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「この杯」が意味するもの

64. 「この杯」が意味するもの

【聖書箇所】 22章35節~46節

はじめに

  • 22章35~46節には二つの内容が示されています。ひとつは、これから起こる事態に備えるべきこと。もうひとつは、ゲッセマネでのイエスの祈りです。

1. 新たな事態に備えるべきこと(35~38節)

  • イエスは弟子たちにこれから起こる事態に備えるための指示を与えます。それはイエスにかかわることがこれから実現するためです。具体的には、イエスが「罪人たちの中に数えられた」と預言されていたことが成就するからです。イエスはこれまで何度も語ってきたように、エルサレムにおいて、宗教指導者たちによって捕えられ、苦しめられ、捨てられ、殺されることを知っていました。そのために、当然、イエスの弟子たちにも難が及ぶことを想定されての指示でした。
  • これまで弟子たちが宣教に遣わされるときには、何も持たずに行くようにとイエスは語りました。なぜなら、弟子たちを受け入れてくれる者が必ずいるという確信があったからです。しかし、これからはその保証はありません。心を開いて弟子たちを受け入れてくれるとは限らないと事態が待ち受けているという状況で、「今は、財布のある者は財布を持ち、同じく袋を持ち、剣(護用のための短い剣)のない者は着物を売ってでも剣を買うように」と指示されたのでした。
  • つまり、イエスは弟子たちに今までとは状況が全く一変することを伝えようとしたのでした。それを聞いた弟子たちは、「主よ。このとおり、ここに剣が二振りあります」と言うと、イエスは「それで十分」と言われました。この「それで十分」(新改訳)と訳された箇所は、原文では「十分な」という形容詞「ヒカノス」と、「~です」という意味の動詞「エイミー」が使われているだけのことなのですが、問題は「なにが十分なのか」、その理解の仕方によって以下のように異なった訳となる、いわば、難解な箇所です。

【新共同訳】
「それでよい」
【フランシスコ会訳】
「もう、それでよい」
【柳生訳】
「その話はもうよい」
【回復訳】
「それで十分である」(ただし、「二つ振りの剣が十分であるというのではなく、弟子たちのおしゃべりは十分であることを示します」という意味)
【バルバロ訳】
「もうよい」
(脚注には、「イエズスは、弟子らが自分の話を理解できなかったのを見て、話を中止し、『もうよい』」と言われた」とあります。
【岩波訳】
「(そのようなことで)十分なのか」
という少々皮肉めいた訳。


2. イエスの祈ったことばー「この杯」という意味

  • 今回の突っ込み聖書研究で、私はイエスの言う「この杯」という言葉が心に引っ掛かりました。これまでの私の理解の「杯」という意味は「怒りの杯」、「さばきの杯」という意味で理解していましたが、最後の晩餐の流れにある「杯」として考えるとき、あるいは「過越」というへブル的視点からこの「杯」を考えるとき、新しい面が見えてきます。
  • イエスと弟子たちが過越の食事をしたことが、同じ章の14節から記されています。ちなみに、ルカ22章には4回、「杯」と訳される「ポテーリオン」ποτηρίονが出てきます(17節、20節、20節、42節)。すべて同じ言葉です。マタイの福音書20章22節では「わたしが飲もうとしている杯」があることを述べています。ヨハネの福音書18章11節では、その杯は「父がわたしに下さった杯」と表現されています。それはイエスにとってはどうしても飲まなければならない「杯」でした。ここでいう「杯」というのは、「杯」という器そのものではなく、杯の中身が重要なのです。そこで、ユダヤ的(へブル的)視点から理解するならば、「この杯」とは、「過越の食事」で飲まれる「第四の杯」を意味しているのではないかと考えられます。「第四の杯」とは、過越の食事の「完了の杯」でもあり、同時に「賛美の杯」ともなるものです。脚注
  • ゲッセマネでの祈りにおいて、イエスはこの第四の杯、すなわち、神の小羊であるキリストによって結ばれる新しい契約が成立するためには、完了を意味する「第四の杯」を飲み干さなければなりませんでした。しかしそれは壮絶な苦しみを味わわなければならない杯であり、ゲッセマネの祈りにおいて、イエスはその苦しみのゆえに躊躇しています。とても飲み干せるような杯ではなかったのです。それゆえに、御使いたちが天からイエスに現われて、イエスを「力づけた」とあります(22:43)。
  • それでもイエスは「苦しみもだえて、いよいよ切に祈られ、汗が血のしずくのように地に落ちた」とあります。しかしその祈りが突き抜けたことによって、イエスは「立ち上がり」ました。この「立ち上がる」という動詞は「ア二ステーミ」
    άνίστημιで、いわば、復活用語です。まさにイエスは祈りにおいて、すでに勝利し、以後、敢然とひるむことなく、捕縛され、受難の道を進まれるのです。しかし、最後の最後、すなわち十字架上において、「父よ。わが霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られたことにより、22;42の「この杯」が飲み干されました。つまり、過越の食事の最後の杯である「完了の杯」を飲み干されたのです。この杯を飲み干したのはイエスただひとりでした。

