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「イスラエルの回復と神の怒りの預言」


3. イスラエルの回復と神の怒りの預言

【聖書箇所】エレミヤ書30章3節、18~24節

ベレーシート

●前回、北イスラエル王国の十部族が、B.C.721年に首都サマリアが陥落した後、少なくとも以下の三つの方向に離散していることを述べました。

(1) アッシリアの捕囚となった人々(主に貴族層の人々)。
(2) 残留して、アッシリアの雑婚政策によってサマリア人の祖先となった人々。
(3) 南ユダ王国に亡命して、南ユダ王国と運命をともにし、ユダヤ人の一部となってしまった人々。その人々がA.D.70年にローマによって再び世界離散させられることになります。1948年、イスラエル共和国が建国され、世界各地から(ユダヤ人として)帰還しています。

●以下の図は、(1)と(2)の人々の運命を説明しています。(大島力監修「図解 聖書」127頁より引用)

画像の説明

(1)の連れ去られた人々【新改訳2017】Ⅱ列王記17章6節
ホセア(=北イスラエルの最後の王)の第九年に、アッシリアの王はサマリアを取り、イスラエル人をアッシリアに捕らえ移し、彼らをハラフと、ゴザンの川ハボルのほとり、またメディアの町々に住まわせた。(※図にある「2万7290人」とは、聖書ではなく、北イスラエルを征服したサルゴン王二世の年代記にある情報です。)
(2)の雑婚された人々【新改訳2017】Ⅱ列王記17章24 節
アッシリアの王は、バビロン、クテ、アワ、ハマテ、そしてセファルワイムから人々を連れて来て、イスラエル人の代わりにサマリアの町々に住まわせた。こうして、彼らはサマリアを占領して、その町々に住んだ。
(3)の南ユダ王国に移住した人々、つまり「南ユダ王国に移住して、南ユダ王国と運命をともにしようとした北イスラエルの人々」がどうなったかを、補填として、聖書に記されている情報から確認したいと思います。

1.南王国へ移住したイスラエルの人々

(1) レビ人たち

●その中には、まず大勢のレビ人たちがいるはずです。神の計らいによってスタートした北イスラエル王国は、B.C.931年に始まり、B.C.721年にアッシリアによって滅ぼされます。その間の210年の間に9回ものクーデターが起こります。つまり9つの王朝、19人の王が次々と交代しては消えて行きました。ちなみに南ユダ王国は一つの王朝でした。北イスラエル王国の初代の王に就任したヤロブアムの心配は、以下のことでした。

【新改訳2017】Ⅰ列王記12章26~27節
26 ヤロブアムは心に思った。「今のままなら、この王国はダビデの家に帰るだろう。
27 この民が、エルサレムにある【主】の宮でいけにえを献げるために上ることになっているなら、この民の心は彼らの主君、ユダの王レハブアムに再び帰り、彼らは私を殺して、ユダの王レハブアムのもとに帰るだろう。」

●ヤロブアムの宗教政策は、南のベテルと北のダンにそれぞれ金の子牛を礼拝の対象として設置しました。その動機は、エルサレムにある神殿に人々が礼拝しに行く限り、自分の権威を保つことは出来ないと考えたことにあります。そしていつか自分が王座から引きずり降ろされるかもしれない、あるいは殺されるかもしれないと考えたのです。ヤロブアムは王となった自分自身の身の保全を第一に考えたのです。一番納得いかないのはレビ人たちであったはずです。というのも、以下の通り律法で定められていたからです。

【新改訳2017】申命記12章5~7節
5 ただ、あなたがたの神、【主】がご自分の住まいとして御名を置くために、あなたがたの全部族のうちから選ばれる場所を尋ねて、そこへ行かなければならない
6 あなたがたは全焼のささげ物、いけにえ、十分の一、あなたがたが供える奉納物、誓願のささげ物、進んで献げるもの、あなたがたの牛や羊の初子をそこに携えて行きなさい。
7 そこであなたがたは家族の者とともに、あなたがたの神、【主】の前で食事をし、あなたの神、【主】が祝福してくださった、あなたがたのすべての手のわざを喜び楽しみなさい。

