****** キリスト教会は、ヘブル的ルーツとつぎ合わされることで回復し、完成します。******

02.「ヨハネの福音書1章の『七つのしるし』」


2. 「ヨハネの福音書1章の『七つのしるし』」

ベレーシート

●かつて私は、2012年に、「ヨハネの福音書における『七つのしるし』に見るイエスの栄光について」という瞑想を試みたことがあります。そこでの「しるし」(「セーメイオン」σημεῖον/「オート」אוֹת)とは、イェシュアがなされた「奇蹟」でした。その奇蹟はイェシュアの栄光を指し示すサインです。創世記1章14節に最初の「しるし」(「オート」אוֹת)がありますが、そこでの「しるし」は、神のご計画を示す「時のしるし」です。そのしるしを見分けるために「光る物」が天に置かれているということです。しかし、ヨハネの福音書の多くの「しるし」は「いのちのしるし」です。これがこの福音書の「エキス」(本質)であり、霊的なものです。第1章だけで「七つのしるし」を見つけることができます。また、ヨハネの福音書の土台には「幕屋」があることも以前から聞かされてはいましたが、これまで説き明かすことが出来ませんでした。今回の取り組みでは、そのことが開かれるよう、期待しつつ「シェーム・イェシュア」と呼び求めます。

●ヨハネの福音書の第1章はこの福音書の序文であり、全体を包括しています。そこには「七つのしるし」が、神と人がともに住む「幕屋」を啓示しています。「七つのしるし」とは、「ことば、幕屋、子羊、鳩、とどまる、岩、ベテル(神の家)」のことです。

(1)「ことば」(Gr「ホ・ロゴス」ὁ λόγος/Heb「ハッダーヴァール」הַדָּבָר)
1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。

(2)「幕屋」=「住まわれた」(Gr「スケーノー」σκηνόω/Heb「シャーハン」שָׁכַן)・・・14節
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた(回復訳「幕屋を張られた」)。私たちはこの方の栄光を見た。

(3)「子羊」(Gr「ホ・アムノス」ὁ ἀμνὸς
/ Heb「セ」שֶׂה・連語形では「セー」שֵׂה)
29その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
36 そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。

(4)「」(Gr「ぺリステラ」περιστερά/ Heb「ヨーナー」יוֹנָה)
32 ・・御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。

(5)「とどまる・泊まる」(Gr「メノー」μένω/ Heb①「ヌーアッハ」נוּחַ、②「ダーヴァク」דָּבַק)
32 ・・御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。
38 イエスは振り向いて、彼らがついて来るのを見て言われた。「あなたがたは何を求めているのですか。」彼らは言った。「ラビ(訳すと、先生)、どこにお泊まりですか。」
39 イエスは彼らに言われた。「来なさい。そうすれば分かります。」そこで、彼らはついて行って、イエスが泊まっておられるところを見た。そしてその日、イエスのもとにとどまった。・・

(6)「」(石ころ) ( Gr「ケーファス」Κηφᾶς/Ar「ケファ」כֵּיפָא)
42 彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンを見つめて言われた。「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。

(7)「 (天の梯子のヴィジョンにおける) 神の」(Gr「ホ・オイコス」ὁ οἶκος /Heb「ハッバイト」הַבַּיִת)


1.「ことば」(「ホ・ロゴス」ὁ λόγος /「ハッダーヴァール」הַדָּבָר)

1 初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。
14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た。

●前回、「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた」のは、いつのことでしょうかと質問しました。その答えを、イェシュアの復活の日の夕べ(ヨハネ20:22)と述べました。これは間違いではありませんが、厳密に言うと正確な答えではありません。14節の原文は「ことばは人となった。そして私たちの間に住まわれた。私たちはこの方の栄光を見た」となっています。ここには、「ことばは人となったこと」(受肉)と、「私たちの間に住まわれたこと」(内住)が記されています。「ことばは人となった」とは神が人となられたことであり、百パーセント神であられる方が、百パーセント人となられたのです。そのときすでに神の栄光が現されています。それに加えて、人となられた方が霊となって「私たちの間に住まわれた」(=私たちのど真ん中に住まわれた)ことは、復活の夕べにイェシュアが弟子たちのところに来られて、息を吹きかけ、弟子たちが聖霊を受けたことで実現・成就しました。「私たちのど真ん中に住む」ためにイェシュアが「いのちを与える霊」となり、人の霊の中に内住することで成就したのです。この二つのこと、すなわち受肉と、人の霊の中に内住することで神と人がともに住むことが実現し、いずれのときにも神の栄光が現されたという理解です。以下の、御子に対する御父のことばがそれを裏づけています。

