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鳥も自分の帰る時を守るのに・・

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11. 鳥も自分の帰る時を守るのに・・

【聖書箇所】 8章1節~22節

ベレーシート 

  • 8章では神が語っているのか、エレミヤが語っているのか、その人称を同定するのが困難なほどに分かちがたく結びついています。この章には、エレミヤとイエスの語った自然界を用いた表現やメッセージの内容がよく似ています。歴史は繰り返すと言われますが、背景となっている状況が似ているからかもしれません。

1. 主の定めを知らない民

【新改訳改訂第3版】エレミヤ書 8章7節
空のこうのとりも、自分の季節を知っており、山鳩、つばめ、つるも、自分の帰る時を守るのに、わたしの民は【主】の定めを知らない。

【新改訳2017】エレミヤ書 8章7節
空のこうのとりも、自分の季節を知っている。山鳩も燕も鶴も、自分の帰る時を守る。しかし、わが民は【主】の定めを知らない。

  • ここには神の民に対する驚きがあります。空の鳥たちは神の支配の法則に従順であるのに、神の民は「主の定め」、すなわち、主の支配理念を知らず、悔い改めようともしないことへの驚きです。「定め」と訳されたヘブル語は「ミシュパート」です。詩篇2篇7節にも「主の定め」とありますが、その場合の「定め」は「ホーク」(חֹק)で、主のご計画におけるマスタープランを意味します。しかし「ミシュパート」(מִשְׁפָּט)は、神の統治とその理念、支配、主権、父性的訓練(懲罰も含む)、はからい、計画、導きなどを意味します。同じ訳語でも原語が異なる良い例です。
  • 主の統治の在り方は決して専制君主のようなものではなく、驚くべき愛に満ちた福祉理念に満ちています。それは主の秩序を意味し、主の支配理念を意味することばです。そのことを神の民は知らないと言っているのです。
  • 転んだら起き上がるのは赤ん坊でもすることであり、道を間違えたと気づいたらたただちに引き返すのが道理というものであるのに、この当たり前のことを頑強に拒み続けようとする理不尽さが指摘されています。当時のユダの民たちの神への背きの状態は、イェシュアの時代の指導者たちも同様でした。
  • エレミヤにしても、イェシュアにしても、そのメッセージの矛先は指導者たちに向けられていますが、一つの体制が固定化してしまうとき、それを改革して主のみこころにかなうようにするのはとても困難です。それゆえ神の改革はいつの時代でも荒療法となります。その荒療法とはひとたび完全に打ち壊して、新しく建て上げるという方法です。バビロン捕囚と言う出来事はまさにそのための神の最善の方策でした。
  • ちなみに、8章4節、5節には「シューヴ」の語呂合わせが見られます。

    【新改訳改訂第3版】 4節後半、5節
    4 背信者となった(שׁוּב)ら、悔い改め(שׁוּב)ないのだろうか。
    5 なぜ、この民エルサレムは、背信者となり(שׁוּבのピエル態)、背信(שׁוּבの名詞形「メシューヴァー」מְשׁוּבָה)を続けているのか。彼らは欺きにすがりつき、帰って来ようと(שׁוּב)しない。


2. エレミヤとイェシュアのメッセージの類似

  • エレミヤもイェシュアも、民の罪を糾弾するたけでなく、民と共に泣くところに共通点があります。旧約の預言者の中でも泣く預言者はエレミヤだけです。それゆえにエレミヤは「涙の預言者」と言われています。

エレミヤ

(1) 8章13節【新改訳改訂第3版】

「わたしは彼らを、刈り入れたい。──【主】の御告げ──しかし、ぶどうの木には、ぶどうがなく、いちじくの木には、いちじくがなく、葉はしおれている。わたしはそれをなるがままにする。」
(「わたしはそれをなるがままにする」という部分を、岩波訳は「そこでわたしはそれらを人手に渡す」す。)

イェシュア

(1) マタイの福音書21章19節【新改訳改訂第3版】

18 翌朝、イエスは都に帰る途中、空腹を覚えられた。19 道ばたにいちじくの木が見えたので、近づいて行かれたが、葉のほかは何もないのに気づかれた。それで、イエスはその木に「おまえの実は、もういつまでも、ならないように」と言われた。すると、たちまちいちじくの木は枯れた。

(2) 8章23節【新共同訳】

わたしの頭が大水の源となり/わたしの目が涙の源となればよいのに。そうすれば、昼も夜もわたしは泣こう/娘なるわが民の倒れた者のために。

新改訳では22節までしかありませんが、新共同訳、岩波訳では9章1節が、8章の23節として配置されています。

(2) ルカの福音書19章41~44節【新改訳改訂第3版】

41 エルサレムに近くなったころ、都を見られたイエスは、その都のために泣いて、42 言われた。「おまえも、もし、この日のうちに、平和のことを知っていたのなら。しかし今は、そのことがおまえの目から隠されている。43 やがておまえの敵が、おまえに対して塁を築き、回りを取り巻き、四方から攻め寄せ、44 そしておまえとその中の子どもたちを地にたたきつけ、おまえの中で、一つの石もほかの石の上に積まれたままでは残されない日が、やって来る。それはおまえが、神の訪れの時を知らなかったからだ。」

2013.1.30


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