****** 教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

ケイーシュ・エハード(ひとりの人のように)

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エズラ記の目次

3. ケイーシュ・エハード(ひとりの人のように)

【聖書箇所】 3章1節~13節

ベレーシート

  • バビロンから帰還した民たちはそれぞれ自分たちがもといた町々に住み着きました(エズラ2:70)。しかし「第七の月が近づくと」、彼らは「いっせいに」エルサレムに集まってきました。それは彼らがモーセの律法に定められている「仮庵の祭」をするためでした。
  • すでに彼らはバビロンにおいて、二代・三世代かけてトーラー・ライスタイルを築いていました。そうした彼らが主に奮い立たせられて帰還したわけですから、トーラーを中心とした生活をしようとするのは当然でした。まだエズラのような人物はエルサレムにはおりませんでしたが、彼らは彼らなりに、自発的・主体的に神のトーラーに従って生きようとしていたことが分かります。上からの脅迫的な勧告によるのでもなく、あるいは合議によって決定したことでもなく、ただ「いっせいに」(原文では「ひとりの人のように」)に、「モーセの律法に書かれているとおりに」、全焼のいけにえをささげるために、こぞって祭壇を築いたのでした。これは主の例祭の回復の意味するスタートでした(脚注)。

1. 「ケイーシュ・エハード」

  • エズラ記3章には、主の祭壇の建設と主の例祭の回復のために、民たちが「いっせいに」(新改訳)エルサレムに集まりました。口語訳は「ひとりのように」、新共同訳は「一人の人のようになった」と訳しています。原文では「ケイーシュ・エハード」(כְּאִישׁ אֶחָד)なっており、「ひとりの人のように」です。つまり、共通の情熱に動かされた者たちが「ひとりの人のように」一斉に集まって来たことがすごいことです。いわば「心を一つにして」集ったのです。これこそ神の民の力です。
  • もう一箇所、レビ人たちが神殿の工事を始めたときにも「一致」する姿がありました。9節の「こうして、・・一致して立ち、神の宮を工事する者を指揮した。」とあります。「一致して立ち」(口語訳は「共に立って」、新共同訳は「一緒になって」)と訳されている原語は「ケエハード」(כְּאֶחָד)です。「ケ」(כְּ)は前置詞「~のように」、「エハード」は「一つ」を意味します。
  • 「心を合わせて」「心(と思い)をひとつにして」という現実(リアリティ)は、ある種の「力」を秘めています。これこそが初代教会の力でした(使徒1:22/2:1, 46/4:24, 32/5:12参照)。
  • エズラ記では、主の例祭の回復と神殿の再建において「エハード」(אֶחָד)があったことを記しています。詩篇133篇1節に「見よ。兄弟たちが一つになって共に住むことは。なんというしあわせ、なんという楽しさであろう」とあるように、そこには「一致の祝福」が記されています。

2. 回復の土台

  • エズラ記3章には、二つの回復の土台が記されています。

    (1) 「モーセの律法に書かれているとおりに」
    彼らは、エルサレムに帰還してから神の民として生きるための土台を「神の人モーセの律法に書かれているとおり」にしようと心に定めました。それによって神と人とが交わることのできる祭壇を築き、主の例祭を復興させました。

    (2) 「ダビデの規定によって」
    「ダビデの規定」とは、神殿における賛美の規定です。かつてのソロモンの神殿における賛美を伴う礼拝の規定は、すべてダビデが規定したものでした。祭壇が築かれ、主の例祭が回復してから、約半年後(翌年の第二の月)に神殿の工事がはじまり、その礎が据えられました。その時に、祭司とレビ人は「ダビデの規定によって」主を賛美したのです。その賛美は「主に感謝せよ。主はまことにいつくしみ深い、その恵みはとこしえまで。」でした。ヘブル語では「キー・トーヴ、キー・レオラーム・ハスドー」です。イスラエルの定型的賛美です。

    この出来事は、エレミヤ書33章10, 11節の預言でした。


3. 多くの老人たちの悲しみの理由

  • 神殿の礎が据えられた時、民はみな主を賛美して大声で喜び叫んだのですが、一方で、彼らのうち最初の宮を見たことのある多くの老人たちは、大声で泣いたとあります(12節)。第一神殿の破壊は約50余年前だったので、老人たちはその神殿の礼拝の光景を覚えていたと考えられます。
  • なぜ、彼らは泣いたのでしょうか。まだ神殿の礎が据えられただけです。その礎は神殿のサイズ(大きさ)を示すものと言えます。事実、再建される神殿の規模はソロモンの時代の神殿と同規模の(高さ60キュビト、幅60)キュビトです。ですから、老人たちの悲しみは神殿の規模ではなく、賛美の貧弱さだという方がおられます。というのは、ダビデの規定によれば聖歌隊は4千人規模であり、しかも多くの楽器が(フルオーケスラ)によるものであったからです。しかしここでの賛美は聖歌隊はなく、楽器も二つ(ラッパとシンバル)だけでした。かつての壮大な賛美の姿はこのときはなかったのです。これが老人たちが「大声を上げて泣いた」理由だと考えられます。

脚注
帰還した民たちが最初に行った主の祭は「仮庵の祭」でした。これは後に捕囚の帰還を記念する日ともなりました。この「仮庵の祭」はやがてイスラエルの新年となります。これはメシアの到来と深い関係があります。キリストの初臨は12月のクリスマスの時期ではなく、「仮庵の祭」の時期であったことが明らかにされています。また、キリストの再臨の時期もこの「仮庵の祭」の頃と考えられています。主の例祭と神のご計画のマスタープランは密接な関係があるのです。置換神学の弊害によってこのことが長い間、覆われていました。しかし今日、ユダヤ的・ヘブル的ルーツに戻ることで、はじめて神の本来のご計画(マスタープラン)が見えるようになって来ています。

2013.9.6


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