【新改訳2017】申命記16章2、5~6節
2【主】が御名を住まわせるために選ばれる場所で
あなたの神、【主】に、過越のいけにえとして羊と牛を屠りなさい。
5 過越のいけにえを屠ることができるのは、あなたの神、【主】が与えてくださるあなたの町囲みのどこでもよいのではない。
6 ただ、あなたの神、【主】が御名を住まわせるために選ばれるその場所で、夕方、日の沈むころ、あなたがエジプトから出た時刻に、過越のいけにえを屠らなければならない。

●ヤロブアムの政策に納得のいかないレビ人たちの多くが、南王国に移住したと思われます。ですから、ヤロブアムが「レビの子孫でない一般の民の中から祭司を任命した」(Ⅰ列王12:31)ことも、主の祭りの日を自分で勝手に考え出して定めた(同12:32~33)ことも頷けます。

(2) 南ユダ王国のアサ王の治世の時・・エフライム、マナセ、シメオンから来た人々

【新改訳2017】Ⅱ歴代誌15章9~15節
9 彼(アサ王)は、ユダとベニヤミンのすべての人々、およびエフライム、マナセ、シメオンから来て彼らのもとに寄留している人々を集めた。その神、【主】がアサとともにおられるのを見て、イスラエルから多くの人々が彼のもとに下って来ていたのである。
10 彼らはアサの治世の第十五年の第三の月にエルサレムに集まった。
11 その日、彼らは自分たちが携えて来た分捕り物の中から、牛七百頭と羊七千匹を【主】にいけにえとして献げた。
12 彼らは契約を結び、心を尽くし、いのちを尽くして、父祖の神、【主】を求めることと、
13 だれでもイスラエルの神、【主】を求めない者は、小さな者も大きな者も、男も女も、死刑にされることとした。
14 彼らは大声で喜びの叫びをあげ、ラッパと角笛を吹いて、【主】に誓いを立てた。
15 ユダの人々はみなその誓いを喜んだ。それは、彼らが心のすべてをもって誓いを立て、ただ一筋に主を慕い求め、そして主がご自分を彼らに示されたからである。【主】は周囲の者から守って彼らに安息を与えられた。

画像の説明

●Ⅱ歴代誌15章では、アサの治世の第15年の第三の月に、彼はユダとベニヤミンのみならず、エフライム、マナセ、シメオンから来て身を寄せている人々をもエルサレムに集めて、契約を結びました。まさに宗教改革です。

(3) 南ユダ王国のヒゼキヤ王の治世の時・・アシェル、マナセ、およびゼブルン、エフライム、イッサカルの人々

●ヒゼキヤの治世はB.C.720年からです。721(722)年にサマリアはすでに陥落しています。

【新改訳2017】Ⅱ歴代誌30章1~2、10~13、18、20~21、25~27節
1 ヒゼキヤはイスラエルとユダの全土に人を遣わして、またエフライムとマナセに手紙を書いて、エルサレムにある【主】の宮に来て、イスラエルの神、【主】に過越のいけにえを献げるように呼びかけた。
2 王とその高官たちとエルサレムの全会衆は協議して、第二の月に過越のいけにえを献げようと決めた。
10 こうして急使たちは、エフライムとマナセからゼブルンの地に至るまで、町から町へと行き巡ったが、人々は彼らを笑いものにして嘲った。
11 ただ、アシェル、マナセ、およびゼブルンの一部の人々は、へりくだってエルサレムに上って来た。
12 また、ユダには神の御手が臨んで、人々の心を一つにし、【主】のことばどおり、王とその高官たちの命令が実行された。
13 こうして、第二の月に多くの民が、種なしパンの祭りを行うためにエルサレムに集まった。それは、おびただしい数の大集団であった。
18 民のうち大勢の者、エフライムとマナセ、イッサカルとゼブルンの多くの者は、身をきよめずに、しかも、記されているのとは異なったやり方で過越のいけにえを食べてしまった。それでヒゼキヤは彼らのために祈った。
20 【主】はヒゼキヤの願いを聞き、民を癒やされた。
21 エルサレムにいたイスラエルの子らは、七日の間、大きな喜びをもって種なしパンの祭りを行った。レビ人と祭司たちは、毎日【主】に向かって力強い調べの楽器を奏でて、【主】をほめたたえた。
25 こうして、ユダの全会衆、祭司とレビ人、イスラエルから来た全会衆、イスラエルの地から来た寄留者でユダに在住している者たちは、みな喜んだ
26 エルサレムには大きな喜びがあった。イスラエルの王、ダビデの子ソロモンの時代以来、エルサレムでこのようなことはなかったからである。
27 レビ人の祭司たちが立ち上がって民を祝福した。彼らの声は聞き届けられ、彼らの祈りは、主の聖なる御住まいである天に届いた。

