瞑想Ps55/B
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瞑想Ps55/B
- 詩篇55篇は、主を信頼するということがどういうことかを深く考えさせられる詩篇です。22節のみことば「あなたの重荷を主にゆだねよ。主はあなたのことを心配してくださる。主は決して正しい者がゆるがされるようにはなさらない。」 これだけを取り出すなら、実にすばらしい奨励のみことばですが、このことばが自分のかつて親しかった者の嘲りのことばだとしたら、まさに「抜き身の剣」です。
- サタンも神のことばを使います。ダビデは「私の心は、うちにもだえ、死の恐怖が、私を襲っています。恐れとおののきが私に臨み、戦慄が私を包みました。こんな気持ちを共感できる者が果たしてどれだけいるでしょうか。現実逃避、逃避願望を抱いたとしても決しておかしくありません。「ああ、私に鳩のように翼があったなら。そうしたら、飛び去って、休むものを。ああ、私は遠くの方へのがれ去り、荒野の中に宿りたい。」(6~7節)
- この詩篇のいたるところに、苦しみの真実な心が吐露されています。しかし、どんなに吐露したとしても、あるいは現実から逃避したとしても、解決がないことは明らかです。単に神が自分のことを心配して下さる以上の問題が含まれていると思います。いわばこの詩篇には解決の光は見えません。最後の節の「私は、あなたに拠り頼みます」ということばだけが唯一の頼みの綱です。そのことを思う時、「父よ。彼らをおゆるし下さい」と十字架の上で祈られ、「わが霊を御手にゆだねます」と祈ったイエスの十字架上の祈りこそ、すべての問題の解決だと信じます。
- 赦すこと、人の罪を赦す力、この力が与えられることが解決の糸口です。神に対する高レベルの信頼を目に見えるように示して下さった御子、「信仰の創始者であり、完成者であるイエスから目を離さないようにする」ことが、私たちの勝利であり、救いだと信じます。