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こうして、ヨシャパテは・・・

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41. こうして、ヨシャパテは・・・

【聖書箇所】Ⅱ歴代誌 17章1節~19節

ベレーシート

  • 12節には、「こうして、ヨシャパテはしだいに並はずれて強大になり」とあります。「こうして」と訳されたヘブル語は接続詞の「ヴェ」(וְ)です。この接続詞は「そして、そこで、それで、こうして、すると、さて、また、しかし・・・」という幅広い意味をもっている接続詞で、翻訳者はコンテキストの流れの中でその中のいずれかの意味を選び取らなければなりません。あえて訳さない場合も多くあります。しかし、ここで「こうして」という意味を選んだのであれば、そこには、「どうして」というその原因や理由が本文のテキストの中に記されているからです。そのような意味で、今回は、ヨシャパテがどのようにして「並はずれた強大となって」いったのかに注目してみたいと思います。
  • ちなみに、「ヨシャパテ」(יְהוֹשָׁפָט)という名前の意味は、「主が治める、主が統治される」という意味です。ヨシャパテは名前が意味するとおりに、彼を通して主が治めることで国が強大となっていったのです。彼から学ぶことは多くあります。

1. 神を尋ね求め、神の命令に従って歩んだ

  • ヨシャパテはダビデや父アサがそうであったように、神を求める者、尋ね求める者でした。ここで「求める」と訳されているヘブル動詞は「ダーラシュ」(דָּרַשׁ)です。ここには使われていませんが、もう一つ主を慕い求める動詞に「バーカシュ」(בָּקַשׁ)というのがあります。前者が理性的に神を求めるのに対して、後者は心情的に神を慕い求めるときに使われます。ここでは、前者の「ダーラシュ」のみが使われています。
  • ヨシャパテは主の律法に対する並々ならぬ情熱をもって、その命令(「ミツヴァー」מִצְוָה)に従って日々を歩みました(「ハーラフ」הָלַךְ)。「ミツヴァー」は「仰せ」とも訳されますが、意味としては、日常の行動の細かな主の指針を意味することばです。
  • 主を尋ね求め(דָּרַשׁ)、主の細かな命令(מִצְוָה)に従って、歩んだ(הָלַךְ)ことによって、主は御自身の王国を彼の手によって確立させたのでした(5節)。その祝福は「富と誉れ」ーという目に見える形で彼にもたらしました。

2. ユダの地を主の律法で取り囲んだ

  • ヨシャパテと彼が治めるユダの国が並はずれて強大になっていったもうひとつの理由は、主の律法の教育を国家的事業として行ったことです。「教える」という動詞「ラーマド」(לָמַד)が3回(7,9,9節)使われており、そのことが経調されています。
  • ヨシャパテは律法の教育をつかさたち、レビ人、祭司らを登用して、ユダのすべての町々を巡回させて、民の間で教えるようにさせました。「巡回する」という動詞は「サーヴァヴ」(סָבַב)で、「巡回する」という意味の他に「取り囲む」「包む」「包囲する」という意味があります。つまり、主の律法教育によって、ユダ全体を霊的バリアによって「取り囲んだ」という状況です。この結果は、周囲の王国が主を恐れをもたらし、ヨシャパテに戦いをしかける者はだれもなかったと記されています(10節)。むしろ逆に、贈り物を携えて来る者たち(ペリシテ、エジプト人たち)が後を絶たなかったのです。
  • 主の律法を神の民がまとう時、まさに強力な霊的なバリアが築かれると言えます。今日のキリスト教会が求められているのは、神のみことばを深く学ぶことです。このことは決して派手な営みではなく、むしろ地味な営みです。マルタスタイルではなく、マリアスタイルなのです。
  • もし教会が真剣にこのことに取り組まなければ、強力な霊的なバリアを造ることはできません。多くの活動、多くの働き、多くの動員、多くの派手なパフォーマンスがあっても、根のない草のように、やがては崩れていきます。みことばをしっかり学ぶ態勢ができていなければ、様々な新しいムーブメントに翻弄されて流されてしまいやすくなります。そうした危険から守られるためにも、私たちは神の代理として模範的な王政を行い、国家的事業として主の律法を学ぶことを柱としたヨシャパテの真摯な取り組みに、改めて目を向ける必要があると信じます。

2014. 3.25


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