【新改訳2017】ヨハネの福音書 12章28節
父よ、御名の栄光を現してください。」すると、天から声が聞こえた。「わたしはすでに栄光を現した。わたしは再び栄光を現そう。」

●ここで「わたしはすでに栄光を現した」(アオリスト)とは、ことばである御子を受肉させ、人性をまとわせたことを意味し、そのあとの「再び栄光を現そう」(未来形)とは、イェシュアを死からよみがえらせて「いのちを与える霊」とならせ、人の霊の中に住まわせることによって「御父の栄光」を現すことを意味しています。そのことは復活の日の夕べに起こりますが、そもそもこれらの出来事は、神のご計画の中に最初からあったことです。つまり、天にある神のシナリオの中に初めからあったことです。ですから14節に「受肉」と「内住」が同時に記されていても不思議ではありません。創世記1~3章が預言的・奥義的・重層的に記されているように、ヨハネの福音書も同様です。

●ヨハネの福音書1章1節の「初めにことばがあった」は、創世記1章1節冒頭の「はじめに神が・・創造された」と似ています。「父のふところにおられるひとり子の神が、神を説き明かされた」(18節)とあるように、ことばである御子は神を映し出す表現者であり、啓示者であるだけでなく、神の手袋として、神のご計画を実現する方でもあります。創世記の「はじめに」の「べレーシート」(בְּרֵאשִׁית)を「死からよみがえられた初穂であるイェシュアによって」と解釈するなら、同様にヨハネにおいても、「初めにことば」である御子イェシュアのうちに神のご計画が「あった」と解釈できます。「ことば」を意味する「ダーヴァール」(דָּבָר)は「出来事」とも訳されます。神の最大の「出来事」とは死からの復活であり、そのいのちによって神と人がともに住むというご計画が初めからあったと解釈できます。ちなみに「初めにことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった」にある、存在を意味する三つの「あった」は、すべて「エイミ」(εἰμί)の未完了形「ヘーン」(ἦν)が使われています。未完了形は「継続的に続いている」というニュアンスです。「ことばは人となって(受肉)、私たちの間に住まわれた(内住)」という神のご計画が、歴史の始まる前からにすでにあり、歴史とともに継続し、今もなお人の霊の中に実現し続けているのです。

●「ことば」が神のご計画の「出来事」と同義であるなら、その出来事とは、3節の「すべてのものは、この方によって造られた」ことを指し示します。「この方によって」を「死からよみがえられた初穂である御子によって」と言い換えるならば、初穂であるキリストによって「造られたもの」とは、「新しい創造(New Creature)」です。それゆえ、「造られたもので、この方によらずにできたものは一つもなかった(完了形)」とあります。なぜなら、「この方にはいのちがあった」(4節)からです。

●1~4節には「旧創造」ではなく、キリストにある「新創造」が預言的・奥義的・重層的に語られていると読むことができます。とすれば、ヨハネの福音書第1章は、キリストによる新創造に基づく「いのちのしるし」について書かれていると解釈できます。共観福音書のようなイェシュアの生涯についてではなく、「ことば(「ロゴス」λόγος)」である御子イェシュアが語る数々の「ことば」(「レーマ」ῥῆμα)によって、神の家が建て上げられ、神と人がともに住むというメッセージをヨハネは語ろうとしているのです。

2. 「幕屋」は「神が人とともに住む」ことの「しるし」

14 ことばは人となって、私たちの間に住まわれた(回復訳「幕屋を張られた」)。私たちはこの方の栄光を見た。

●ヨハネの福音書1章14節の型が、出エジプト記25章8節の「彼らにわたしのための聖所を造らせよ。そうすれば、わたしは彼らのただ中に住む」(שָׁכַנְתִּי בְּתֹוכָם)です。「ただ中に」(「べトーフ」בְּתוֹךְ)は「ど真ん中に」という意味であり、それはイェシュアの復活によって、「人の霊の中に」実現・成就しました。「神と人がともに住む場所」は「人のただ中」「ど真ん中」、すなわち「人の霊の中」なのです。これは重要な事柄です。ヨハネの福音書はモーセの幕屋を土台として記されていることを述べましたが、具体的にそれがどのように記されているかを見ていきたいと思います。その前に「モーセの幕屋」の概略について知る必要があります。

画像の説明

●「幕屋」(「ミシュカーン」מִשְׁכָּן)は「天にあるものの写しと影」(ヘブル8:5)です。そのすべてが神ご自身によって備えられたもので、そこには深淵な神の知恵が隠されています。つまり幕屋のうちに神の完全なご計画のヴィジョンが「影」として写し出されているのです。それゆえ幕屋のすべての部分(材料、色、寸法、位置、比率、用具の一つひとつ)、礼拝のすべての規定(火、ささげ物、祭司とその装束などの一つひとつ)が特別な意味をもっています。したがって、その意味を知ろうとすることは「キリストを知る」ことにつながるのです。

