子」です。イェシュアはご自分のことを「人の子」と言われました。それは「メシア」の称号でもあります。「人の子」は、ヨハネの福音書で14回使われています。6章にある「パンの奇蹟」の後で語られた一連のメッセージの中では、3回(6:27, 53, 62)使われています。イェシュアはどのような意味でこの「人の子」という称号を用いたのでしょうか。ちなみに、使徒パウロはこの「人の子」という語彙を使っていません。ただしヘブル人への手紙の著者がパウロだとすれば、1回だけ使っています(2:6)。しかしその箇所は詩篇8篇からの引用です。


1. 「人の子」としてのイェシュアの二つの面

  • 「人の子」の称号には二つの面があります。一つは「死すべき弱き人間」としての「エノーシュ」という面と、もう一つは「第二のアダム」としての「ヴェン・アーダーム」という面です。この二つの面をもったイェシュアの口から語られたメッセージから、今回は七つの語彙を取り上げ、その一つひとつを味わおうとしています。
  • 詩篇8篇は、ダビデが神からの啓示を受けて歌った預言的詩篇であると同時にメシア詩篇でもあります。メシア詩篇であるということは、そのことが新約聖書において引用され、あかしされています。詩篇8篇の中に次のようなフレーズがあります。

【新改訳改訂第3版】詩篇8篇4~6節
4 人とは、何者なのでしょう。あなたがこれを心に留められるとは。
人の子とは、何者なのでしょう。あなたがこれを顧みられるとは。
5 あなたは、人を、神よりいくらか劣るものとし、これに栄光と誉れの冠をかぶらせました。
6 あなたの御手の多くのわざを人に治めさせ、万物を彼の足の下に置かれました。


●4節は同義的パラレリズムです。つまり、「人」と「人の子」とは同じ存在であるということです。「人」は「エノーシュ」(אֱנוֹשׁ)、「人の子」は「ヴェン・アーダーム」(בֶן־אָָדָם)で表されます。「人」と「人の子」がイェシュアを指し示しているとするならば、イェシュアは「死すべき弱さをもった存在」としての「エノーシュ」の面と、神の造られたすべてのものを治める存在として創造された人である本来の「ア―ダーム」(אָדָם)が回復された存在、つまり「第二のアダム」である「ヴェン・アーダーム」の面を合わせ持っているということになります。この二つの面を合わせ持っていることが重要なのです。


  • ヘブル人への手紙の著者はこの詩篇8篇4~6節を注解して、以下のように記しています。

【新改訳改訂第3版】へブル人への手紙2章6~10節、14~15節
6 むしろ、ある個所で、ある人がこうあかししています。「人間が何者だというので、これをみこころに留められるのでしょう。人の子が何者だというので、これを顧みられるのでしょう。
7 あなたは、彼を、御使いよりも、しばらくの間、低いものとし、彼に栄光と誉れの冠を与え、
8 万物をその足の下に従わせられました」。万物を彼に従わせたとき、神は、彼に従わないものを何一つ残されなかったのです。それなのに、今でもなお、私たちはすべてのものが人間に従わせられているのを見てはいません。
9 ただ、御使いよりも、しばらくの間、低くされた方であるイエスのことは見ています。イエスは、死の苦しみのゆえに、栄光と誉れの冠をお受けになりました。その死は、神の恵みによって、すべての人のために味わわれたものです。
10 神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。

14 そこで、子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。これは、その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、
15 一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるためでした。


2. 「エノーシュ」としてのイェシュア

  • 14節に「子たちはみな血と肉とを持っているので、主もまた同じように、これらのものをお持ちになりました。」とあります。このことを使徒パウロは次のように述べています。キリストは「ご自分を無にして、仕える者の姿をとり、人間と同じようになられました。人としての性質をもって現れ、自分を卑しくし、死にまで従い、実に十字架の死にまでも従われました。」(ピリピ2:7~8)と。このことが意味することは、「その死によって、悪魔という、死の力を持つ者を滅ぼし、一生涯死の恐怖につながれて奴隷となっていた人々を解放してくださるため」(ヘブル2:14~15)であったのです。このように、「神が多くの子たちを栄光に導くのに、彼らの救いの創始者を、多くの苦しみを通して全うされたということは、万物の存在の目的であり、また原因でもある方として、ふさわしいことであったのです。」(ヘブル2:10)と述べられています。

3. 「ヴェン・アーダーム」としてのイェシュア

  • ヘブル人への手紙2章10節に、イェシュアのことを「救いの創始者」と記しています。なぜなら、イェシュアは多くの苦しみを通して神が多くの子(人)を栄光に導くことを全うされた方だからです。それゆえ、神は彼に栄光と誉れの冠を与え、万物をその足の下に従わせられました。これが「人の子」(「ヴェン・アーダーム」בֶן־אָדָם)であり、「第二のアダム」と言われる方です。
  • それゆえ今も、イェシュアは天の神の右の座において「人の子」と呼ばれているのです。初代教会の最初の殉教者となったステパノは、死の直前に「見なさい。天が開けて、人の子が神の右に立っておられるのが見えます。」(使徒7:56)と、その光景を見ています。
  • この「人の子」である方こそ聖餐の主役であり、今も私たちに語りかけ続けておられることを心に留めたいと思います。

2017.10.2


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