脚注

伝統的な過越の食事では、「四つの杯」にぶどう酒が注がれ、そして飲まれます。その四つの杯とは、出エジプト記6章6, 7節の「わたしは・・・する」という四つの約束に基づいていると言われています。

【新改訳改訂3】
6:6 それゆえ、イスラエル人に言え。わたしは【主】である。わたしはあなたがたをエジプトの苦役の下から連れ出し、労役から救い出す。伸ばした腕と大いなるさばきとによって、あなたがたを贖う
6:7 わたしはあなたがたを取ってわたしの民とし、わたしはあなたがたの神となる。

英語で表現すると、神の恩寵としての強い意志が見えます。

①I will bring you 
②I will rescue you
③I will redeem you 
④I will take you / and I will be your God


―これらに基づき、それとの関連において四つの杯は以下のように呼ばれています。
(1)「聖めの杯」
過越の食事が聖別され、はじまる時に飲まれる杯。

(2)「感謝の杯」

出エジプト記の10の災禍が襲う場面が朗読されるたびに、杯に指を浸し、ぶどう酒を一滴だけ外に出す。そして最後に2杯目の「杯」を飲み干す。この杯は「さばきの杯」とも言われます。詩篇113篇、114篇が祈りとして朗読される。

―前半の儀式的な食卓は終わり、ここで食事となる。

(3)「贖いの杯」
夕食の後、第三の杯にぶどう酒を満たす。ここから後半の儀式的な食卓がはじまる。つまり、聖餐式の起源となっている部分である。主イエスは、渡される夜、パンを取り、感謝してこれを裂かれた。ここでのパン(マッツァ)は、食後のデザート(アフィコーメン)として取っておいた三枚重ねのマッツァのことです。

「これはあなたがたのためのわたしのからだである。わたしを記念するため、このように行いなさい。」(マルコ14:22)―イエスはマッツァを割り、弟子たちに渡された。ここで全員、アフィコーメンを食べる。それを食べた後で、イエスは第三の杯を取り、「わたしの父の御国で、あなたがたと新しく飲むその日まで、わたしはもはや、ぶどうの実で作った物を飲むことはありません。」(マタイ26:29) 、「これは、わたしの契約の血です。罪を赦すために多くの人のために流されるものです。」(マタイ26:28)と言って渡されて、各自はここで三杯目の杯を飲み干します。

イエスと弟子たちは、食事が済むと、彼らはハレル詩篇を歌いながら、ケロデンの谷の向こう、つまりオリーヴ山へ行かれ、イエスは祈られたのです。まだ最後の第四の杯は飲み干されてはいないのです。もし、ここで第四の杯が飲み干されたならば、このあとの受難と死への出来事の意味がなくなります。

(4)「賛美の杯」、「完了の杯」

過越の食事における「第四の杯」は、主を賛美したあとに飲まれるものです。マタイもマルコもイエスと弟子たちは賛美歌を歌って、オリーブ山へと出て行ったことを記しています。ユダヤの伝統的な「過越の食事」は、エルサレムの城壁の中で行うことが決められていました。ですから、イエスと弟子たちがエルサレムの城壁を出て、ひと気のないオリーブ山の方へと出て行ったということは尋常のことではなかったのです。

オリーヴ山に出かける前に、イエスと弟子たちは「賛美歌」を歌っています。ここでの「賛美歌」とは「ハレル詩篇」です(おそらく、詩篇115~118篇、および詩篇136篇)。ルカは賛美歌を歌ったことは記していませんが、伝統的な「過越の食事の式次第(ハガダー)に従って、詩篇を歌ったと考えて良いと思います。特に、最後の詩篇118篇は「メシア的詩篇」で、死と復活を預言した「家を建てた者たちの捨てた石。それが礎の石になった。これは主のなさったことだ。私たちの目には不思議なことである」(118:22~23)という箇所は有名です。

さて問題は、過越の食事で最後に飲まれる「第四の杯」についてです。どの共観福音書にも食事の席でそれを「飲んだ」とは記されていないことです。しかしどの共観福音書にも、ゲッセマネにおいて、イエスが「この杯をわたしから取りのけてください」と祈っていることは共通して記されているのです。したがってここでの「この杯」とは、当然の流れとして、「過越の食事」の最後の杯を意味していると考えるのが自然です。

実際、過越の食事における「第四の杯」が飲み干されたのは、イエスが十字架の上において「父よ、わが霊を御手にゆだねます」と言って息を引き取られた(ルカ23:46)時です。ヨハネはこれをイエスが「完了した」と言って、頭を垂れて、霊をお渡しになったと記しています(ヨハネ19:30)。つまりイエスは翌日(過越はニサンの月の14日で翌日の夕方まで)の午後3時頃、十字架の上において、ただ一人、過越の食事における「第四の杯」を飲まれたのです。ちなみに、午後3時は神殿において祭司たちが過越の羊を屠る時間とピッタリと一致しているのです。なんという神の驚くべき計画でしょうか。屠られた小羊なるキリストによって、「新しい契約」が神の側で整えられて実現したのです。弟子たちはこの杯をだれひとりとして飲んではいません。


2012.9,6


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