****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

パウロから公然と非難されたペテロ


5. パウロから公然と非難されたペテロ

【聖書箇所】2章11~14節

■ 2章11節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙2章11節
ところが、ケファがアンティオキアに来たとき、彼に非難すべきことがあったので、私は面と向かって抗議しました。

●「ケファがアンティオキアに来たとき」とあります。場面は2章1~10節のエルサレムから「アンティオキア」(「アンティオケイア」Ἀντιόχεια)に変わっています。「アンティオキア」はパウロとバルナバの宣教の本拠地です。アンティオキア教会はユダヤ人のキリスト者と異邦人のキリスト者からなる教会です。そもそもアンティオキアの教会は、ステファノの殉教によって始まった迫害のために散らされていったユダヤ人キリスト者たちを母体にして始まった教会です(使徒11:19参照)。ここから異邦人伝道が始まったのです。弟子たちが初めて「キリスト者と呼ばれるようになった」のもアンティオキアでした。そして、そこにケファ(Κηφᾶς)がやって来たのです。

●ところで、ペテロのことをケファと記すのは、イェシュアが一度「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます」と言われましたが、他はほとんどパウロが使っています。パウロが9回手紙で使っています。Ⅰコリント書4回、ガラテヤ書で5回)。

●ケファがアンティオキアにやって来たのは、教会の視察のためにやって来たと思われます。パウロがエルサレムを訪問した時は交わりのしるしとして右手を指しのべましたが、ケファがアンティオキアを訪れた時は、パウロは面と向かって彼を非難したのです。「非難すべきことがあった」とは、福音の真理に照らしてという意味。しかも「面と向かって」とは、個人的ではなく、公的にという意味です。パウロが公的に「抗議した(=反対した)」内容が、次の12節に記されています。

■ 2章12節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙2章12節
ケファは、ある人たちがヤコブのところから来る前は、異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行ったからです。

●12節の原文には、パウロが公然とケファに抗議した理由(というのは~だから)を示す前置詞「ガル」(γὰρ)があります。というのは、「ある人たちがヤコブのところから来る前は、ケファは異邦人と一緒に食事をしていたのに、その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行ったから」ということで、パウロはケファを非難しているのです。

●使徒の働き10~11章には、神が異邦人にも聖霊を注がれる方であることをペテロに入念に教え導かれたことが綴られています。そして、ケファは割礼を受けていない者たちと一緒に食事をしているのです。これは当時のユダヤ人には理解しがたいことでしたが、神がそのように導かれたのです。

【新改訳2017】使徒の働き11章1~4節
1 さて、使徒たちとユダヤにいる兄弟たちは、異邦人たちも神のことばを受け入れたことを耳にした。
2 そこで、ペテロがエルサレムに上って来たとき、割礼を受けている者たちが、彼を非難して、
3 「あなたは割礼を受けていない者たちのところに行って、彼らと一緒に食事をした」と言った。
4 そこで、ペテロは彼らに事の次第を順序立てて説明した。

●ここでは、割礼を受けている者たちがペテロ(ケファ)を非難しています。そして今回、ケファはアンティオキアに来てからも、異邦人キリスト者と一緒に食事をしていたのです。「一緒に食事をしていた」とは「スネスシオー」(συνεσθίω)の未完了形です。未完了形は何度も繰り返していたことを示しています。ですから、「彼は異邦人と一緒に食事をする習慣であった」とも訳せるのです。ケファは異邦人キリスト者であるアンティオキアの信者たちとの食卓を囲んでの交わりを楽しんでいたのです。しかしそれは「ある人たちがヤコブのところから来る前」のことです。「ヤコブのところから」とは「エルサレムから」という意味です。「ある人々」とは、パリサイ派の者で信者となった人々で、エルサレム会議のときには「異邦人にも割礼を受けさせ、また、モーセの律法を守ることを命じるべきである」と考えていた人たちだと思われます。ケファは「その人たちが来ると、割礼派の人々を恐れて異邦人から身を引き、離れて行った」のです。

