****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

人々とのかかわりを育てる学びの視座

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B-00. 人々とのかかわりを育てる学びの視座

   

  • Worship―神との交わりーとIntercession―人との交わりー、このライフスタイルは密接なものであり、不可分な関係にある。この関係はワン・セットであり、車の両輪、コインの表裏の関係である。賛美(Worship)は純粋に神を礼拝し、神を知り、神を愛することである。とりなしは、人への愛、隣人に対する愛という動機に基づくものである。この二つは神の律法を総括する。しかも、賛美もとりなしもひとつの行為や奉仕のひとつということではなく、主にあるライフスタイルなのである。
  • 前回のシリーズA「神とのかかわりを育てる学びの視座」では、「神との親しい関係を育てる」面に力点を置き、礼拝者としてのあり方を模索してきた。シリーズBの「人々とのかかわりを育てる学びの視座」では、「天の父があわれみ深いように、あなたがたもあわれみ深くしなさい」とあるように、「人との親しい関係を育てる」面に力点を置きながら、特に、あわれみの器としてのとりなし手のあり方について模索したい。ちなみに、人とての親しい関係は、神との親しい関係を土台として、とりなしの祈り、もてなし(ホスピタリティ・マインド)、人や社会に仕えていくという愛の働き、奉仕の生活を生みだすライフスタイルでもある。
  • 「神との親しい関係を育てる」ことも、また、「人との親しい関係を育てる」ことも、一朝一夕には育たない。いずれの面においても、成長するためには訓練(熟練)を必要とすることを心に留めたい。
  • ヨハネの黙示録5章のヴィジョン・・「立琴と金の鉢」 、ここには、四つの生き物と24人の長老たちが、天の御座におられる小羊を礼拝している姿がある。彼らは、それぞれ、立琴と香のいっぱい入った金の鉢とをもって、小羊の前にひれ伏して礼拝している。立琴は神を礼拝するための楽器であり、金の鉢の中にある香は、聖徒たちの祈り、つまり愛をもってとりなした祈りである。いつの時代においても、神が求めておられるのは、<礼拝者>と<とりなし手>である。「あらゆるときに主を賛美し、礼拝する者たち」、と「絶えず破れ口に立ってとりなす者たち」、この二つの面を兼ね備えた者たちである。神のみこころを実現するために、神は人を求められる。というのも、神は人を通して地を支配するように定められたからである。私たち神の民は、そのための権威を神から与えられているのである。()

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  • カンザスシティのマイク・ビクルはダビデの幕屋を立て上げるために、現在、毎日、絶えることなく、祈りの家で「24時間の賛美と祈り」をささげている。彼はその働きのディレクターである。その働きの目的は、キリストの再臨の前に神が約束しておられる魂の救いの大収穫を期待して、世界中にある教会に、この「24時間の賛美と祈り」の働きをもたらすためであるという。彼は、黙示録5章のヴィジョンを二つのキー・ワード、すなわち「立琴」と「鉢」(英語ではHarp & Bowl)とし、しばしば「Harp & Bowl」セミナーを開催し、また祈りの学校を建て上げて、質の高い献身者たちによって、毎月はじめの月曜~水曜の3日間、それが11カ月、そしてあとの1ヵ月(12月)は7日間(月曜日の午後から次の週の月曜の昼まで)、年間、合計40日間の断食聖会(The Global Bridegroom Fast)なるものを2002年の1月から始めている。ちなみに、この「24時間の賛美と祈り」は、キリストが再臨されるまで続けるとしている。


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