(4) バビロン捕囚時
●南ユダ王国はバビロンのネブカドネツァル王に征服され、紀元前586年に滅亡しました。ユダとイスラエル人はバビロンに捕囚されます。そこで彼らは少なくとも三世代を過ごしています。

(5) バビロン捕囚からの帰還後のエズラの証言 
●バビロン捕囚された民が、神のトーラーによって霊的にリセットされて帰還します。エズラやネヘミヤは、帰還した民を部族の名前ではなく、「ユダヤ人」、あるいは「全イスラエル」(イスラエルの子ら)と呼んでいます。

①【新改訳2017】エズラ記2章70節
こうして、祭司レビ人、民のある者たち、歌い手、門衛、宮のしもべたち、すなわち、全イスラエルは自分の元の町々に住んだ。
②【新改訳2017】エズラ記6章16~17節
16 イスラエルの子ら、すなわち、祭司レビ人、そのほかの捕囚から帰って来た人たちは、喜びをもってこの神の宮の奉献式を祝った。
17 彼らはこの神の宮の奉献式のために、雄牛百頭、雄羊二百匹、子羊四百匹を献げた。また、イスラエルの部族の数にしたがって、全イスラエルのために罪のきよめのささげ物として、雄やぎ十二匹を献げた。
③【新改訳2017】エズラ記8章35節
捕囚の人々で、捕囚から帰って来た者は、イスラエルの神に全焼のささげ物を献げた。すなわち、全イスラエルのために雄牛十二頭、雄羊九十六匹、子羊七十七匹、罪のきよめのささげ物として
雄やぎ十二匹を献げた。これはすべて【主】への全焼のささげ物であった。
④【新改訳2017】エズラ記10章5節
エズラは立ち上がり、祭司レビ人全イスラエルの長たちに、この提案を実行するよう誓わせた。・・
⑤【新改訳2017】ネヘミヤ記 1章6節
どうか、あなたの耳を傾け、あなたの目を開いて、このしもべの祈りを聞いてください。私は今、あなたのしもべイスラエルの子らのために、昼も夜も御前に祈り、私たちがあなたに対して犯した、イスラエルの子らの罪を告白しています。まことに、私も私の父の家も罪を犯しました。
⑥【新改訳2017】ネヘミヤ記 4章1節
サンバラテ(=サマリア人)は私たちが城壁を築き直していることを聞くと、怒り、非常に憤慨して、ユダヤ人たちを嘲った。
(※ネヘミヤは「イスラエルの子ら」のことを、10箇所で「ユダヤ人」ということばで記しています。)

