挨拶と祝福
ヨハネの黙示録を味わうの目次
4. 挨拶と祝福
【聖書箇所】 1章4節
【新改訳改訂第3版】
4 ヨハネから、アジヤにある七つの教会へ。今いまし、昔いまし、後に来られる方から、また、その御座の前におられる七つの御霊から、【新共同訳】
4 -5aヨハネからアジア州にある七つの教会へ。今おられ、かつておられ、やがて来られる方から、また、玉座の前におられる七つの霊から、
1. 挨拶
- ここには、使徒ヨハネから、アジアにある七つの教会への挨拶と、三位一体なる神からの祝福があるようにと宣べられています。「ヨハネからアジア州にある七つの教会へ」とありますから、ヨハネは七つの教会にこの書を送ったと考えられます。今のようにコピー機のない時代ですから、七部書くことは大変なことであったろうと思います。ですから、回覧されたかも知れません。とはいえ、本書は、回覧されてさっと理解できるようものではありません。とすれば、七つのすべての教会に写本されたことも十分予想されます。
- 「七」という数は完全数です。※脚注
これら七つの教会はアジア州にあった教会と同時に、「教会時代」におけるすべての教会を代表しています。それゆえに、本書の預言は今日の私たちにとっても大いに関係があるのです。
- ちなみに、「七」という数の「ヘプタ」(έπτα)は新約では88回使われていますが、そのうちの56回は黙示録で使われています。第一章だけでも11回です。黙示録では、「七つの教会」「七つの教会」「七つの金の燭台」「七つの星」「七つの封印」「七人の御使い」「七つの目」「七つのラッパ」「七つの雷」「七つの頭」「「七つの冠」「七つの災害」「七つの鉢」「七つの山「七人の王」のように使われています。
2. 祝福のことば
- 挨拶の後に、七つの教会に属するすべての者に対して、三位一体の神による「恵みと平安があなたがたにあるように」と祝福のことばを述べています。この祝福のことばは、使徒パウロもよく使っています。
- 1章4~5節前半までに、「~から」を意味する三つの「アポ」(απο)という前置詞があります。それはそれぞれが三位一体なる神からの祝福を指し示しています。
(1) 「神」から(黙示録では「御父」ということばは使われません)
「常にいまし、昔いまし、後に来られる方」と表現されています。この表現は黙示録にのみ見られる神の御名です。モーセに啓示された「わたしは、『わたしはある。』という者である。」(出エジプト3:14)を暗示させます。「常にいまし」とは時間に全く制約されない存在です。しかもその方は、後に来られる方、つまり、最終の審判を行う方でもあられるのです。
(2)「御霊」から
「七つの御霊」と表現されています。この「七つの御霊」とは、御霊が七つあるということではになく、御霊にはさまざまな働きがあることを意味する表現です。七という数字が完全数であることから、聖霊の賜物の総体を指しているとも言えます。
ちなみに、イザヤ書11章には御国をこの地上に建設し、その権威を回復するために、メシアがこの世に来られることに言及されている箇所です。そのメシアが以下のように七つの霊を授けられてその務めを果たすことが預言されています。
①「主の霊がとどまる」
②「知恵の霊」
③「悟りの霊」
④「はかりごとの霊」
⑤「能力の霊」
⑥「主を知る知識の霊」
⑦「主を恐れる霊」
- 次節の5節aも含める三位一体の神こそ、私たちに「恵みと平安」を与えることができるのです。
※脚注
「黙示録」における「七」という数字が意味するもの
●ヨハネの黙示録において、最も多く繰り返されるのが、七の数です。ギリシア語では「ヘプタ」(ἑπτὰ)です。
「七つの教会」(1:4、1:11)
「七つの霊」(1:4、4:5、5:6)
「七つの燭台」(1:12、1:20、2:1)
「七つの封印で封じられた巻物」(5:1)
「七つの角と七つ目をもつ小羊」(5:6)
「七人の御使いがもつ七つのラッパ」(8:2)
「七つの雷」(10:3)
「七人の御使いが携えている最後の七つの災害」(15:1、15:7、16:1)
「神のはげしい怒りの七つの鉢をもつ七人の御使い」(16:1)●「七」―「ヘプタ」(ἑπτὰ)は、神の支配の完全さと、全体の包括とを指し示す数なのです。
2013.11.9
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