みことば賛美
みことば賛美
2012.1月より、子どものための暗唱聖句の取り組みの一環として、聖書のことばにオリジナルの曲をつけ、歌うことを通して、子どもたちが聖書のことばを覚えて心に刻むことを目指しています。
- 特に旧約のみことばを歌うときにはヘブル語でも歌えるようにしてあります。小さい時から子どもたちが、神が用いられたヘブル語に抵抗なく自然になじませるための私の新しい試みです。一見、ヘブル語で歌うのは難しいことのように思えますが、子どもの心は驚くほど柔軟です。何度も繰り返すことで自然になじんでいきます。
- なぜ神のことばをヘブル語で歌わせるのか、その目的は聖書をヘブル的視点から理解する素地を子どもたちにもたせるためです。なぜなら、これからの時代の聖書解釈はますますその方向へと進んで行くと確信しているからです。
- 子どものための賛美なので、それぞれの曲はいずれも短く、しかも軽快です。テーマや曲想などをコーディネイトすることによって一つの流れを作り出すことができます。ピアノ(キーボード、あるいはギター)とドラムに合わせて歌うなら、子どもたちのからだは自然とリズムに乗って動き始めます。
- Web上の楽譜は見づらいようですが、印刷すると綺麗です。楽譜はしばしば変更(訂正、削除、加筆)されることがありますので、時折チェツクしてください。
Come !!
Let's praise the LORD !!
No. | タイトル&楽譜 | 聖書箇所 | Key | 作曲日 |
2012 | ||||
01 | 私と私の家族とは主に仕える | ヨシ24:15 | G | 01.01 |
02 | 主に感謝せよ 主はまことにいつくしみ深い | 詩篇107:1 | G | 01.01 |
03 | ホドゥ ラドナイ キートーヴ | 詩篇107:1 | G | 01.10 |
04 | 新しい歌を主に向かって歌え | 詩篇33:3 | Gm | 01.10 |
05 | いつも喜んでいなさい〔脚注1〕 | 1テサ5:17 | C | 02.02 |
06 | はじめに神が〔脚注2〕 | 創世記1:1 | G | 02.27 |
07 | はじめに神が(結びの部分)〔脚注3〕 | 創1:10,12 | G | 03.02 |
08 | シャカイナ・グローリー 〔脚注2〕 | 歌詞pdf | Cm | 03.22 |
09 | 私と私の家族とは主に仕える(ヘブル語付) | ヨシ24:15 | G | 04.10 |
10 | 強くあれ、雄々しくあれ(ヘブル付)〔脚注4〕 | ヨシ1:9 | F | 04.20 |
11 | 新しい歌を主に向かって歌え(改定版) | 詩33:3/40:3 | Gm | 05.09 |
12 | わたしはあなたの名を呼んだ(改定版) | イザヤ43:1 | Bb | 07.29 |
13 | 何をするにも、神の栄光を現わすために | 1コリ 10:31 | C | 08.25 |
14 | 聖なる〔カード―シュ〕(改定版) | イザヤ6:3 | Dm | 09.14 |
15 | 初めに、ことばがあった | ヨハ1:1~3 | C | 10.07 |
16 | 人はパンだけで生きるのではない | 申命記8:3 | C | 11.11 |
17 | 狭い門からはいりなさい | マタイ7:13 | D | 12.10 |
2013 | ||||
18 | ヘブル語のアルファベット覚え歌〔脚注5〕 | 歌詞pdf | D | 01.30 |
19 | 慰めよ、慰めよ、わたしの民を | イザヤ40:1~31 | Gm | 06.10 |
20 | マラナ・タ〔脚注6〕 | Ⅰコリント16:22 | Em | 10.17 |
21 | ギリシア語のアルファベット覚え歌〔脚注7〕 | 歌詞pdf | F | 11.09 |
2014 | ||||
22 | アダムの系図の覚え歌 | 創世記5章 | F | 1.03 |
〔脚注1〕
