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主の御顏を避けたヨナ

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1. 主の御顔を避けたヨナ

ベレーシート

  • ヨナ書は4章から成っていますが、今回の瞑想は各章を2回ずつ、異なった視点から、あるいは他の着眼点から味わおうという企画による配分としています。
  • 今回は、1章1~3節の箇所に注目したいと思います。

1. ヴァッイェヒー

【新改訳改訂第3版】ヨナ書1章1節
アミタイの子ヨナに次のような【主】のことばがあった。


【新共同訳】ヨナ書1章1節
主の言葉がアミタイの子ヨナに臨んだ。


【フランシスコ会訳】ヨナ書1章1節
ある時ヤーウェは、アミッタイの子ヨナに仰せられた。


【私訳】ヨナ書1章1節
さて、主の言葉がアミッタイの子ヨナに臨み、語られた。

  • ヨナ書の冒頭(1章1節)は「ヴァッイェヒー」(וַיְּהִי)で始まります。この語句れは、ヨシュア記、士師記、ルツ記、Ⅰサムエル記、Ⅱサムエル記、ネヘミヤ記、エステル記、エゼキエル書の冒頭にも見ることができます。特に、預言書の場合には、神のことばが預言者に主権的に臨むことで、預言者は不可抗力的な力に動かされそこに神の出来事が起こってくることを意味する定型句なのです。ヨナの語った主のことばはわずかですが、他の預言者と同様の定型句があることから、ヨナが預言者として見なされていることが分かります。
  • ちなみに、「ヴァッイェヒー」(וַיְּהִי)は、「ハーヤー」(הָיָה)の未完了形「イフイェ」(יִהְיֶה)の前に「ヴァヴ」(ו)がついた形ですが、その場合、וַיִּהְיֶה という形にならずに、短縮形の וַיְּהִי となります。この場合は、すでに先行する事柄の連続を意味する「そして・・」という直訳よりも、むしろ、「さて・・があった(起こった)」という過去の意味で用いられます。フランシスコ会訳では「ある時・・・なった」と訳されています。決して、おとぎ話のような「昔々」というような意味ではなく、「歴史性を主張するための語法」(樋口信平氏)なのです。

2. クーム・レーフ(「立って、行け」)

  • ヨナに臨んだ主のことばは以下のとおりです。

【新改訳改訂第3版】ヨナ書1章2節
立って、あの大きな町ニネベに行き、これに向かって叫べ。彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ。」

  • ヨナに対する直接的な主の命令は三つの動詞からなります。
    ①「立て」(「クーム」קוּם)
    ②「行け」(「ハーラフ」הָלַךְの命令形「レーフ」לֵךְ)
    ③「(大声で)叫べ」(「カーラー」קָרָאの命令形「ケラー」קְרָא)
  • どこに行って主のことばを語るのかと言えば、それは大きな町ニネベです。ニネベは創世記10章8~12節によれば、ハムの子孫で地上で最初の権力者となったニムロデによって建てられた町であることが分かります。地図を見ると以下の赤い囲み線で記された場所です。

    画像の説明

  • 「ニムロデ」(נִמְרֹד)は「マーラド」(מָרַד)に由来した名前で「背く、反逆する」という意味です。ですから、その彼によって建てられた町も当然、神に背いた町と言えます。ですから、ヨナ書1章2節の後半で「彼らの悪がわたしの前に上って来たからだ」と、ヨナの派遣の理由を説明しています。つまり、ニネベの住民の悪事が主にまで達したということなのです。
  • ニネベ(「二―ヌヴェー」נִינְוֵה)の町はとても古い町ですが、アッシリヤ帝国の時代にその国の首都となります。しかし、そのニネベもB.C.612年にバビロンによって滅ぼされました。

3. 主の御顔を避けて、タルシシュへ行こうとしたヨナ

【新改訳改訂第3版】ヨナ書 1章3節
しかしヨナは、【主】の御顔を避けてタルシシュへのがれようとし、立って、ヨッパに下った。彼は、タルシシュ行きの船を見つけ、船賃を払ってそれに乗り、【主】の御顔を避けて、みなといっしょにタルシシュへ行こうとした。

  • この3節には、「主の御顔を避けて」というフレーズが2回、「下る」という語彙が2回、そして「タルシシュ」という言葉が3回あります。

(1)「主の御顔を避けて」
直訳的には「主の前から」(「ミッリフネー・アドナイ」מִלִּפְנֵי יהוה)です。つまり、ヨナは主の意志(あるいは主の支配範囲)の届かないところへ逃げ出すために「立って」、そしてタルシシュへ逃げるために「ヨッパ」(=「ヤーフォー」יָכוֹ)に「下った」のです。「ヨッパ」も「タルシシュ」もニネベとは反対方向です。これは主との対話を拒否した無言の行動です。なにゆえに、ヨナは主の御顔を避けてタルシシュへ逃れようとしたのでしょうか。そのことについて、3節は何もふれてはいませんが、4章にそのことが記されています。「私は、あなたが情け深い神であり、怒るのにおそく、恵み豊かであり、わざわいを思い直されることを知っていた」(4:2)と。つまり、もしニネベが悔い改めれば、神は思い直してそ町をさばかれないであろうこということを知っていた。それがタルシシュに逃げようとした真の理由でした。

(2)「ヨッパへ下った」(「ヤーラド ヤーフォー」(יָרַד יָפוֹ)
「下る」という語は、ヨナ書前半(1~2章)の重要な語彙です。なぜなら、主の前におけるヨナの立場を描写しているからです。3節には二回「ヨッパに下った」「~に行こうとした」。5節は「ヨナは船底に降りて行って」。2章6節には「私は山々の根元まで下り」で使われています。「山々の根元」とは地下の世界、すなわち、「陰府、死の国、出口のない状況」という意味。

(3)「タルシシュ」(「タルシーシュ」תַּרְשִׁישׁ)
果たして、ヨナは主の支配範囲がイスラエルのみに限定されていると考えていたのでしょうか。「タルシシュ」という地名は聖書の舞台としては西の最果ての地です。ヨナが主の御顔を避けて「タルシシュ行きの船」を見つけて、それに乗ったのは、ヨナがニネベに対する宣教の必然性をはっきりと拒絶した無言の行動だということが強く伝わってきます。


画像の説明

  • 私たちが主の御顔を避けて逃げようとも、また、どこへ隠れようともそれは不可能です。詩篇139篇の作者は次のように述べています。

【新改訳改訂第3版】詩篇139篇7~10節

7 私はあなたの御霊から離れて、どこへ行けましょう。私はあなたの御前を離れて、どこへのがれましょう。
8 たとい、私が天に上っても、そこにあなたはおられ、私がよみに床を設けても、そこにあなたはおられます。
9 私が暁の翼をかって、海の果てに住んでも、
10 そこでも、あなたの御手が私を導き、あなたの右の手が私を捕らえます。


2015.5.9


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