恩寵用語Ps60
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詩60篇「神によって」 בֵּאלֹהִים ベ・エロヒーム
〔カテゴリーその他〕
12節「神によって、私たちは力ある働きをします。」 (新改訳)
Keyword; 「神によって」 in God 18:29/44:8/60:12/108:10
- 「神によって」は動詞ではありませんが、きわめて大切な恩寵の表現です。前置詞の「ベ」(בְּ)と神を表わす名詞エローヒーム(אֱלֹהִים)が結びついています。前置詞の「べ」(בְּ )をどのように訳すかによって翻訳も変わってきます。新改訳以外では次のように訳されています。
- 「神とともに、我らは力を振るいます。」(新共同訳)
- 「神にあって、われらは力を振るい」(岩波訳)
- 「ヤハウェにあってわれらは勇ましく戦おう。」(関根訳)
- 「われらは神のもとに、勇ましく戦おう。」(フランシスコ会訳)
- 「神のうちにあって、雄々しく戦おう。」(典礼訳)
- 旧約では「神によって」が「御名によって」、あるいは「あなたによって」、「恵みによって」という言い方もありますが、いずれにしても、神の民のアイデンティティを表現するものです。自分たちの存在の根拠、土台となっているものがなにかを明確に意識づけている表現と言えます。
- ダビデと言えば連戦連勝のイメージがありますが、エドムの戦いでは、詩60篇10節のように「神よ。あなたは、もはや私たちの軍勢とともに、出陣なされないのですか。」という神の拒絶を感じさせられていました。そうした祈りの中から出てきた告白が、「神によって、私たちは力ある働きをします」というものでした。この告白は偉大です。
- Boys be ambitious in Christ.という有名な言葉があります。「キリストにあって、大志を抱く少年たちよ」という意味ですが、in Christ, すなわち、「キリストにあって」という言葉があるかないかで、Boys be ambitiousの意味合いは全く変わってきます。
- 使徒パウロという人は、「キリストにあって」(ギリシャ語では「エン・クリストウ」)という言葉を多用した人です。パウロの特愛用語です。彼が書いたエペソ人ヘの手紙では6章全体で28回も使われています。1章3~20節だけでも11回使われています。これは彼がキリストなしには存在しえない者、キリストなしには何もできない者、逆に言えば、キリストにあってどんなことでもできるということを徹底的に強調した人でした。「キリストにあって」という信仰のリアリティは、まさに、神秘そのものです。
- 「キリストにあって」―創造され、選ばれ、あがなわれ、神の子どもとして定められたこと。「キリストにあって」―罪を赦され、きよめられて、神の前に近づくことができること。「キリストにあって」―天にあるすべての霊的祝福にあずかることができること。「キリストにあって」―神の救いのヴィジョンを実現するように召されていること。「キリストにあって」―新しく造られた神の作品であること。「キリストにあって」―大能の力で強められること。これらはすべて神秘そのものです。イエスが「わたしを離れては、あなたがたは何もすることができない」と弟子たちに語られた同じ真理が隠されています。この真理が私たちの内に生きているかがどうかが問われています。