「いつも喜ぶ」とは、自分が神様に愛されている存在であること、神様の喜びの対象であることを知ってどんなときにもそのことを忘れないということです。「たえず祈る」とは、神様の家に住んで神様との親しいかかわりを継続的に途切れることなく持つということです。そして「すべてのことを感謝する」とは、神様は良い方であり、良いものしか与えることのできないお方であることを堅く信じて生きることです。このことを神様が私たちに望んでおられるのです。
「いつも」、「絶えず」、「すべて」という概念を頭で子どもたちに教えることはとても難しいことです。ですから、この「いつも」、「絶えず」、「すべて」のかかわりこそ、神様が私たちに望んでおられるということを主にある大人は身をもって教えるしかありません。
〔脚注2〕
歌詞の2番目の「光」は光源としての太陽の光ではありません。太陽や星は後に創られています。ここの「光」はまことに不思議な光で、「シャカイナ・グローリー」(発音的には「シャハイナ・グローリー)という「目に見える神の栄光」です。この栄光の「光」によって太陽がなくても植物は生きることができたのです。しかもこの光は太陽の光よりも強烈で、新約聖書のサウロ(後の使徒パウロ)の目を見えなくし、真に見るべきものを見させる光でした。この光なしには、神を知り、神の愛を知ることは永遠にできません。
この光は旧約においては燃える芝の中に(出3章)、また幕屋の上に留まり、荒野においてイスラエルの民を導いた「雲の柱」「火の柱」(民数記9:15~23)というかたちで現われました。ソロモン時代の主の宮に満ちた雲と火も同様です(2歴代誌6:13~14, 7:1)。新約時代には「ことばは人となって、私たちの間に住まわれた。」(ヨハネ1:14)とヨハネは記しましたが、「私たちの間に住まわれた」とは「私たちの間に幕屋を張られた」という意味で「ことば」であるイエス・キリストこそ目に見える「シャカイナ・グローリー」です(ルカ9:29も参照)。ヨハネの黙示録の21章によれば、新しい天と新しい地にある聖なる都には神の栄光があり、都を照らす太陽も月もありません。なぜなら小羊が都のあかりだからです。それぞれの箇所を予め学んで、歌うときにその情景を思い描けるとすばらしいです。賛美「シャカイナ・グローリー」を歌うときに、主なる神の救いへの熱意(情熱)が感じられるなら最高です。
〔脚注3〕
神様の創造のみわざにおいて重要なことは、神様は創造されたひとつひとつをご覧になって、それをよしとされたということです。特に、創世記1:31にある「非常によかった」
(キー・トーヴ メオッド)とは、きわめて美しかった、神がこの上なく満足され、ことのほかお喜びになられたという神様の感動の表現です。人は一人ひとり神によって創造されたかけがえのない神の作品です。その美しさをまことの「光」(シャカイナ・グローリー)によって取り戻さなければなりません。
〔脚注4〕
ヨシュア記1章には、主がヨシュアに対して、ヨシュアが民に対して、民がヨシュアに対して、それぞれ「強くあれ、雄々しくあれ」と互いに励ましています。この歌は自分自身に向かって語りかける歌として、あるいは人を励ます歌として有効です。「ハーザク、ヴェ・エマーツ、メオッド」とは、「強くあれ、かつ、雄々しくあれ、大いに」という意味です。
〔脚注5〕
歌を歌いながら、ヘブル語のアルファベットの文字を何度も繰り返して書くことが大切です。⇒練習用のプリント
〔脚注6〕
キリストの再臨(空中携挙)を待ち望む歌です。アラム語の「マラナ・タ」は「われらの主よ。来てください」という意味です。婚礼の喜びを歌った「メ・ゴザレ」と合わせて歌うとその信仰は増し加えられるはずです。⇒「メ・ゴザレ」の楽譜はこちらです。
〔脚注7〕
楽譜の歌詞で「タ」の文字が文字化けしています。印刷する場合は、直してお使いください。24文字あります。歌いながら何度も書くことてで、早く覚えられるはずです。
2012.2.23
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