●幕屋は「ミシュカーン」(מִשְׁכָּן)で「神が住まわれる所」という意味です。「聖書は、わたしについて証ししているもの」(ヨハネ5:39)とイェシュアが言われたように、聖書に記されている「幕屋」のすべてがキリストを証ししています。上図で見られるように、幕屋の構造は正確に二つの部分から成っています。それぞれの中心(対角線が交差する所)に、「契約の箱」と「祭壇」があります。それらは、神が内住するための「契約の箱」と、神に近づくための火によるささげ物を献げる「祭壇」です。この祭壇では「五つのささげ物」が献げられます。人の子となられた神の子イェシュアが、私たちのために完全なささげ物となってくださったことで、私たちは神に近づくことができ、「神と人がともに住む」ことができるのですが、その「しるし」が次の「神の子羊」なのです。

3. 「神の子羊」は「五つのささげ物」を象徴する「しるし」

●洗礼者ヨハネは、イェシュアを証しするために神から遣わされた人です。

29その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊
36 そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。

●「子羊」と訳された語彙は「ホ・アムノス」(ὁ ἀμνὸς)が使われています。「子羊」と訳されている箇所は他にもありますが、なぜかこの「ホ・アムノス」(ὁ ἀμνὸς)は以下の4回でしか使われていません。

①ヨハネの福音書1章29節
その翌日、ヨハネは自分の方にイエスが来られるのを見て言った。「見よ、世の罪を取り除く神の子羊。
②ヨハネの福音書1章36節
そしてイエスが歩いて行かれるのを見て、「見よ、神の子羊」と言った。
③使徒の働き8章32節
彼が読んでいた聖書の箇所には、こうあった。「屠り場に引かれて行く羊のように、毛を刈る者の前で黙っている子羊のように、彼は口を開かない。
④Ⅰペテロの手紙 1章19節
傷もなく汚れもない子羊のようなキリストの、尊い血によったのです。

●他の箇所にある「子羊」として、ヨハネの福音書21章15節、および黙示録で21回使われている「子羊」には「ト・アル二オン」(το ἀρνίον)が使われています。同じ「子羊」と訳されているのに、なぜ「ホ・アムノス」(男性)と「ト・アル二オン」(中性)があるのでしょうか。それは、前者は「贖罪の子羊」を、後者は「勝利の子羊」を意味しているからです。後者の「ト・アル二オン」は新改訳第3版までは「子羊」ではなく、「小羊」と表記されていました。しかし【新改訳2017】から「子羊」と表記されています。他の普通の「」に対しては、「プロバトン」(πρόβατον)という語彙で、新約では39回使われています。ヘブル語では一律に「セ」(שֶׂה)です。

●ヨハネが1章29節と36節で使っている「神の子羊」は「しるし」として使われています。その「しるし」は「幕屋における五つのささげ物」を意味しています。これは祭壇で献げられる「火によるささげ物」で、「五つのささげ物」とは、「全焼のささげ物、穀物のささげ物、交わりのいけにえ、罪のきよめのささげ物、代償のささげ物」のことです。ささげ物のことをヘブル語で「コルバン」(「コルヴァーン」קָרְבָן)と言い、語源の「カーラヴ」(קָרַב)は「近づく」を意味します。コルバンなしに人は神に近づくことはできません。キリストが私たちに代わってこの「五つのささげ物」を完全に献げてくださったので、私たちは神に近づくことが出来るのです。「神に近づく」とは「救い」と同義です。

●「五つのささげ物」を簡単に説明すると、以下のようになります。

画像の説明

(1)「全焼のささげ物」(「オーラ―」עֹלָה)

●ヘブル語の「オーラー」の語源は「アーラー」(עָלָה)で「上る、立ち上る、登る、昇天する」を意味します。全焼のささげ物は、神と神のみこころに対する「全き服従(従順)」「全き信頼」「全き献身」を表す自発的行為です。すべてを祭壇の上で焼いて煙にするのですが、これは主にとって芳ばしい香りです。

●ヨハネの福音書に「謙遜」という文字は一度も出てきません。しかしヨハネの福音書ほどイェシュアの「謙遜」(=神のみこころに完全に従うこと)が明確に表されている書は他にありません。以下はその箇所です。