●「身を引く」(「ヒュポステッロー」ὑποστέλλω)も、「離れて行った」(「アフォリゾー」ἀφορίζω)も、いずれも未完了形で、「次第に身を引き」、「徐々に離れて行った」というニュアンスです。このことが福音の真理からすると、パウロの目には問題行動として写ったのです。なぜでしょうか。この点こそ今回取り上げる重要な点なのです。

●ある人々とは「モーセの慣習に従って割礼を受けなければ、あなたがたは救われない」と主張していた者たちですが、今回は「割礼を受けたユダヤ人信者と無割礼の異邦人信者が食卓を囲んで交わりを持つことに対してふさわしいことではない」と思っていたのです。ここで言っている共同の食事は日常的な単なる食事会のことではなく、「主の晩餐」に先立って行われる食事会だったとある人は注解していますが、もしそうだとすれば、なおさら大問題です。しかしテキストだけではそれを裏付ける根拠はありません。たとえ共同の食事であったとしても、それを拒むことは、福音の真理に矛盾する振る舞いとなり、ユダヤ人と異邦人からなる「エックレーシア」(教会)の解体を意味することになることをパウロは懸念したのです。

●神のことよりも人のことを思ってしまうケファ、神学的な確信からではなく、個人的な確信からでもなく、ただ「人々を恐れて・・身を引き、離れて行った」という「臆病な振る舞い」に対して、パウロは非難し、「面と向かって抗議した」(=「公然と叱責した」)のです。

■ 2章13節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙2章13節
そして、ほかのユダヤ人たちも彼と一緒に本心を偽った行動をとり、バルナバまで、その偽りの行動に引き込まれてしまいました。

●ケファの行為は、ほかのユダヤ人たちにも影響を与えてしまいました。13節の「ほかのユダヤ人」とあるのは、アンティオキア教会のユダヤ人キリスト者たちのことです。彼らもケファと同様に、「本心を偽った行動をとった」のです。さらには、バルナバさえも「その偽りの行動に引き込まれてしまった」のです。「引き込まれてしまった」とは「一緒に歩調を合わせる」(「スナパゴー」συναπἄγω)のアオリスト受動態です。それは、神よりも人の顔を恐れ、人に気に入られようとすることです。

■ 2章14節

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【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙2章14節
彼らが福音の真理に向かってまっすぐに歩んでいないのを見て、私は皆の面前でケファにこう言いました。「あなた自身、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人ではなく異邦人のように生活しているのならば、どうして異邦人に、ユダヤ人のように生活することを強いるのですか。」

●14節の冒頭では、ほかのユダヤ人たちや、バルナバまでもが、福音の真理に立って歩んでいないのを見ても、直接、非難の言葉を浴びせていません。パウロの非難の標的は、ケファただ一人に絞られています。「あなた自身、ユダヤ人でありながら、ユダヤ人ではなく異邦人のように生活しているのならば、どうして異邦人に、ユダヤ人のように生活することを強いるのですか」とあります。これはどういうことでしょうか。それは「異邦人とユダヤ人との間になんら区別をしなかった態度から一変して、律法主義に立ち返ることは、異邦人に律法を強要することになるのではありませんか」という意味です。

●ここで、ケファに対する叱責を、ガラテヤの諸教会宛ての手紙になぜ示さなければならなかったのかということを考えてみましょう。それは「福音の真理」とは何かという問題です。それが2章1~10節でのエルサレムでも、また2章11~14節のアンティオキアでも、争点となっている事柄なのです。では「福音の真理」とは何か。それは神のさばきのもとにある罪人である私たちが、神の御子の十字架の死によって罪ののろいから解放されるだけでなく、御子の復活によって、新しいいのちを与えられて神の子として生きることができるという神の破格の恵みです。それは人のわざではなく、ただ信仰のみによって与えられるということです。

●その恵みは、少し先になりますが、3章26~28節にあります。

【新改訳2017】ガラテヤ人への手紙3章26~28節
26 あなたがたはみな、信仰により、キリスト・イエスにあって神の子どもです。
27 キリストにつくバプテスマを受けたあなたがたはみな、キリストを着たのです。
28 ユダヤ人もギリシア人もなく、奴隷も自由人もなく、男と女もありません。あなたがたはみな、キリスト・イエスにあって一つだからです。


7.25


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