●このように、エズラやネヘミヤは、「全イスラエル」を「ユダヤ人」として言い表しています。したがって、新約聖書においても「ユダヤ人」と「イスラエル」は同義で使われているのです。しかしこれらの人々がA.D.70年に、再び「世界離散」をしてしまうのです。そして1948年に、ユダヤ人の国が「イスラエル」として復興して現在に至っています。イスラエルに対する神の計画は不変です。彼らは決して滅びることはありません。なぜなら、彼らを通してすべての諸国民が祝福を得るように神が定められたからです。ですから、イスラエルに関する聖句を「エックレーシア」に置き換えて解釈することは間違いです。字義通り、「イスラエル」は「イスラエル」として考え、「イスラエル」と「エックレーシア」にはそれぞれ神のご計画があることを理解する必要があります。とりわけ、先に聖霊の恵みに与った「エックレーシア」は、老シメオン(ルカ2章)のように、万民(御民イスラエルと異邦人)に、神の救いのご計画の全貌を告げ知らせる責任があることを覚えたいと思います。

2. 「民・地・王」の回復

【新改訳2017】エレミヤ書30章3節
見よ、その時代が来る──【主】のことば──。そのとき、わたしはわたしの民イスラエルとユダを回復させる─【主】は言われる─。わたしは彼らを、その父祖に与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する。」

画像の説明

●3節には二つのことが語られています。一つは「イスラエルとユダを回復させる」ということ、もう一つは「彼らをその父祖に与えた地に帰らせる。彼らはそれを所有する」ということです。この二つの約束によって、神のイスラエルが国となる重要な要因を構成する二つ、すなわち、「土地」と「民」を回復されるという預言です。しかしもう一つの要因が不可欠です。その要因とは、(統治者、支配者、権力者)の存在です。これら三つが揃って初めて神の国(御国=「マルフート」מַלְכוּת)が成立します。エレミヤ書30章18~22節がそのことを記しています。この預言はいまだ実現していません。しかし、必ず成就するのです。

●今日、1948年にイスラエルは国家として復興してはいますが、地の中心であるエルサレムはイスラエルの都とはなっていません。イスラエルはすべて反ユダヤ主義によるアラブ諸国によって取り囲まれており、常に緊張状態が続いていて、約束されている平和とは程遠い状態です。イスラエルの民(ユダヤ人)はやがて来られるメシアを待ち望んではいますが、そのメシアがあの十字架につけたイェシュアであることに目が開かれていません。ですから、約束された御国(王・民・地)はいまだ程遠い状況なのです。それが実現されるためには、以下に挙げるエレミヤ30章21節の「支配者」と、23~24節の「【主】の燃える怒り」の出来事が不可欠なのです。それがなされる時、31章1節の「そのとき──【主】のことば──わたしはイスラエルのすべての部族の神となり、彼らはわたしの民となる」(他にも、30:22, 31:33, 32:38)ということが実現・成就するのです。

【新改訳2017】エレミヤ書30章18~24節
18 ──【主】はこう言われる──見よ。わたしはヤコブの天幕を回復させ、その住まいをあわれむ。都(=エルサレムの町)はその丘の上に建て直され、宮殿はその定められている場所に建つ。
19 彼らから、感謝の歌と、喜び笑う声が湧き上がる。わたしは人を増やして、減らすことはない。わたしが尊く扱うので、彼らは小さな者ではなくなる。
20 その子たちは昔のようになり、その会衆はわたしの前で堅く立てられる。わたしはこれを圧迫する者をみな罰する。
21 その権力者は彼らのうちの一人、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。いのちをかけてわたしに近づく者は、いったいだれか。─【主】のことば─
22 あなたがたはわたしの民となり、わたしはあなたがたの神となる。」
23 見よ。【主】のつむじ風が憤りとなって出て行く。渦巻く暴風が悪者の頭上に荒れ狂う。
24 【主】の燃える怒りは、去ることはない。主が心の思うところを行って、成し遂げるまでは。終わりの日に、あなたがたはそれを悟る。