①「子は、父がしておられることを見て行う以外には、自分から何も行うことはできません。すべて父がなさることを、子も同様に行うのです。」(5:19)
②「わたしは、自分からは何も行うことができません。・・わたしは自分の意志ではなく、わたしを遣わされた方のみこころを求めるからです。」(5:30)
③「わたしは人からの栄誉は受けません。」(5:41)
④「わたしが天から下って来たのは、自分の思いを行うためではなく、わたしを遣わされた方のみこころを行うためです。」(6:38)
⑤「わたしと父とは一つです。」(10:30)

(2)「穀物のささげ物」(「ミンハー」מִנְחָה

●「穀物のささげ物」は「神のことばの真意を悟り、それを分かち合うこと」を意味します。換言するなら、「受けるよりも与えるほうが幸いである」(使徒20:35)という真理です。神のみおしえの中にパン種や蜜を入れることなく、純粋なみことばによる尊い務めをイェシュアは果たされました。そしてパリサイ人や律法学者たちのパン種を見抜いただけでなく、弟子たちにそのことを警告しました。イェシュアは人に媚びることなく、「いのちの木」であるまことの教えを語られました。

(3)「交わりのいけにえ」(「シェラーミーム」שְׁלָמִים)

●主が選ばれた場所で主の家族とともに、レビ人も招いて主の前で食事をし、感謝をもって喜び楽しむことです。

【新改訳2017】ヨハネの福音書12章1~3節
1 さて、イエスは過越の祭りの六日前にベタニアに来られた。
そこには、イエスが死人の中からよみがえらせたラザロがいた。
2 人々はイエスのために、そこに夕食を用意した。マルタは給仕し、ラザロは、イエスとともに食卓に着いていた人たちの中にいた。
3 一方マリアは、純粋で非常に高価なナルドの香油を一リトラ取って、イエスの足に塗り、自分の髪でその足をぬぐった。家は香油の香りでいっぱいになった。

●ここに、「交わりのいけにえ」が示す平和(שָלוֹם)の真理があります。

(4)「罪のきよめのささげ物」(「ハッタート」חַטָּאת)

●「罪のきよめのささげ物」は、「罪祭」「罪(単数=原罪)のためのいけにえ」とも訳されます。この原罪に対しては「きよめる」ことが要求されます。人は原罪がきよめられることによって、神に近づくことができるのです。「ツァラアトに冒された人のきよめ」の話は共観福音書(マタイ・マルコ・ルカ)のいずれにも取り上げられています。「いやす」とは言わず「きよくする」としているのは、「ツァラアト」(「ツァーラアット」צָרַעַת)が宗教的な汚れであるためです。目の見えない物乞い「ティマイの子のバルティマイ」(「私の汚れた子」の意/マルコ10:46)も同様です。

(5)「代償のささげ物」(「アーシャ―ム」אָשָׁם)

●このささげ物は複数の罪、つまり様々な行いの罪の赦しのためのもので、「侵害のささげ物」とも訳されます。神の所有権に対する侵害の罪(ヨシュア7:1、マラキ3:8~9)、および人の所有権に対する侵害の罪(Ⅱサムエル 12:1~7)があります。「罪のきよめのささげ物」も「代償のささげ物」も、任意ではなく義務(=強制)です。ですから、これらのささげ物なしに、神に近づくことも、礼拝することもできないのです。私たちの内在の罪と数々の行いの罪のために、「罪のきよめのささげ物」と「代償のささげ物」となってくださったイェシュアこそ、私たちの贖いであり、ほめ歌なのです。なぜなら、「キリストは聖なるものとされる人々を、一つのささげ物(=ご自身のからだ)によって永遠に完成されたからです。」(ヘブル10:14)。

(1)~(5)のささげ物のまとめとして
●イェシュアが「完了した」(ヨハネ19:30)と言われたのは、「五つのささげ物」が完全に献げられたためです。十字架の死によって、神殿の至聖所と聖所を隔てる垂れ幕が上から下まで裂かれました(マタイ27:51)。そのことで、私たちは幕屋の至聖所である「ど真ん中」に入ることができる者とさせられているのです。

4. 「鳩」は「いのちを与える霊」を象徴する「しるし」

●洗礼者のヨハネは下記のように証ししています。

【新改訳2017】ヨハネの福音書1章32節
・・「御霊が鳩のように天から降って、この方の上にとどまるのを私は見ました。

●「鳩」は「ぺリステラ」(περιστερά)、ヘブル語は「ヨーナー」(יוֹנָה)です。「鳩」は新たな時代が来たことを象徴する「しるし」であると同時に、「いのちを与える霊」、すなわち「聖霊」の象徴でもあります。神の子羊であるイェシュアがコルバンを完全に献げられたことによって、復活されたときに「いのちを与える霊」となられました。また、幕屋の「五つのささげ物」が記述された後に、「聖なる油注ぎ」が記されているのは偶然ではなく、必然です(出30:22~33)。「聖なる注ぎの油」は死と復活を表す香料からできており、祭司を神に相応しく仕えさせます。

