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エリヤから預言者としての権威を受け継いだエリシャ

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列王記の目次

25. エリヤから預言者としての権威を受け継いだエリシャ

【聖書箇所】 2章1節~24節

はじめに

  • 2章には、エリシャがエリヤの後継者として引き継がれるときに、どのようなことがあったのかを記しています。エリヤはカリスマ的な性格を持つ預言者として北イスラエル王国なおいて活躍しました。多くの主にある預言者たちがいたのですが、その中からエリヤの後継者として受けとめられるふさわしい新たな預言者を必要としていたのです。
  • 預言者エリヤの最期は、「たつまきに乗って天へと上って行く」というきわめてユニークな召され方でした。エリシャはその最期をしっかりと見届けました(実際にはエリシャだけしか見ていません)。その前に、エリシャはエリヤに「あなたの霊の、二つの分け前が私のものとなりますように」願いました(2:9)。「ふたつの分け前」とは二倍という意味ではありません。新共同訳では「あなたの霊の二つの分をわたしに受け継がせてください」と訳しているように、この願いはエリシャがエリヤの後継者となることを願ったのです。神の律法(申命記21:17)によれば、父の財産が譲渡される場合、他の子どもに対して長子は二倍のものを受けたので、エリシャはそのように願ったのでした。決して二倍の祝福そのものを求めたのではありません。

1. 多くの預言者たちに後継者となるエリシャをエリヤは紹介した

  • かつてエリヤがシナイ山で主の声を聞いたとき、イスラエルの中にバアルにひざをかかげめない7千人の「残りの者」たちがいることを知らされます。2章に登場する預言者たちもその「残りの者」たちです。エリヤは自分の任務を終えて、後継者をエリシャとすることを他の預言者たちに知らせる必要がありました。そこでエリヤはギルガル(ベテルの北方にある)がエリシャを連れて、ベテル(かつてヤロブアムが南の聖所とした場所)にある預言者集団(預言者学校)に導かれて赴きます。エリヤば死ぬ前に、同労者たちと会って必要な指示と励ましを与えると同時に、自分の後継者となるエリシャを紹介することを目的とする旅だったと言えます。脚注
  • エリヤの進んでいった道は、「ギルガル」⇒「ベテル」⇒「エリコ」⇒「ヨルダン西側」⇒「ヨルダン東側」でした。 ここでエリヤは「たつまきに乗って天に引き上げられました。」、エリシャもヨルダン川を渡り、エリヤの霊の二倍を分け与えられて、再度、引き返す時にも渡ることにもなるのです。
画像の説明
  • エリヤは死を経験することなく天に引き上げられました。たつまきに乗って天へと上って行ったのです。その光景を後継者となるエリシャはしっかりと見ることができました。創世記6章に登場するエノクも死を経験することなく「神が彼をとられた」と表現しています。「取られた」と訳されたヘブル語は「ラーカハ」לָקַחです。そしてエリヤが「取り上げられた」のも同じく「ラーカハ」という動詞が使われていますが、後者は強意形の受動態です。
  • 新約聖書にあるキリストの「空中再臨」においては次のように記されています。

【新改訳改訂第3版】第一テサロニケ 4章16~18節
16 主は、号令と、御使いのかしらの声と、神のラッパの響きのうちに、ご自身天から下って来られます。それからキリストにある死者が、まず初めによみがえり、
17 次に、生き残っている私たちが、たちまち彼らといっしょに雲の中に一挙に引き上げられ、空中で主と会うのです。このようにして、私たちは、いつまでも主とともにいることになります。
18 こういうわけですから、このことばをもって互いに慰め合いなさい。

  • ここで「引き上げられ」と訳されているギリシャ語は「ハンパゾー」ἁρπάζωで、その意味するところは「一瞬にして、力づくで取り去る、かさらう」ことです。天にいるもろもろの悪霊たちもそれを阻止することができないほどに、まばたきをする間に、主にある者たちは瞬間移動によって「天に引き上げられ」るのです。サタンもびっくり!!です。あまりの速さで気づいたときにはすでに引き上げられているのです。

2. エリヤの後継者となったエリシャ

  • エリシャは旧約聖書に登場する預言者のなかで、最も多くの奇蹟を行った預言者です。エリシャの働きにはエリヤに勝るものがあります。
  • エリヤとエリシャのかかわりは、バプテスマのヨハネとイエスのかかわりの型と見ることが出来ます。エリヤが天に引き上げられたということは、彼が再び現われることのしるしでもあります。事実、マラキ書4:5では「見よ。わたしは、主の大いなる恐ろしい日が来る前に、預言者エリヤをあなたがたに遣わす」とあります。それはバプテスマのヨハネにおいて成就しました。そしてエリヤがエリシャに油注いだように、ヨハネはイエスに洗礼を授けています。
    「エリシャ」とは「神の救い」という意味の名前です。これは「主は救い」というヨシュア(イェシュア)、ギリシャ語では「イエスース」です。つまり、エリシャはイェシュア、すなわち「イエス」の型だということです。
  • エリシャは「ヨルダン川の岸辺に立ち、・・・エリヤの身から落ちた外套を取って水を打ち」ました。すると、「水が両側から分かれたので、エリシャは渡った」とあります(2:13, 14)。これはかつてヨシュアがヨルダン川を渡って約束の地に入ったことに相当します。その後、ヨシュアはエリコを滅ぼしますが、エリシャは反対に、呪われた町エリコの水を良くする奇蹟を行います。さらには、イエスはエリコの町に入り、取税人のザアカイと出会い、彼の家に入ります。そしてそこでザアカイは悔い改め、「きょう、救いがこの家に来ました。この人もアブラハムの子なのですから。」と宣言しています。
  • しかし、ベテルにおいては悲しい出来事が起こります。エリシャをからかった42人の子どもが二頭の雌熊に襲われて死にました。このベテルでは金の小牛が拝まれており、やがてエルサレムが滅亡する時には、子どもが悲惨な目に遭うということの前触れかもしれません。ベテルはかつてヤコブに主があらわれて「わたしが共にいる」と言って祝福された場所「神の家」とヤコブが名づけた場所でした。しかし、その祝福の町での子どもの悲劇は、神の厳しいさばきが下ることの予告と言えるかもしれません。

脚注

いつの時代にも主の名によって語ると称しながら、王の気に入りそうなことを言うだけの「雇われ預言者」(職業的預言者)はいたようです。しかし、真の預言者は王を批判することもためらわない存在です。このような真の預言者のモデルがエリヤでした。この真の預言者の系譜を後代に継承すること、これがエリシャに託された使命でした。この預言者運動を育成するためにエリシャはその後の生涯をささげたのです。

2012.10.24


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