●特に注目すべきは、ヤコブの子らが「昔のようになる」(20節)ためには、21節に記されている方を知ることが不可欠です。「その権力者は彼らのうちの一人、その支配者はその中から出る。わたしは彼を近づけ、彼はわたしに近づく。いのちをかけてわたしに近づく者は、いったいだれか」です。これは、「メシア・イェシュア」の他にはいません。この方をイスラエルが「王とする」ことが求められているのです。しかし、今のイスラエル(ユダヤ人)はこれを受け入れていません。「イェシュアは私たちのメシアではない」とか、「イェシュアをメシアだと言っているサウロ(=パウロ)は『私たちの裏切り者』だ」としているのです。それゆえ彼らは反キリストに「惑わされ」、神の怒り(さばき)が下されるのです。

(1) 神の最後の「怒り」

●23~24節に目を留めましょう。「23 見よ。【主】のつむじ風が憤りとなって出て行く。渦巻く暴風が悪者の頭上に荒れ狂う。24 【主】の燃える怒りは、去ることはない。主が心の思うところを行って、成し遂げるまでは。終わりの日に、あなたがたはそれを悟る。」と。このことばの中に、最後の「神の怒り」が預言されています。この箇所は、黙示録16章の預言とつながっています。黙示録16章には「七つの鉢のさばき」が記されています。黙示録には、「七つの封印のさばき(6~7章)」があり、「七つのラッパのさばき(8~11章)」、そして「七つの鉢のさばき(16章)」が続きます。そのさばきの度合いは次第に激しさを増していきます。

(1)第一のラッパのさばきと第一の鉢のさばきは、
ともにに対するさばきです。
(2)第二のラッパのさばきと第二の鉢のさばきは、
ともにに対するさばきです。
(3)第三のラッパのさばきと第三の鉢のさばきは、
ともに川と水の源に対するさばきです。
(4)第四のラッパのさばきと第四の鉢のさばきは、
ともに太陽に対するさばきです。
(5)第五のラッパのさばきと第五の鉢のさばきは、
ともに暗黒と死を見つけることができない苦しみのさばきです。
(6)第六のラッパのさばきと第六の鉢のさばきは、ともにハルマゲドンに集まる諸国の軍勢に対するさばきです。
(7)第七のラッパのさばきと第七の鉢のさばきは、
ともに大バビロンに対するさばきです。

●黙示録16章の「七つの鉢のさばき」ほど、神の怒りの大きさが明らかに示されている箇所は他にはありません。この神の怒りは、神が地のすべての不正に対して下される最も激しいさばきとなって現れます。もはや、このさばきによって人を悔い改めに導くという段階ではありません。「神を冒涜する者に対する最後のさばき」、それが「七つの鉢のさばき」であり、その後で神の回復の約束(=メシア王国)が完成されるのです。聖書は神の怒りによって神の計画が実現されることを明確に述べています。神の怒りである最後のさばきは一瞬にして来るのではなく、徐々にその勢いを増しながらやって来ます。つまり、「ラッパのさばき」の「1/3」から「鉢のさばき」の「」となります。神の寛容が軽んじられ、神の御名が冒涜されることに対する神の最後の怒りです。そのことが、以下のように記されています。