【新改訳2017】出エジプト記30章23~25節
23「あなたは最上の香料を取れ。液体の没薬を五百シェケル、
香りの良いシナモンをその半分の二百五十シェケル、香りの良い菖蒲を二百五十シェケル、
24 桂枝を聖所のシェケルで五百シェケル、オリーブ油を一ヒン。
25 あなたは調香の技法を凝らしてこれらを調合し、聖なる注ぎの油を作る。これが聖なる注ぎの油となる。

聖なる注ぎの油は、祭司として仕える者に塗られ、祭司を聖別するものです。原料となる香料は「没薬、シナモン、菖蒲、桂枝」で、オリーブ油も加わります。神が喜ばれる香りは「死と復活の香り」です。「没薬」と「シナモン」はキリストの死を表象し、「菖蒲」と「桂枝」はキリストの復活を表象しています。これら四つとオリーブ油のすべてが調合(ミングリング)されて「聖なる注ぎの油」が生み出されます。

画像の説明

5. 「とどまる」は「いのちの密接なかかわり」を象徴する「しるし」

●「鳩」と「とどまる」は密接な関係にあります。なぜなら、「とどまる」ことは、霊の中でのかかわりだからです。ヨハネ1章では「聖霊が御子の上にとどまる」とか、弟子たちがイェシュアの泊まっておられる所に「とどまった(泊まった)」で、いずれも「メノー」(μένω)が使われています。「メノー」はヨハネの福音書で40回、Ⅰヨハネで24回、Ⅱヨハネは3回、黙示録では1回。ヨハネ文書だけで68回使われています。これは新約の全118回の半数以上です。

【新改訳2017】ヨハネの福音書15章4~5節
4 わたしにとどまりなさい。わたしもあなたがたの中に(とどまります)。・・・・・
5 わたしはぶどうの木、あなたがたは枝です。人がわたしにとどまり、わたしもその人にとどまっているなら、その人は多くの実を結びます。わたしを離れては、あなたがたは何もすることができないのです。

●ヘブル語の「ダーヴァク」(דָּבַק)は「結びつく」ことで一体となることを意味しますが、それは「人の霊」と「神の霊」がミングリングすることで、多くの実を結ぶのです。マタイでは「くびきを負う」がそれに相当します(マタイ11:29)。「神の霊」と「人の霊」との結びつきなしには何も始まらない、何の実も結ばないのです。

6. 「岩」(石)は「造り変え」を象徴する「しるし」

【新改訳2017】ヨハネの福音書1章42節
彼はシモンをイエスのもとに連れて来た。イエスはシモンを見つめて言われた。
「あなたはヨハネの子シモンです。あなたはケファ(言い換えれば、ペテロ)と呼ばれます。」

●なぜイェシュアはシモンを「ケファ」(=岩=ペテロ)と名づけたのでしょうか。それはペテロを神の民の代表として、霊によって「造り変える」ためでした。「岩」(=石ころ)はその「しるし」です。この「造り変え」は神の家を建て上げるために必要なことです。やがてはその石が「宝石」となります。幕屋の本体である「新しいエルサレム」には、金と宝石と真珠が満ちています。

7. 「神の家」は「神と人の永遠の住まい」を象徴する「しるし」

【新改訳2017】ヨハネの福音書1章51節
・・・「まことに、まことに、あなたがたに言います。
天が開けて、神の御使いたちが人の子の上を上り下りするのを、あなたがたは見ることになります。」

●ここには「神の家」という語彙はありませんが、この天の梯子のヴィジョンには、眠りから覚めたヤコブが
「この場所は、なんと恐れ多いところだろう。ここは神の家にほかならない。ここは天の門だ。」と言って、自分が枕にした石を取り、それを立てて石の柱とし、柱の頭に油を注いで、その場所の名をベテル(神の家)と呼んだという話が含まれています。天と地を結ぶイェシュアの「いのちを与える霊」によって、神の民であるそれぞれの「」(一人ひとり)が「造り変えられる」ことで、ともに「神の家」に建て上げられて行くという話が、「七つのしるし」によって啓示されているのです。1章の「七つのしるし」は「いのちのしるし」として、「時のしるし」とともに神のご計画の中央路線であることを覚えたいと思います。

三一の神の霊が私たちの霊とともにあります。

2024.2.11
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