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ヘロデ・アンティパス1世による迫害

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17. ヘロデ・アンティパス1世による迫害

【聖書箇所】 12章1節~25節

ベレーシート

  • 使徒の働きの12章の冒頭には、「ヘロデ王」という人物による迫害について記しています。「教会の中のある人々を苦しめようとして」とあるように、その中の一人で使徒のヤコブが殉教したことが記されています。ヘロデの目的は「ユダヤ人の気を引くため」でした。12章には「ユダヤ人に媚びるヘロデ」(3節)と「ヘロデに媚びるツロとシドンの人々」(20~22節)のこの世の政治的かけひきによる迎合を見ることが出来ます。しかしそれはまことに儚いものであることがヘロデの非業の死を通して暗示されています。逆に、神の福音はこの世と決して迎合することなく、ますます盛んになり、広まっていったことが強調されているように思います(24節)。

1. ユダヤ人に対するヘロデ王の迎合

  • ここでの「ユダヤ人」とは、当時のユダヤの指導者たち、サドカイ派とパリサイ人を含んでいます。使徒ヤコブを剣で殺したことが「ユダヤ人の気にいったのを見た」ヘロデは、使徒の筆頭であるペテロを捕えて殺そうと図りました。
  • 12章1節に登場するヘロデ王とは、ヘロデ・アグリッパ1世のことです。以下はヘロデ王家の系図です。

画像の説明

  • ヘロデ大王とは、イエスが誕生した後に東方の博士たちが「ユダヤ人の王としてお生まれになった方はどころにおられますか、私たちはその方わ拝みにまいりました」という言葉を聞いて恐れまどった人物です。この恐れのゆえに、ペツレヘムとその周辺の住む二歳以下の男の子をひとり残らず殺させた人です。このヘロデ大王の気質が、ヘロデ王家の気質の特徴と言っても過言ではありません。彼はエドム人の祖先でありながら、ユダヤ人とも血縁関係を結びました。ヘロデ家は自分たちの政治的保身のために、そのときそのときの権力者たちに迎合しながら、うまく世を渡ってきた家系でした。
  • 紀元前140年頃から紀元前37年までユダヤ(イスラエル)の独立を維持して統治したユダヤ人のハスモン王朝の末期の王アレクサンドロス・ヤンナイオスの息子ヒルカノス2世の側近に、イドマヤ(エドムのギリシャ語読み)出身のアンティパトロスという武将がいたのですが、ヘロデはこのアンティパトロスの息子です。父アンティパトロスはローマ軍の軍事行動を積極的に援助することでユリウス・カエサルの信用を勝ち取ることに成功した人物です。ヘロデは父の功績でやがてユダヤのガリラヤの知事となります。さらに、ヘロデはハスモン家のヒルカノス2世の孫娘であるマリアムネ1世を妻として迎えてハスモン朝との関係を作っていましたが、ローマに迎合したため、やがては政治的な駆け引きの中で、ユダヤ人の血筋を持つ妻や息子二人を殺害してしまった人物でした。ヘロデ・アンティパスはそのヘロデ大王の孫に当たります。

2. 使徒ペテロの救出劇

  • ユダヤ人に取り入るために、過越の祭りのあとでペテロを殺害しようとしたヘロデの面子を丸つぶとにした事件が起こりました。ペテロを捕えて牢に入れ、かつ厳重な監視をしていたにもかかわらず、そのペテロが牢から消えてしまったのです。聖書には御使いによって救出されたことを知ることができますが、ヘロデにとってみれば面目丸潰れです。ペテロの消息をつかむことができなかったために、ペテロを監視していた番兵たちを処刑しています。
画像の説明
  • 捕らわれの身となっているペテロを御使いが助けようします。そのときに御使いがペテロに語ったことばは注目すべきことばです。それは「急いで立ち上がりなさい」という呼びかけです。ここにも復活用語である「アニステーミ」が使われています。ペテロのいのちも風前の灯と思いきや、ここで「立ち上がる」ことはまさに神の大いなる救出劇の展開です。「アニステーミー」は使徒の働きのキーワードです。
  • ペテロが牢から救出された後で、彼は「マルコと呼ばれているヨハネの母マリヤの家」に行っています。おそらくそこでペテロのために徹夜祈祷会がなされていたと考えられます。そこへペテロが訪ねて行ったので、集まっていた人々は「非常に驚いた」のです。ペテロは自分がどのようにして助かったかをあかしした後、「このことをヤコブと兄弟たちに知らせてください」と言って消息を絶ちます。ここには、やがてバルナバとサウルに一緒に宣教についていったマルコと呼ばれているヨハネが登場としていますし、さらにもう一人。15章のエルサレム会議で議長役を務めるイエスの兄弟のヤコブの名も登場しています。

3. ヘロデのさばきとしての死

  • 20~23節には、「定められた日」にカエザリヤに赴いたヘロデに対して媚びるツロとシドンの人々が目につきます。自分たちがヘロデに嫌われていることを知った彼らは、王の侍従であるブラストに取り入ってだけでなく、王の演説に対して、「神の声だ。人間の声ではない」とこの上ない媚びを売ってヘロデに迎合しました。というのも、自分たちの食糧がガリラヤ地方からまかなわれていたからです。迎合の根は「恐れ」です。
  • 一方のヘロデは「神に栄光を帰さなかった」ため、主の使いに打たれて死んだことをルカは記していますが、当時の歴史家ヨセフスの古代史によれば、ヘロデは激しい腹痛の発作に見舞われ、五日間苦しんで死んだようです。まさか! 虫でかまれて・・。王を襲った突然の苦痛と非業の死、だれも予想できなかったことでした。神を恐れることなく、人を恐れて迎合していく姿は一つの「型」であり、そこに神のさばきがあることを聖書は記していることに目を留めたいと思います。
  • 逆に、人に迎合することなく、ただ神を恐れる者たちにゆだねられた神の福音のことばは、決して空しく地に落ちることなく、多くの実を結んで行ったことをルカは併記しています(24節)。

付記

12章のギリシャ語の中に、私たちが今使っているなじみのある言葉があります。以下がそれです。

(1) 7節「(光が)照らした」-「ランポー」λαμπω・・「ランプ」
(2) 8節「くつ(履物)」-「サンダリオン」σανδαλιον・・「サンダル」
(3) 9節「幻」-「ホラマ」όραμα・・「ホラー」
(4)10節「ひとりでに」-「オートマトス」αυτοματος・・「オートマ」
(5)10節「町」-「ポリス」πολις・・「ポリス」


2013.4.18


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