【新改訳2017】ヨハネの黙示録16章1~21節
1 また私は、大きな声が神殿から出て、七人の御使いに、「行って、七つの鉢から神の憤りを地に注げ」と言うのを聞いた。
2 第一の御使いが出て行き、鉢の中身をに注いだ。すると、獣の刻印を受けている者たちと獣の像を拝む者たちに、ひどい悪性の腫れものができた。
3 第二の御使いが鉢の中身をに注いだ
すると、海は死者の血のようになった。海の中にいる生き物はみな死んだ。
4 第三の御使いが鉢の中身を川と水の源に注いだ。すると、それらは血になった。
5 また私は、水をつかさどる御使いがこう言うのを聞いた。「今おられ、昔おられた聖なる方、あなたは正しい方です。このようなさばきを行われたからです。
6 彼らは聖徒たちや預言者たちの血を流しましたが、あなたは彼らに血を飲ませられました。彼らにはそれがふさわしいからです。」
7 また私は、祭壇がこう言うのを聞いた。「しかり。主よ、全能者なる神よ。あなたのさばきは真実で正しいさばきです。」
8 第四の御使いが鉢の中身を太陽に注いだ。すると、太陽は人々を火で焼くことを許された。
9 こうして人々は激しい炎熱で焼かれ、これらの災害を支配する権威を持つ神の御名を冒涜した。彼らが悔い改めて神に栄光を帰することはなかった。
10 第五の御使いが鉢の中身を獣の座に注いだ。すると、獣の王国は闇におおわれ、人々は苦しみのあまり舌をかんだ(=自死)。
11 そして、その苦しみと腫れもののゆえに天の神を冒涜し、自分の行いを悔い改めようとしなかった。
12 第六の御使いが鉢の中身を大河ユーフラテスに注いだ。すると、その水は涸れてしまい、日の昇る方から来る王たちの道を備えることになった。
13 また、私は竜の口と獣の口、また偽預言者の口から、蛙のような三つの汚れた霊が出て来るのを見た。
14 これらは、しるしを行う悪霊どもの霊であり、全世界の王たちのところに出て行く。全能者なる神の大いなる日の戦いに備えて、彼らを召集するためである。
15 ──見よ、わたしは盗人のように来る。裸で歩き回って、恥ずかしい姿を人々に見られることのないように、目を覚まして衣を着ている者は幸いである──
16 こうして汚れた霊どもは、ヘブル語でハルマゲドンと呼ばれる場所に王たちを集めた。
17 第七の御使いが鉢の中身を空中に注いだ。すると大きな声が神殿の中から、御座から出て、「事は成就した」と言った。
18 そして稲妻がひらめき、雷鳴がとどろき、大きな地震が起こった。これは人間が地上に現れて以来、いまだかつてなかったほどの、大きな強い地震であった。
19 あの大きな都は三つの部分に裂かれ、諸国の民の町々は倒れた。(⇒17,18章には「大バビロンの滅び」) 神はバビロンを忘れず、ご自分の激しい憤りのぶどう酒の杯を与えられた。
20 島はすべて逃げ去り、山々は見えなくなった。
21 また、一タラントほどの大きな雹が、天から人々の上に降った。この雹の災害のために、人々は神を冒涜した。その災害が非常に激しかったからである。

●網掛けで表した「大きな、大いなる、大、激しい」という訳は、すべて「メガス」(μέγας)が使われ、「未曾有のさばき」を表しています。地でのあらゆる不正に対する神の怒りが、さばきとなってもたらされ、その後に「王」が地を支配するのです。

(2)「新しい王」

●イスラエルに神は「新しい王」を与える前に、全イスラエルの中から「イスラエルの残りの者」を起こされます。この「イスラエルの残りの者」こそ、黙示録7章にある「144,000人」の人々です(黙7:1~8)。この人々がイェシュアの語った「御国の福音」を宣べ伝えることで(マタイ24:14)、「数えきれないほどの大勢の群衆(諸国の民)、すなわち「男の子」(「ゴーイム」גּוֹיִם)が生まれるのです(黙7:9~17、12:5)。このことによって御国の民はMAX(百倍)となります。ヨナ書はこのことを預言していたと言えます。ヨナ書の預言は、エックレーシアではなく、イスラエルの残りの者によってなされることの型なのです。

●再臨されるイェシュア・メシアは、「イスラエルの残りの者」にとって「御国の新しい王」となります。そして、この「新しい王」の到来によってメシア王国は成就し、完成されるのです。このことは神の主権によってのみなされます。神がすべてを「新しくする」のです。「新しい」というヘブル語の「カーダーシュ」(קָדָשׁ)の初出箇所(出1:8)を見ると、それは王の君臨と深い関係があります。ですから、聖書でいう「新しい契約」「新しい歌」「新しい心」「新しい霊」「新しい創造」といったフレーズは、すべて「新しい王」と密接な関係があります。この「新しい王」こそ、来るべき「再臨のメシア」なのです。

三一の神の霊が私たちの霊とともにおられます。

2023.11.12
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